第5話

文字数 4,795文字

「展開早くない?」

 運び込まれた新品の業務用冷蔵庫に、コノエが目を見開いている。
「きみ、可愛い女の子にお願いされたら聞いちゃうタイプだったんだぁ……」
「打診してきたのはイエモリ商会。俺は家主に仲介しただけ」
「開店祝何がいい? 鉄皿何ダース要る?」
 聞く相手が違う。鉄皿は要らない。
「先日のサンプルがお気に召しましたら発注します!」
 庫内を清掃していたチトセが顔を上げる。あれは販促だったのか。
 その時、上方から呼出音が聞こえた。対応するため二階に上がろうとすると、「あるんじゃん! あるんじゃん! あるんじゃん!」とコノエが抗議してきた。そういえば連絡先を聞かれて、「無い」と答えていたのだった。

 通話の内容はこの物件の賃貸契約についてだった。最終確認が取れた旨伝えようとその場でイエモリ商会に連絡したが、伝言を残すようアナウンスが流れるのみだった。伝言は残したくなかったので、階下に戻った。
「このヒトの腕もいだって?」
 展開が早すぎる。コノエがいつの間にか来ていたイエモリと談笑していた。
「知っていたのか?」
 この男の正体を。コノエを睨みつけると無邪気に「うん」と肯定した。
「本物のイエモリエニシの方から知ってるもん。いつの間にか女の子増えてて吃驚したけど。チトセちゃん、あのフードファイターの如き鯨飲お見事だったよね! そんでこのヒトはねぇ、成り済まし」
「どーもー、成り済ましです〜。本人の許可取ってやらせてもろてます〜」
「契約に問題無いそうだ。あとはそっちで進めてくれ」
「落ち着き過ぎじゃない? そんなに興味無くて大丈夫?」
 残念ながら興味は無い。疑問は有るが……。イエモリはおおきに〜と言うと軽やかに厨房に入って行った。コノエが俺の肩にそっと手を置く。放せ。
「そんなイオリくんに、本日は素敵なゲストをお招きしております。どうぞ!」
「ちわっす! お邪魔しまっす。あれっ、先輩じゃないっすか! お久しぶりっす!」
 開け放した扉から見覚えのある顔が鳴り物入りで登場した。指の間に脚付きグラスを挟めるだけ挟んでいる。ガチャガチャ五月蝿い。染めた髪と焼けた肌も視覚的に五月蝿い。
「無事だったのか」
「イエモリさんに言われて検品してたっすけど、割れてないやつこんだけだったっす」
「いやお前」
 生きてるっす、と言って同い年の後輩が笑った。
 死亡記事が出ていたはずの新人研究員だった。

