第2話

文字数 5,315文字

「ホントに営業しちゃえば?」
 
 俺が適当にドリップしたコーヒーを片手に、明るい色の髪の上半分を緩く纏めた男が軽々しい笑顔で煽てる。
「しない」
 即答して使った器具を洗い終える。蛇口を閉める音に被せて対面のカウンター席に陣取った自称俺の友人は、ほら、今めちゃくちゃそれっぽいのにと口を尖らせてこちらを見てくる。それは手慣れているからではなく、単に洗い物を溜めておきたくない性分だからだ。面倒な作業は出来得る限り迅速に視界から消したい。
「見世物じゃない、居座るな」
「つれないなあ、まあ、仕方ないか」
 そう言って男は仰け反り気味に椅子を半回転させた。年齢は俺と一つしか変わらないはずだが、今でも小さな子供のような振る舞いをする。
「これから空白を埋めていこうね」
「お断りだ」
 気色の悪い冗談はよせ。
 この軽薄な知人とは、そもそも初等部時代の合同授業でたまたま組まされた程度の関係だった。それから機会あるごとに親しげに且つ遠くから声を掛けて来た。誰に対してもそのような態度で接するタイプの男だった。それが未だにこちらの顔を覚えていたのは少々意外だったが。
「じゃあ新しく始めましょ、喫茶店。僕が書類とか揃えるし」
 なぜそうも執着するのか。
「だって行きつけの喫茶店欲しいもん」
 考えといてよ、と勝手なことを言ってコノエは席を立ち、カウベルの余韻を残して扉の外に去っていった。
 
 ここは元々、書類上の親戚にあたるという人の友人の店だった。らしい。ある時譲り受けたが本業が忙しく、物件を所有しているだけの状態で年月が経ってしまったという。実家に帰省しないのなら代わりに様子を見てくるようにと命じられるがまま、自分の根城を離れた。体よく状況から遠ざける言い訳に使ったのだろう。心配されている事くらいは理解している。
 到着してみれば、想像していた程の廃墟ではなかったな、というのが最初の感想だった。軽く見積もっても十数年程度、まともに管理もされていない状況だったにも関わらず、だ。キッチンやカウンターにはシートが掛けられており、そのお陰か致命的な劣化は免れていた。テーブルや椅子、調度品の類は元々それなりに使い込まれ古びていたのだろう。少なからず破損はあるものの、アンティーク的な価値があるのではないか。……と言えなくもない。どうせ独りだ。整えるのは取り敢えず居住可能な最低限でいい。そんな経緯で、この店にとっては不法占拠のような形で俺が住み着く運びとなった。結局最初の数日はあれやこれやの修繕のみに費やしてしまったけれど、作業はそれなりに楽しかったのかもしれない。衛生面を考え、さすがに調理器具は新しいものを購入した。然すれば自分の為にコーヒーを淹れ、簡単な食事を用意するようにもなるだろう。ここを通りすがる者に時折開店しているのかと問われる煩わしさはあったものの。
 それもある日見覚えのある髪色の男が嬉しそうに声を掛けてくる迄の話で終わった。

 コノエとはお互い早々に単位を集めて卒業を早めた口だった。その所以で時折人伝に存在は聞こえてくるものの、その後の進路など知る由もなかった。尤も、奴が学外では常に護衛を付けて移動する姿を見ていれば、いずれ家業を継ぐ為のものだと推し測るに十分だった。


 この区画は街と街を結ぶ旧道沿いにある。振興開発は数十年前に終了し、次第に両側の街に人口を吸い出されていったような場所だ。行き交う客も往時に比べ激減したらしいが、彼らを相手に商う店は寂れつつも未だ疎らに並んでいる。
 インテリアを扱う店舗が残っていて助かった。不要な出費ではあるが、劣化したカーテンを処分したばかりに店内を晒し、招かざる客たちを招く愚を犯した俺自身への戒めとする為、なけなしの蓄えに手を付けた。喫茶店を再開するつもりはない。

「毎度〜」
 毎度も買い物はしていないが。中途半端な暗さの丸眼鏡に高級なのか趣味が悪いのか判別がつかない長袍姿の店主が営業用の笑みで注文書を受け散る。
「配達・取り付けも料金内やのに」
 およそ堅気に見えない恰好の店主は一度奥へと消え、バカでかい袋を抱えて戻ってきた。
「喫茶店も再開したらええのに」
 その話は前回来店時に済んでいる。間に合わせの安物でいいと言う俺に物件としての価値を毀損しない方が良いとそれなりの商品を勧めてきた店主である。次に買わされそうな物は大体想像が付く。曖昧に反応を返して会計を済ませると、納品書と共に色のついた小さな紙片を握らされた。
「また寄ってや〜」
 見ると、『半額券!』とだけ書かれている。何が半額なんだ。店名はおろか有効期限の記載も見当たらない。ただ、縁取りに赤い雷紋があしらわれていた。明らかにこの店の割引券ではなさそうなのだが疑問をぶつける程の意欲も無く、俺はバカでかい袋を引き取ってその店を後にした。

