5.

文字数 4,013文字

それは瓦礫の山だった。
砂煙が舞い、灰色の雲で覆われた空の下。
気がつけば僕は、高校にあった廃材置き場みたいな、でもそれとは大きさが桁違いで頂上が見えないほど高い瓦礫の山を登っていた。
何故登っているか、具体的な理由はわからない。
でもどうしても、頂上にたどり着かなければならない気がした。
これはきっと夢なんだ。僕は今、夢を見ているんだと意識の片隅で思いながら、その瓦礫の山を登り続けていた。
足場は全くと言っていいほど安定しない。しかも風も強くて砂煙が舞い、一歩踏み出す度にふらついて、何度も下へ落ちそうになる。
いや、事実二、三度足元を滑らせて一定の高さを滑り落ちてしまった。
体中が傷だらけになって、夢の中のはずなのにいたる所から痛みを感じる。
それでも僕は登り続けた。
その山を登っている途中、足元の無数の瓦礫の中に、見覚えがある物を幾度か見かけた。
叩きすぎて表面がぼろぼろになった鞭替わりのベルト。
血がこびり付いた図工用カッターナイフ。
鼻血で真っ赤になるまで読まされた聖典。
不器用さが露見してへし折ってしまった実習用ドリル。
物と物をうまく繋ぎ止めることができなかった練習用溶接版。
今までの僕が絶望、挫折、苦しみといったものを感じたクソな出来事の象徴の数々だった。
そういう物一つ一つを気にしないようにしていたが、どうしても目に入り、登り続ける足が止まりそうになる。
でも止まったら足元の嫌な物をまざまざと見つめることになるし、どうしても頂上にたどり着かなければならない気がした。
それで心の中で嘔吐を繰り返しながら、僕は登り続けた。

どれぐらい登り続けただろうか。
夢の中だから時間的にはほんの一分にも満たないのだろうが、僕には何時間、いや、何日も登り続けていたように感じる。
空を見上げて登っていくうち、やっとこの瓦礫の山の頂上が見え始めた。
その頂上には、誰か人が立っているのが微かに見える。
まだ成人前なのにすっかり視力が落ちてしまった目をこらしながら、砂煙の中立っているその人が誰なのか凝視する。
でも、僕がまだその人をしっかり視認できないうちに、その頂上にいる人がこちらに話しかけてきた。

「生きててくれてたんだ……嬉しいなぁ」

その声を聞いて、僕は自身の聴覚を疑った。
これは夢の中だと意識ではわかっていたが、その声はあまりには生々しかったのだ。
それだけではなく、その声には聞き覚えがあった。
いや、忘れるはずがない。僕を一番救ってくれて、そして僕が一番好きだった声だったのだから。
僕は頂上の近くまで登って、改めてその頂上に立っている人を見つめた。

黒髪ショートで白のワンピース。
抱きしめたらすぐ折れてしまいそうな体。
雪のように白い肌。
瓦礫の山の上で、後ろで手を組み踊るかのように軽いステップを踏んでいる少女。
首を傾げてこちらを眺めらる彼女の顔は、咲き誇った桜の花のような笑顔だった。