「コノエ先輩に保護してもらってたっす」
「きみの先輩じゃないけどね」
「不思議ですね、もうずっと先輩だった気がするっす」
 こういう絡み方をする人間しか俺の周りにはいないのか。
 ボックス席の上座を宛がわれたモミジという常に後輩の立場で居たいと喧伝する変な女は、恐縮しながらも満更ではない様子で席に収まっている。
「ツルギ先輩が逃がしてくれたんだと思うっす。他の二人がどうして死んだのかは知りません。死因じゃなくて原因の方っす。心中する雰囲気でもなかったすけど。……ツルギ先輩、行方不明じゃなくて、亡くなってたんすね。知りませんでした」
 そう言ってモミジはストローの袋を破いた。テーブルの上にはクリームソーダが人数分並んでいる。人が死んだ話をしながら飲むものではないと思う。
「もっかい聞くけど生命倫理に反する研究をしていた訳じゃないんだよね?」
「勘弁してくださいよ。アタシ下っ端も下っ端っすから企業理念とかに書いてあることくらいしか知らんっすよ。それに研究内容については外部の人には何も答えられんっすよ。守秘義務っすから」
「じゃあそれは内部の人に聴き取ってもらうとして」
 モミジがハッとした表情で言葉に詰まった。俺の存在を思い出したらしい。
「例の白い子? だよね」
「あいつ何なんすか!」後輩が声を荒げた。「怖いんすけど!」
「あの子を捕まえようと思います」
 それまでカウンター内に立ち、黙って話を聞いていたチトセが口を開いた。
「捕まえられるの? どうやって?」
「あの子たちは光を嫌うので夜にしか現れません。名前を付けてしまったみたいなので、イオリさんとモミジさんの協力があれば、多分」
 ワタシっすか! モミジが叫んだ。
「ていうかイオリ先輩もっすか? えっ、これどっちの責任すか?」
 相手の単独責任であってほしいよな。俺もだよ。
「夜かあ、僕昼休みにしか来れないんだよね。残念」
 高みの見物野郎が。
「あなたの安全が保証できないので居合せない方がいいです。代わりに名前を考えてあげてください」
「え、それ大丈夫なやつ?」
 適当な理由を付けて危機回避したつもりのアホは、綺麗に退路を塞がれていた。
「ただの一般公募や。心配せんでええ」
「じゃあシロちゃん。ねえそれ狡くない? 僕もそれやって」
 コノエはイエモリに安全性を説かれると何の躊躇もなく雑な命名を済ませ、今度はクリームソーダの戦犯二名でトッピングのクッキーについて盛り上がり始めた。カウンターにおもちゃのように並べている。色んな形があるらしい。
「仲良いっすね」
 見苦しい成人男性たちへの感想を雑に総括した後、モミジは氷の上に乗ったアイスクリームがソーダに溶けるのが惜しいとばかりに長いスプーンで掬い出し始めた。
「イオリ先輩もツルギ先輩と仲良かったっすよね」
 あんなん見間違いますよね、と幾らか神妙になった後輩がぼやく。あんなん、というのはたった今シロと名付けられた例の白い人影の事だろう。
「ツルギ先輩に失礼でした。モミジは悪い子」
 ワタシ、戻れますよね? 助けを求めるようにモミジが俺とチトセを交互に見た。
「元気出してください、クッキー乗せますか?」
 チトセが労るように優しく声をかけた。クリームソーダをしつこく強請る悪鬼共に作ってやったばかりか、出会ったばかりの他人に対しても慈悲深い。固辞した俺の分まできっちり作って来たが。
「お気遣い感謝っす。別添でお願いします……」
 食うのかよ。
 まあ、食欲のある内は大丈夫だろう。理不尽な悪意の犠牲になりかける不運に遭遇したばかりだ。せめて彼女が無事で良かった。何も出来なかった俺が言えた義理ではないことは承知している。

 
 ――――あいつオカルト部門新設したってよ、みたいなこと言われちゃってますけど、実際はうちとあっちで真面目に再生医工学の共同研究してるだけっすからね? まあ、ほぼあっちの出資らしいとか、噂で色々聞いてはいたっす。でもワタシ下っ端なんで日々指示通りの作業するだけっした。あの日も普段通り出勤して、通常業務をする予定した。
 ツルギ先輩がご自分のお誕生日ケーキをワタシに受け取ってきてほしいって。皆で食べよって。そんなん行かん理由ないじゃないっすか。午後のおやつに間に合うようにワタシ走ったっすよ。門前のバス停までっすけど。で、めちゃ可愛いお店に一瞬怯んだんすけど、何しろ白衣脱ぐの忘れてたっすからね。場違い感半端ねえ。でもワタシは出来る子なんで、ちゃんと任務遂行したっすよ。ホクホクで戻りのバス降りて門のとこまで戻ってきたんすよ。したらめちゃ大騒ぎになってるじゃないっすか。緊急車両停まりまくってるし。
 そんでワタシ、ピーンと来たんっす。さっきお店でお誕生日ケーキ確認させてもらった時、ああいうの、小洒落たメッセージ書いてあるじゃないっすか。チョコレートのプレートに、『戻らずに逃げろ』って書いてあったんす。目の前のケーキに心奪われて気にも留めてなかったもんで、危なかったっすね。見逃すとこっした。そっと白衣脱いで次来たバスに乗ったっす。
 その日は通し営業の娯楽施設に個室取ってケーキ頂いて寝ました。消費期限あるっすからね。美味しかったです。警察が踏み込んでくるのかなとちょっと思ったんすけど、誰も何も来なかったっすね。翌朝報道が出てるかと思って新聞見たら『実験中の事故?』『死者数名』『行方不明者』とかって見出しが出てるじゃないっすか。で、名前見たら室長と助手さんとワタシ死んでんすよ。やべえなってなるじゃないすか。
 そん時は個人端末もロッカーに入れたままだし、財布しか持ってなかったっすよ。あと慌てて買ったツルギ先輩のお誕生日プレゼント。ふわふわのウサチャンなんすけどツルギ先輩が持ってるとこ見たいと思って買ったやつなんすけど、もうワタシが抱きしめさせてもらいました。ふわふわでした。