「あの、」
 近道になるかと路地裏に入ろうとしたとき、背後から声を掛けられた。
「落としてますよ」
 声の主を振り返ると、十代半ばから後半くらいの少女がドリンクスタンドであろうコンテナの中から出てきた。看板と同じロゴの入ったエプロンを身に着けている。そこの店員のようだ。少女の首の中程で切り揃えられた癖のない黒髪が斜めに揺れる。屈んで何かを拾い、こちらに渡そうと駆け寄ってくる。
 見てみると、例の『半額券!』だった。
「ああ……あげます」
「えっ、何ですか? これ」
 俺も知りたい。
「そこの、イエモリとかいう……雑貨屋? そもそもあそこも何屋なんだか……で、貰ったから」
 得体の知れない怪文書をとっさに押し付けようとしたのは申し訳なかったか、と反省しかけたら「あそこかぁ」と少女が納得した。話が早くて助かった。
「あの店長、丸眼鏡の。ここの大家なんです」
 自分が今出てきた貧相な建物を指して少女が言う。掃き溜めに鶴とはよく言ったものだ。
「ここの半額券ではないんですね」
「違うんですけど、うちにも割引クーポンが有りますので、使っていかれますか? ご注文後にお作りいたしますのでお時間少々かかってしまいますが!」
 久しぶりに爽やかなマニュアル接客を見た。
 ……そういえば帰宅してもまともな飲み物はコーヒーくらいしかない。購入の意思を見せると続けて流暢な説明口調で本日のブレンドの配合を聞かされる。元より可も不可もない。ではそれでと手持ちの硬貨から幾枚かを渡す。
 「お荷物運ばれてる途中ですよね、どちらまで? あっ、住所書いてある。あそこかぁ。後ほどお届けに伺います!」
 所在地の割られ方が暴力的なまでに迅速だった。俺は出来上がる頃出直すつもりだった。怪文書被害に巻き込んだ手前、断りにくいと一瞬怯んだが最後だった。隠している訳ではないが当然積極的に開示したい訳でもない。迂闊にも不本意な来訪者をまたも自ら招き入れてしまうことになった。先日から、反省ばかりが嵩んでいる。大分思考が鈍っていると思う。

