第6話

文字数 4,936文字

「お初にお目にかかります、兄の名代で参りました。サラと申します」

 手負いのイエモリは足手纏いなので置いてきた、とチトセが見知らぬ女性を代わりに連れてきた。無彩色だけで完璧に構成された瀟洒な服装に、腰まで届く長い髪がゆるく波打っている。チトセより頭ひとつ分背が高い。イエモリとは全く似ていない。
「わたくし数年振りに目覚めましてよ」
「不躾な質問恐縮っすが、どういったヒトたちなんすか?」
 モミジが当然の質問を投げ掛ける。
「うふふ、ご興味あって?」
 自分のペースに巻き込むタイプの人物だった。
「ここで話すと長くなります。モミジさん、昼間言ってたぬいぐるみ、持ってきてもらってますか」
「あ、これっす」
 チトセに指名されたモミジが、ガサガサと紙袋の中から白い毛の塊を引っ張り出す。本人曰く不安な夜を共に越えてきた偉大なるふわふわらしい。
「じゃあそれはサラが持つことにして、無人の所を選んで歩いてみましょう。危ないと思ったら人の多そうな場所まで走ってください。お二人には物理的な危害は加えられないはずですが、空虚があると入り込んでしまいます」
「え、ご飯食べて来いってそういう? 悪霊に取り憑かれるとかそういうヤツっすかぁ……」
 モミジが情けない声を上げる。
「思念に憑きますの。大抵は時が経つと地脈に還ります」
 サラがぬいぐるみと疑問を引き取って答えた。最初から彼女が持っていたかのようにふわふわが馴染んでいる。
「意味解んないっす……」
 後輩は既に戦意喪失しているようだ。
「手を握って頑張れって言って欲しいっす……」
 ハラスメント研修ちゃんと聞いてたか?
「怖がってる人に無理強いはできません。辛そうなら早めに切り上げましょう」
「優しい……無限に頑張れる」
 ぐずっていた後輩が結局チトセに両手を握ってもらう儀式を終えると、漸く一行は動き出した。

 閑散を通り越して不気味な町並みに立つ。閉鎖こそされていないが、街灯が殆ど機能していない。深層に向かって歩いて行くと、少し開けた空間に広場の名残らしき噴水が枯れていた。
「歩くだけでいいんすか」
 小心そうに、モミジが周囲を警戒している。
「そうですね……ツルギさんの話、してもらえますか? 名を呼ぶと現れやすいと思います」
「じゃあイオリ先輩からどうぞ。さっきから気配消してますよね? わざとっすか」
 話を促したいのか喧嘩を売りたいのかどっちなんだ。
「事故の当日、ツルギに会ったか?」
 へ? とモミジが間抜けな声を出した。質問が来ると思わなかったらしい。
「いや、直接は会ってないすけど。社内便で伝言でした。ワタシが来たときツルギ先輩、別室で会議中って動静表に書いてたし」
「ならいい」
 何なんすか……。モミジは呆れて黙り込んだ。四人分の足音だけが暗闇に響く。
「綺麗な人でしたよ。何て言うか、佇まいが洗練されてて」
 ややあって、独り言のようにモミジが呟いた。
「ツルギ先輩、喋んないんすけど、顔立ちが大勝利なもんで……あ、見てますよね? 白いの」
 今度はチトセに話し始めた。チトセはうーん、と返答を考える。
「お二人が見えたみたいには見えてないです、多分」
「え、どゆことっすか?」
「説明が難しいんですけど、ぼんやり光っていて、質量のない熱量のような……」
「オカルティックには様々な呼ばれ方がありますわね。エーテルとか、オーブとか。ほら、言ってる間に」
 最後尾を歩いていたサラが、この子ですわね、とモミジの背後を示した。モミジは声にならない悲鳴を上げた。
 音もなく、白い影が、集団に紛れるようにそこに居た。
「シロ!」
 チトセが叫ぶ。白い影が完全にモミジの間合いに入っている。両者を引き離す為、俺は全力でモミジの腕を引いた。替わりに自分が白い影と対峙する形になる。感情の全く読めない白い顔と正面から目が合った。
「お前はツルギじゃない。お前は……、」
 長い長い白髪が俺の腕を掠める。それは素通りすることなく、そのまま伸びるように絡み付いてきた。
「シロ、あなたはあっち!」
 チトセが横から割って入り、白い影を押し返す。
「シロちゃん、いらっしゃい」
 サラがぬいぐるみの手を持って手招きする。

