第2話

文字数 1,344文字

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 越後山脈の頂が白く染まり、里にも雪が降り始めた冷え込む夜のことだった。
 宗吉と妻の芳子は皆が寝静まったのを見計らい、火の消えた囲炉裏で額を寄せた。かねがね村長から提案があった、美幸を芸者に出す決断を迫られていた。
 町は失業者で溢れかえり、道端の草も食糧となる世の中で、それ以外の選択肢があるはずもなかった。
「村長からの美幸こと芸者に出す話し、よろっと返事ことしなくてはならねーな」
 宗吉が、微かに残る灰の温もりに手をかざしながら口を開いた。
「腹こと痛めた娘こと、酌婦にしゅーぐらいなら、何のためにここまで育ててきたのか……」
 ぼたぼたと落ちる芳子の涙が、囲炉裏の灰に滲み込んでいく。
「俺がこのざまらすけ、申し訳ねー。かんべーくれ」
 宗吉が妻の肩を抱き、声を震わせた。
 年が明けて間もなく、村長が、雪が降りしきる戸口に現われた。
 村長は家に寄るのをはばかり、声を押し殺して宗吉に言った。
「やっとさ湯沢で芸者の口が見つかった。ここからもそう遠くはねー。東京ででぇーく(大工)どんことしているおじの知り合いの女衒(ぜげん)が、美幸ちゃんこと見ていったそうら。女郎屋なら話は腐るほどあっただども、そいではおめさんたちも不憫ら。しっかりとした置屋だそうだ」
 宗吉の膝が、がくりと折れた。女衒と聞いて、ついに我が娘を手にかけてしまったような現実を突きつけられた。目の前の雪がじわじわと黒く染まっていくのを覚えた。
 戦後、女衒は消滅したとされていたがそれは表向きのことで、東北や九州の寒村では女衒が暗躍していた。口減らしのため、若い娘たちが、芸者置屋や江戸時代とさほど変わらぬ女郎部屋に売られていった。

 茅葺きの屋根から雪がずれ落ち、越後の山襞に黒く地肌が現われ始めた。
 宗吉と芳子は美幸にこの話ができないまま、約束の日が迫ってきた。皆が寝静まった囲炉裏の縁で芳子が切り出した。
「おめさん、美幸にも心の準備ってがんがあるこてさ。正直に話そね――」
「そうだな。話すしかねぇーな」
 宗吉が、ひび割れた陶器のような目で囲炉裏の灰を見つめた。
 障子から光が漏れ、傷だらけの炉縁がぼんやりと浮かび上がってきた時、宗吉は、起き出してきた美幸に声をかけた。
「美幸、ちーとばかし話がある――」
 美幸が怪訝な表情で、囲炉端に座った。
 宗吉がカタカタ音を立てそうになる奥歯を噛み締め、切り出した。
「急な話らろも、湯沢温泉でいい働き口が見つかったようら。このがんからは米の飯こと腹いっぺこと食って、いとしげな服の一つもこいるさ」
「え、温泉場の仕事――それ母ちゃんも知ってたことなの?」
 美幸は目を丸くして、となりの芳子の顔を覗き込んだ。
「あ、あぁ、村長さんが、おめの働き口心配してくれたった。きんなの晩、急に連絡が入っての……。長岡の工場ならほんね良かったろも、このご時世だすけ……」
 芳子が、たまらずといった表情で、美幸から目を逸らした。
 美幸は無言のまま、目を瞬かせながら何かを見定めようとしている。
 宗吉が立ち込めたもやを吹き払うように、口を開いた。
「明後日のあさげ、案内人が迎えに来るこてさ。今日一日で準備ことして、明日はおめの好きなことすればいい――」
 宗吉も芳子も、遂に芸者置屋の話は切り出せなかった。
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