「お待たせしました!」
 少女が注文の品を届けに来たのは、二枚目のカーテンを掛け終えたあたりだった。風通しの為に開け放した扉から人懐こい笑顔がこちらを覗き込んでいる。
「ご苦労さま……で」
 でかい。受け取ろうと近づいたらおよそドリンクスタンドの手軽さを捨ててきたとしか思えない大容量のフレッシュジュースを差し出された。注文を間違えたか? しかし会計はあの場で済ませた筈で、確かに世間的な相場であろう値段から半額を割引いた金額を支払った。それともこれが通常サイズなのか? わからない。
「一番大きいサイズで作りました!」
 そうだよな。何でだよ。そんなサービス、マニュアルに無かっただろ。
「私もここで飲んでいっていいですか?」
 輝くような笑顔で何を言い出した? あろうことか保冷バッグから二杯目が出てきた。持ち帰ってほしい。
「店は放っておいていいのか?」
「休憩時間なので!」
 やばい女かもしれない。
 更に間の悪いことに見知った藁頭が隙間からぬるっと侵入してきた。
「やあ! ドリンクサーバーの訪問販売かな? 僕が買ってあげるよ。この人喫茶店やるからね」
「やらない」
「きみ、ジュース屋さんとこの子だよね。アルバイト?」
 聞けよ。
「はい、チトセといいます」
 こっちも突然の不審者に動じない。
 コノエは勝手に少女に席を勧めると俺に新しいグラスをせびった。
「水滴の付いてないやつ」
「ここは喫茶店じゃない」
「喫茶店じゃないんですか?」
 ちゃっかりカウンターの席に着いたチトセと名乗る少女は自分の飲み物にストローを挿しながら俺に尋ねた。初めて見る長さのストローだった。
「改装中なんだと思ってました」
「違う。仮住まいを整えるために手を入れてるだけで、居着くつもりもないから」
 コノエが乾燥させてあったグラスを目ざとく見つけて手に取り、チトセの横に座った。
「でっか! ねえこれ何のジュース?」
 バカデカドリンクカップの蓋を開けている。蓋もでかい。チトセが本日のブレンドの内訳を答える。
「イオリ、これちょうだい」
 グラスに注ぐ寸前の状態で断りを入れるな。
 溢すなよ、と釘を刺しつつ俺は三枚目のカーテンに取り掛かった。
「僕もそのへんさあ、詳しく聞けてないんだよね」
 詳しくも何も、先日数年越しに再会した時の説明が全てだ。
「有給消化中、副業禁止。ここは身内から管理を頼まれた物件」
「それは聞いたよ。詳しくはそこに至る経緯だよ。おかしいじゃん、」
 チトセちゃん、こいつねえ、俺に仔細を求めても埒が明かないとコノエは標的を変えた。
「絶対失恋傷心旅行だよ。世を儚んで石抱き入水する気だよ」
「違うつってんだろ。この辺りのどこで石抱くほど入水出来るんだよ、ドブか?」
「イエモリビルの屋上に池が有りますね」
 おかしな角度から参戦してくるなよ……。
「ああ、イエモリ商会の。あそこのオーナーと僕、どっちがモテると思う?」
「あなたとは今日初めてお会いしたので何とも」
「そっか! 僕コノエ。あっちのカーテン取り付け係はイオリ。二人は同窓生。覚えてくれると嬉しいな」
「はい、コノエさん。お邪魔しました、イオリさん」
 いつの間に飲み干したのか、空になった巨大ドリンクカップを手にチトセが席を立つ。本当に飲んだのか? この短時間で。思わず二度見すると扉を閉めますか? と目線を送ってきたので反射的に頷き返す。
「ありがとうございました、またのご利用お待ちしてます!」
 定型文と共にカウベルが響く。
「気を遣わせちゃったかな」
 残響に混じってコノエが呟いた。ここに至って漸く、彼が俺を案じていたのだと気付いた。
 

 ――――おかしいじゃん、あの頃の飛び級組でも最短ショートカット決めて鳴り物入りで難関突破してったヤツがさあ、今頃順調に主任だか室長クラスなんじゃないの? まだそんなでもない? あそう。それが時間の狭間に取り残されたみたいな廃墟で生きてるんだか死んでるんだか分かんない顔で閉じ籠ってるんだもん。何かあったと思うじゃん?
 で、調べてみたらなかなか凄い事になってたんだけど。あのさぁ、君の職場。割と最近、少なくとも四人、研究員が亡くなるか行方不明になってるよね? 事件性は無い事になってるけど。そこまではともかくなんだけど。

「鳴り物って何だろうな」
「打楽器か何かだよ。そこはどうでもいいよ。きみが某巨大研究所に入所してたのはまあ予想通り。研究員の氏名公表してないもんね、あそこ」
 言っとくけど違法な手段で入手した情報じゃないからねと断りを入れたコノエは、核心は伏せつつ本題を切り出した。
「オカルトの研究でもしてたのかい?」
 言われると思った。
「それを言われがちなのは他部署。俺は普通に……、普通の? 生物工学部門」
 少なくとも不審な研究はしていない。俺の居た部署は。
 最後のカーテンを掛け終わると、ドリンクカップの中身は半分ほど減っていた。よく飲んだな、半分も。しかし飲み切れる気はしなかったので俺も新しいグラスを出した。
「欠員は以前から少なくないし業務量が常に真っ黒ではあった。あと単に干されただけの気もする」
「本当の事言ってる?」
「嘘は言ってない。死亡事故の件について俺は蚊帳の外。行方不明と報じられたのは懇意にしてた同期で、公表されてないが亡くなったんだろうなと思ってる。それで気分が悪い」
「それは……同期の人は残念だったね。じゃあ探偵は必要ないって事?」
「うん」
 それなら解ったけどぉ、と若干消化不良気味にコノエが椅子を回す。壊れるぞ、古いから。
「それで落ち着いたら喫茶店やろうよ」
 その情熱を他の事に使えよ。ドリンクスタンドの方に行けばいい。肯定的無関心の手本のような接客を受けられる。これも柑橘類がベースだということしか分からないが、謎の風味がして嫌いではない部類だと思う。本日のブレンドらしいので二度と同じものは出ないかも知れないが。
「パッションフルーツだってあの子が言ってたじゃん。もっと飲食に興味持って」
 呆れたようにコノエが言う。逆だと思う。完全に失っていた興味を幾らか取り戻してきた気がする。
 

 ――――嘘は言っていない。隠している事があるだけ。
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