 ぱしゃん、と水が落ちるように白い影はふわふわの中に消えた。
「……イオリ先輩、」
 めっちゃ腕痛いっす……。漸く息を整えたモミジが、震える声で俺に文句を言った。

 
 サラの腕の中で白い毛の塊がうごうごと手足をバタつかせている。これが心霊現象だろうか。今の今まで霊感など無縁に生きてきた。
「骨入ってるヤツで良かったみたいっすね。高価かったけど」
 お化け屋敷楽しかったね、くらいの情緒でモミジが『それ』を眺めている。立ち直りが異様に早い。
「ねー、シロちゃん」
 実家の猫みたいに話し掛けている。
「実家の猫を思い出すっす。実家解散してそれぞれ新しい家族と異国の空の下っすけど。多分ワタシが死んだ事にも気付いてないっす。猫は大往生でした」
 急に家庭の事情を晒すな。
 比較的明るい場所まで戻ってくると、この子はこのまま兄の所までお借りしますわね、とサラが暇を告げた。
「チトセちゃん、お友達を送って差し上げて。お先にね」
「うん、ありがとう来てくれて。シロ、イエモリに言ってうちの子にしてもらおうね」
 チトセが見送る。あざっした、とモミジも敬礼している。俺も目礼を返す。
 優雅に歩く背中が遠ざかると、モミジが抑えた声で切り出した。
「チトセ先輩、」
「先輩じゃないと思いますけど、……」
「いえ先輩っした。何かしらの」
 そう断じてモミジは発言の許可を求める挙手をした。
「今夜一緒に泊まって欲しいっす。イオリ先輩んちに」
 そういう許可はまず俺に取れ。
「コノエの秘書にでも迎えに来てもらえよ」
 ここ最近で一、二を争う低い声が出た。
「今呼び出したら超過勤務の片棒担ぐっすよ。可哀想でしょあの人」
 そう言えば滲み出していたな、黒い瘴気が。昼間見た光景を思い出す。
「宿に戻れよ」
「受付時間終了してるっす!」
「私は構わないです。休まなくても平気ですし、朝まで付き添えます」
 醜く言い争う俺たちを見兼ねて、人の良いチトセが仲裁に入った。
「何か話したい事があるんですね?」
 執成すようにモミジを見る。モミジは叱られた子どものように頷いた。

 喫茶店に戻ると、モミジが今夜はワタシがマスターっすよ! と宣言し備蓄していた俺のドリップコーヒーを奪って湯を沸かし始めた。
「イオリ先輩はツルギ先輩の隠し撮り持ってきてくださいよ」
 隠し撮りなどしていない。撮影機材は事前に許可を取らないと持ち込めない。そして許可はまず下りない。そもそも俺が当然ここへ持って来ていると決めつけている。実際に持っているのでバツが悪い。
 行け! とモミジが追い払う仕草をしたので渋々二階に上がる。先輩を何だと思っていやがる。

 いつかの出先で本人が撮って本人が渡してきた一葉を探していると、呼出音が鳴った。
『夜分失礼致しますぅ……。その後どうなった?』
 コノエからだった。
「どうにかなったらしい」
『全員無事?』
「ああ」
『そりゃ良かった、お疲れ様。明日の朝そっち寄るよ』
「今少し話せるか?」
 いいよぉ、何ー? と距離を隔てた場所からの気安い声が耳に届いた。
「どの時点で何を知っていた?」
 あ、そっち? とコノエが一段階高い声を出した。
『きみと再会したのが先。人を使って調べさせたのが後。伝統的に離職者が絶えないとか直近で事故があった事は何となく知ってたけど、取引無いとこだったしね。モミジちゃんに繋がったのはイエモリから偶然』
「モミジを保護してくれて助かった。ありがとう」
『……どっちかが死ぬやつ?』
 縁起でもない事を言うな。
『待ってごめん、今の無し。もう一度僕にチャンスをおくれよ』
「どうぞ」
『チュ。どういたしまして! モミジちゃん、そこに居る? 車一台回そっか?』
「いや、俺の部屋に泊まるとか言ってるんだが……」
『あっ、左様ですか。お邪魔しました』
「拳が届かない幸運を思えよ。イエモリ商会に向かわせようと思う。チトセが付き添うと言ってくれてる」
『つまんない』
 知った事か。俺の方から通話を切った。