「でもあの人の事だから誕生日ってワタシの為に吐いた嘘っすよね」
 昼休みから戻らぬ上司に業を煮やして迎えに来た秘書に抵抗しながらコノエが退店した後、内部の人間と人外だけになったことを確認したモミジは自身に何が起こったのかを話し始めた。
 彼女は一旦話を区切ると、音を立てて最後のソーダを吸い切った。
「生命倫理にはそのうち抵触するんじゃないっすかね。最終的には」
 バラバラの人体パーツを作って一体分集めたとして、それ全部くっつけられる魔法の接着剤なら。
「人造人間作れるっすよ」
 接着剤……。
 人外二名が成程? という顔をしている。言葉のアヤっすよ! とモミジが注釈を入れる。
「詳しくは論文出てるんでそれ読んで頂けると。そんで続きっすけど、心のツルギ先輩にアタシどうしたらいいっすかって縋るつもりでお店の領収書見たら、予約名に先輩の名前と(イエモリ商会)って書いてあるじゃないっすか。天啓! あざす! 番号調べて連絡したらイエモリさんに折り返すから所在どこって聞かれて速攻ここの近くの宿押さえたんす」
 モミジは得意気にふんぞり返った。優秀さをアピールできると思ったらしい。
「宿のご主人には廃業してるけどいいよって言ってもらって、ガチで廃業してましたけど。もう昔からの客が来るときしか開けてないそうで……。素泊まりしかしょうがなかったんで、何日も出来合いのもので凌いでたんすけど、心がひもじくて……夜遊びしちゃお! と思って深夜のアーケード街に出たら……」
 あれが居たんすよ、と今度は怪談の口調で暗く俯いた。
「室内で大捕物はアカンかったなぁ」
「その節は連れて来ちゃってスンマセンっした。イエモリさん、かなり格好良かったんで百点満点付けとくんで許してくださいっす」
「しゃあなしやで」
 イエモリの腕が捻じ切られた顛末らしい。
「それからコノエ先輩んとこで匿ってもらってボールペンの蓋嵌める内職してました」
 何をやっている。
「高級ボールペンっすよ?」
 ムッとする所か。
「ウチで仕入れさせてもろてます〜」
 いいから。
「亡くなった室長さんと助手さんというのは? すみません、心中というのが気になって……。焙じ茶でいいですか?」
「温かいお茶! ありがてえ、頂きます。タルキ教授と助手のネライさんっすね。接着剤の論文書いた人らっす。籍は入れてないって言ってましたけど、カップルでしたから」
 空いたグラスを下げ、チトセが厨房に戻る。カウンターに寄り掛かって書類に何事か書き付けていたイエモリが「お悔やみ申し上げます」と気のない挨拶をした。それに倣ってチトセが控えめに頭を下げる。こりゃどうも、とモミジも頭を下げる。一拍遅れて俺も下げておいた。直接の知り合いではないが、後輩の関係者たちだ。
 湯気の立つ焙じ茶がふたつ並ぶ。チトセに礼を言って片方を取ったモミジは、両手に挟んで指先の体温を取り戻しているようだった。
 いつの間にか、飲んでも減らず諦めた俺の分のクリームソーダがだらしなく濁っていた。

「イオリさん、これラーメン屋さんの券でした。朝のパン屋さんの隣の。ちゃんと使えるので大丈夫ですよ。それと、お腹が空くのは良くないです。ご飯食べてくださいね」
 また夜に来ます、と言ってチトセはイエモリを伴って店を出た。
「……ですって。先輩、何か食べに行きません? 黄金炒飯あるかな?」
 手元に戻って来た謎の紙片改めラーメン屋の半額券は、あっという間に図々しい後輩に奪われた。
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