「ゆき……ね……?」

彼女の名前が、思わず口から漏れる。
その少女のことは知っていた。いや、大いに知っていた。
僕の視界に映る彼女はまさに、僕が失った大切な人そのものだった。
生き別れたはずだった、僕の生きる希望だった。
彼女の顔と声に、懐かしさと涙がこみ上げてくる。
彼女への気持ちと言葉で胸が一杯になる。
「ごめんね、先に衝動で逝っちゃって……今は、後悔しかしてない。ほんと、ごめんね」
雪音が僕に対してそんな言葉をかけて謝ってくる。
何も雪音が謝る必要なんて微塵もない。
あんな酷い仕打ちを受けたのに、「死のうなんて思うな」とか言うのは、強い人の押し付けでしかない。
むしろそれまで彼女を支えてやれなかった僕に責任がある。謝らないといけないのは僕の方なのに。
「君は優しいから、一人で背負っちゃっているんじゃないかと思って、ずっと後ろで見守ってたの、気づいてた?
思った通り、君は塞ぎこんじゃった。だから、ずっと君が死んじゃうんじゃないかって……あの日、君が桜の木で死のうとしてた時、すごく怖かった。全部、私のせいだよね……ごめんね」
雪音は僕が桜の木の下で死のうとしていた時の話をしてくる。
やはり、あの時僕が感じた温もりと声は雪音のものだったのか。薄々気づいてはいたけど、僕が感じていた背後霊の正体は彼女だったのだ。
とにかく、彼女の元へ行こう。
そう思った時、僕は戸惑いを隠せない事態に見舞われた。
右足が瓦礫の一つに挟まって抜けなくなってしまったのだ。
何でここでと、僕は必死にもがいた。でも右足全体が引っかかっていて、どうしても抜けだせない。
「ダメだよ」
すると雪音がそう僕に呟いた。僕は驚いて、雪音の顔を見る。
昔と変わらない笑顔。でも、今の雪音の目はどこか悲しさを含んでいるように思えた。
「こっちに来ちゃダメだよ。だって、一緒に連れて行きたくないもん……」
そう雪音は少し寂しそうに話した。
「雪音と一緒にいられるのなら死んだって構わない!!」
雪音の言葉を聞いて、僕はもがきながら自然とそう叫んでいた。
このまま生きていても、綺麗な日々はもう来ない。僕の春なんて来ない。
この先、雪音以上の希望に出会えるなんて到底思えない。
それに、僕は雪音を死なせてしまった。また彼女だけでなく昔にも友人を一人死なせてしまっている。
その罪は、僕自身の命でしか償えない。
「君は僕を支えてくれたのに、僕は君に何も返せなかった。挙句には死なせてしまった。
死に対して相応する対価は、同じ死しかない。なら僕は死んで償う。
どうせこれから生きていたって、僕の春なんて来ない!」
そう言ってより一層力を込めて右足を引き抜こうとした時、一瞬雪音の姿が見えた。
彼女は真顔でこちらを見ていた。彼女の真顔を見たのは初めてで、ああいう顔になるんだなと心の片隅で思いながら、彼女の元へ行こうと苦心する。
でも、どうしても右足が抜けない。
「変わらないね……君は……」
また雪音の小さな声が聞こえた。でもその声はすごく震えていたように思えて、ハッと彼女の方を向く。
すると、彼女は両目に大粒の涙を溜めて優しく微笑んでいた。
「ありがとう……私のことを思ってくれて。
私が言えることじゃないけど、そんなに自分を責めないで…………」
何度聞いたかわからないような、でもその度に僕の気持ちを楽にしてくれた言葉をかけてくる。
その言葉を聞いて、僕の両目から涙が溢れだすのを感じた。
「私の境遇に共感してくれて、慰めてくれた。慰めなくても、静かにずっと話を聞いてくれた。それだけで私、すごく嬉しかったんだよ?
君の優しさに、私はすごく支えてもらってたんだよ?」
その言葉を聞いて僕は非常に驚いた。
僕自身、彼女を全く支えてやれなかったと思っていた。でも彼女はそうじゃなかったと言っているのだ。
「だから私、バカだよね……あの日、あんなことせずに君に会いに行けばよかった。君と話しに行けばよかった……」
彼女が笑いながらまた自虐を言う。それと同時に、彼女の両目から大粒の涙が溢れ出した。
僕はそれを見て、とても悲しくなった。
「もう謝らなくていい。なんで雪音が謝るんだよ……そもそも、それはこっちのセリフだ。雪音がそんなに自分を責めたり、我慢したりする必要なんてないだろ!」
僕がそう言うと、雪音は涙を流しながらもニコッと笑った。
「あはは……そういう優しいところも、やっぱり変わらないね……」

その時、強い風で雲の所々に裂け目ができ始めていて、日差しがこの瓦礫の山に差し始めた。
もちろん山の頂上にもその日差しが差し、それを雪音も浴びる。
そして、その後に起こり始めた現象を見て僕は目を疑う。
日差しを浴びるにつれ、彼女の体が透け始めたのだ。
小さな蛍の発光体みたいな球体が無数に彼女の体からふわふわと浮かび上がり、それに伴い彼女自身の体が徐々に透けていく。
透け始めている自身の両手を見て、それに気づいた雪音がさらに涙の勢いを増しながら、僕に微笑んできた。
「お別れみたい。もう前みたいに助けてあげられないからね? 」
雪音のその言葉で僕は夢の終わりを察した。
僕は必死に右足を瓦礫から抜こうと抵抗する。
ずっともがいていたせいか、だいぶ瓦礫が緩んできたが、あともう少しというところで抜けない。
「死に対して相応する対価は死だけだって、君は言ったよね?
確かに、その通りだよ。でも私を唯一ちゃんと見てくれたのは、君だった。だから、償うって言うなら、君だけは生きて償ってよ。私、いつも君の隣で支えてあげるから。
君ならきっと、最後に笑えるよう走っていけると思うから、頑張ってね。
君自身の手で、君の春を掴んでね。私からの宿題」
雪音が少し軽い口調で語りかけてくる。
嫌だ。
また何もできずに終わるなんてまっぴらだ。
せめて、せめて一つだけ。
一緒にあの世へ行けなくてもいい。夢の中だとしても、せめて最後に一度だけ雪音に触れたい。
抱きしめたい。
そう願い、右足に全力をかける。
すると瓦礫がガタガタと音を立てて、僕の右足を離した。
砂煙がおさまり、空は青く澄み切っていて、雪音は今にも消滅してしまいそうなほど透けてしまっている。
僕は大股で瓦礫の山を駆け登る。
そして頂上にたどり着き、消えかけの雪音の手を伸ばした。

「……幸せに、なってね……」

だが、僕の手が触れる直前に雪音はそう言い残して完全消滅してしまった。
雪音に対して伸ばした両手が、見事に空振りする形になる。
結局、僕の最後の願いも叶わなかった。
その後の僕といえば、もう泣くことしかできなかった。
瓦礫の山の頂上。
青空の下。
眩しい日差しを浴びながら僕は膝から崩れ落ちて、泣き叫ぶしかなかった。

そこで僕の意識は途切れた。
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