 階下に戻り扉を開けると、安いコーヒーの香りの中、モミジが仁王立ちしていた。こちらを睨みつけてくる。その斜め後ろに控えたチトセは、気まずそうにしている。
「イオリ先輩ちょっとそこ座るっす」
 後輩が何も無い床を指差す。
「囚人座りで」
「裁判も無しに?」
「訂正するっす。罪人座りで」
 法廷なのか。罪状は何だ。令状が先だろう。
 やんのか? といった目線を双方切り合っていると、話し合いましょう、とチトセがモミジの方を制した。続けて「シロの事です」と俺の方に言う。
「モミジさんが淹れてくれたコーヒーが冷めます。席に着きましょう」
 不貞腐れた俺たちがそれぞれのコーヒーを持って離れた席に座った為、チトセはその中間に座った。
「……いいですか?」
「申し訳ない」
「さーせん……」
 二人とも彼女に謝罪するだけの理性はあった。大人気は無かった。

「イオリ先輩、今日、あ、もう昨日か……餃子食ってるときシロの話してくれたじゃないっすか」
 したか? そう言えば、チトセが『あの個体は人として生きた経験が無い』と言っていたことは話した。
「それって胎児じゃないかって」
 言われてみれば、そうかも知れない。この辺りに産院でもあったのだろうか?
「シロちゃん、まだシロちゃんじゃなかった時っすけど、ワタシのお腹の辺り見てるような素振りしてたんす」
 そこで言葉を切ったモミジは、ワタシ言いましょうか? とチトセに尋ねた。彼女はやんわりそれを遮って俺に向き直ると、あの日の出来事を話し始めた。俺がシロを最初に見た日である。
「私はその時お店のコンテナの上に居ました。雨水が溜まっていないか確認してたんです、虫が湧きますから。そしたらあの子が突然現れて、私のお腹を押してきたんです。今考えると、子宮に入ろうとしたみたいで。話も通じない、というより何も分かってないみたいでした。サラが言ってたようにああいったものは地脈と思念が結びついたもので、思念、つまり人の言葉や体験や……、そんなもので出来てる筈なんです」
 チトセは『空虚に入り込む』とも言っていた。
「それで抵抗したら力が入りすぎてコンテナがひしゃげて……あれを壊したのは私です……」
 何故かチトセが懺悔し始めた。
「折角改装してもらったのに……内装業者さんが頑張ってくれて……」
「いやいや話脱線してますって。無事で良かったっすよ。チトセ先輩に何かあったら、ワタシ、ワタシ……」
 次はモミジが腰を浮かせてオロオロし出した。
「もう終わっていいか?」
 正直に今の思いを伝えた。
「とぼけても無駄だ! この最低野郎! ツルギ先輩に子供ができるような事したんだろ!!!」
 席を蹴って立ち上がったモミジの絶叫による残響が一帯を支配した。
「そんな訳があるか!!!!」
 数秒かけて我に返ると家鳴りがする程でかい声が出ていた。何を詰問されていたかは怒鳴った後で理解した。そんな訳があるか。
 あれえ? と毒気を抜かれたようにモミジが再び着席した。
「でもシロちゃん、ツルギ先輩とあまりにも似てたっすよね? じゃあアレ誰? ってなりません?」
 偉そうに腕と足を組み出した。お前ドサクサに紛れて人を最低野郎呼ばわりしたこと聞き逃してないからな。
「あ、ツルギ先輩の写真持ってきてくれたっすか? チトセ先輩に見せたいっす」
 もう何もかも忘れた顔をしやがる。
 俺がチトセの前のテーブルに滑らせた写真をモミジが反対側からカルタのように取って、これっす! とチトセの正面に運ぶ。俺の声量で押されて傾いていたチトセは、居住まいを正してからそれを手に取った。重ね重ね本当に申し訳ない。
「コーヒーうめー。あーカフェイン沁みる」
 今夜は久しぶりによく眠れそうっす、と言ってモミジは座面に沈んだ。行動と言動が矛盾している。
 写真を見ていたチトセが小声で何事か呟いた。聞き取れず、俺とモミジが彼女を注視する。
 チトセは顔を上げると、青褪めた顔で口を開いた。
 
 「この人はイサナ、……私たちの内の一人です」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み