2.

文字数 1,909文字

花開けず地団駄を踏むみたいな音を桜の木の幹から背中に感じつつ、僕は目を閉じてみた。
僕の半生の出来事全てが、まるでビデオテープみたいに脳裏で流れる。

思い返す度に破り捨ててやりたくなるくらい僕の半生はクソなんだ。
夢も意志も尊厳も感情も、幼少期から親やその仲間に叩き潰され続けた。
家族一人一人、周りの人間一人一人の関係が断ち切れないように歯を食いしばり続けなくてはならなかった。
怒号、矯正、嘲笑、陰口、悪口。そういった姿形のないナイフに傷つけられきた。
また親からはベルトといった鞭、学校の悪ガキ達からは図工用カッターナイフで物理的に痛めつけられた。
生まれつきのしがれた声をバカにされて、それで僕の手によって気持ちと言葉を殴り殺した。
人間と話すのが怖くなって、四六時中小説を読み、気づけば視力はガタ落ち。
数少ない優しい人から声をかけられても、「大丈夫」と大嘘をつき続けた。
「生きたい」と「死にたい」を繰り返して、心身共に疲弊しきってしまった。
形作られた良心が、自我をことごとく刺し殺した。
最後は虚無感と希死念慮だけが手足のようにくっついてきた。
昔自分の夢について語る友人が一人いて、そいつとは本音を言え合えたけど、そいつは中学一年の時に展望台から飛び降りて、それからは自責の念に押し潰される日々。
救いも希望も、微塵も無かった。

そんなドス黒く冷めきった人生の泥沼に全身突っ込んで、全部諦めていた僕だけど、こんな僕でも、厳冬の後の春の木漏れ日みたいに、優しい温もりをくれる綺麗な思い出もあるにはあるんだよ。
もうすぐ三年の月日が経とうとしているが、ベターな言葉を使うと、昨日のことのように覚えている。
その思い出の舞台が、まさしく今僕がいるこの桜の木が立つ草原なんだ。

一つの情景が瞼の裏に浮かぶ。
季節が移り変わる度に姿を変える大きな桜の木と草原。
その桜の木の下に座り込む、学ランを着込み死んだ魚の目をした少年。
そして、その横で体操座りで首を傾げ、優しく微笑む少女。

黒髪ショートで白のワンピース。
強く抱きしめたらすぐ折れてしまいそうな体。
青アザと切り傷が絶えずも、雪のように白く優しい温もりを持った手のひら。
咲き誇った桜の花のような笑顔。

彼女と過ごした時間は、僕のかけがえのない、決して忘れたくない思い出だ。
四年前の春。
全てから逃げ出した僕がこの近くに流れる川で入水して、あともう少しという所で偶然通りかかった彼女に助けられたのが出会いだった。
それから「私には我慢しなくていいから、毎日会おうよ」という彼女の提言に沿って、できるだけ毎日会うことになった。
あの頃の僕らは、お互い冷たい世間に痛めつけられていた。
学校は違えど、二人ともイジメを経験していた。
そういった共通点から、他人には話せない本音を語り合えた。
父親が虐待毒親でろくに学校に通えず、学校に行けたとしても、学校でイジメグループの奴らに酷い仕打ちを受ける。
それが彼女の日常だった。
でも彼女は自身の不幸に愚痴ることはあっても、涙を見せることはなかった。むしろ自分よりも人のことを心配する人だった。
僕自身の話をよく聞いてくれて、ただの自意識過剰なことにも涙を流してくれて、優しく慰めてくれた。抱きしめてくれた。
僕の希死念慮についても、
「君が死んだら絶対悲しむ人がいる……少なくとも、私は悲しいよ」
と涙を流してくれた。
僕のしがれた声やコミュニケーション不全を決して笑わず、真正面から向き合ってくれた。
周りだけではなく、洗脳された僕自身が手にかけた自我、尊厳、感情、言葉を優しく修復してくれた。
もはや死体も同然だった僕だったけど、気がつけば墓場から蘇ったゾンビ程度には人間らしくなっていた。
そして何よりも、全てを諦めた僕が、彼女の前だけでも涙を流せるようにしてくれた。

彼女と出会ってから数ヶ月経ったある冬の日。
僕のことを好きになってくれる人なんて一人もいないと思っていた時に、彼女が告白してきてくれたんだ。
彼女が恥じらいながら言ってくれた「好き」という一言に、僕は胸が締め付けれるほど嬉しかった。
それから恋人になってくれた彼女は、僕の親の条件付きの愛情とは違い、無条件な愛情を注いでくれた。
こんなクソみたいな世界で、こんな美しい人と出会えて本当に良かったと思った。
周りがうるさく言っている神様っていう存在は、僕にとっては彼女のことだったんだ。
彼女と過ごしている時間は、かけがえのないものになっていた。
ずっと彼女と過ごしたい、そう思うようになっていた。
誰かを思うことを、何かに期待することを彼女は教えてくれた。

でも今現在、僕は一人。
その理由を単刀直入に言うと、彼女は逝ってしまったからだ。
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