第10話

文字数 4,635文字

      その十

 あさ美お姉さんに、
「どんな服装が、いちばん反省してる感じが出るでしょうか?」
 と電話すると、お姉さんは、
「たまきくんは指導してただけなんだから、背広なんか着て待ってなくてもだいじょうぶよ。そうねぇ、ティーシャツと短パンでいいと思うな、お姉さんは」
 と励ましてくれたので、さすがにステテコ大あぐらでどっかと座っている勇気はなかったが、それでも白いポロシャツに黒っぽい長ズボンというたぶんそれほど失礼にはならない軽装で、ぼくはすみれクンのお母さまを待つことにしたのだけれど、七時過ぎに、
「ごめんください」
 と大きめの紙袋を提げて船倉荘にお越しになってくれたすみれクンのお母さまは、まずぼくが熱い紅茶と冷たい緑茶を出して正座のままうつむき加減でいると、おもむろに紙袋から、
「どうぞ」
 と二つの箱を差し出してきて、お母さまにうながされるままに、まずギフト用の石けんの詰め合わせのほうの箱をさらにかしこまりつつ開けてみると、なかには得体の知れない色鮮やかな何かが小さく畳まれてびっしり入っていた。
「こ、これは……」
「パンティーです」
「パパパ、パンティパンティー!」
 紅茶のほうをひと口飲んだお母さまは、壁に掛けてあるエッシャーのレプリカをちらっとみると、
「これで納得していただけるかしら?」
 とやや恐縮しながらきいてきて、どうやらお母さまは娘のノーパン認定書(?)を、この詰め合わせ箱提出によって得ようとされているみたいだったが、
「ほんらいであれば、船倉先生にノーパンであることを、きちんとお見せするべきなんでしょうけど、なにしろウチの娘は嫁入り前ですし……それにまだ男も知らないものですから……」
 と弁明していたお母さまは、ぼくが詰め合わせの箱を眼前にしてわなわな震えていると、
「どうぞ、お手に取って、よく吟味してみてください。それがすみれがもっているすべてのパンティーですから」
 とその一枚をこちらの手の平にやさしく置いてもくれて、さらにお母さまは、
「でもこれだと、母親が娘をかばうためにカムフラージュしてる可能性もありますでしょ。ですからわたくし、自分のパンティーもすべて先生に提出することにしたんです」
 と調味料の箱の吟味も許可してくれたのだった。
「さあ、遠慮なさらずにどうぞ。こっちの味の素の箱に詰めてあるのは、すべてわたくしが愛用しているものですから。あっ、そんな純白のだけじゃなくて、ふりふりのついた水玉のパンティーも、お手に取っていただいて、けっこうですよ」
「お母さま、だけどこっちのは、下着としての体を成してないですよね。真ん中にこんな穴が空いてて……」
 この不良品をお手に取られていたためか、黒の物凄い角度のやつを吟味されていたためか、あるいは、
「でも、これがお母さまの全パンティーか、わからない!」
 といま現在のノーパン状況の公開をもとめられたためか、とにかく、このあとのお母さまは、ぼくが花柄の相当はき込んでいるやつに触発されて正座しているにもかかわらず思わず誘ってしまったホテルでの会食も、
「スースーしてて、落ち着かないんです――確認なさったんですから、お分かりでしょ」
「そこのホテル、寿司が食べられるんですよ」
「でも先生、お目目がギラギラしてるし……」
 と辞退してお帰りになってしまわれたのだけれど、かんがえてみれば、先生のほうも、お手に取ったり公開を吟味したりで、落ち着いて寿司などつまめる状態じゃなかったし(十中八九、ハマグリとアカガイを連祷することだろう)、それにきょうはいろいろ用事が重なっていてまだ日課のランニングもこなしていなかったので、ズボンだけランパンにはき替えたぼくは、
「たしかに目が血走ってるな」
 と洗面所でざっと顔を洗ったのちにスローペースで走り出すこととなった。
 つぐみさんの軽自動車のメーターのあれで計った感じだと船倉荘からKの森総合公園までの距離は一キロ弱で、だから一周一キロの公園のジョギングコースを三周回って、そのまま帰ってくれば、だいたい五キロくらい走ったことになるのだけれど、
「けっこうまだクルマ停まってるな」
 と入っていったジョギングコースには、日中の猛烈な太陽を避けたランナーたちが、ちらほら見受けられて、半周ほど走っていると、
「やぁ、しばらく」
 と赤木さんがうしろから声をかけてきた。
「しばらくです。赤木さん、何周目ですか?」
「これから一周目。だけど、いまずうっと、あっちの〈がぶりえる、がぶりえる!〉のほうを回ってきたから、それなりに走ってはいるんだ」
 赤木さんはぼくより年齢は上だが、脚力はぼくよりずっと強くて、こういうコースで普通に走っていると、
「わっ、いなくなったと思ったら、またうしろから走ってきた」
 という感じでどんどん差をつけられてしまうのだけれど、今夜はひさしぶりに会ったからだろうか、ぼくのペースに合わせながら赤木さんはしばし走ってくれて、
「そういえば今度、蔵間鉄山さんの故郷に仕事で行くんですよ。○○村に」
 と「彼岸花」という同人誌を分けてくれた赤木さんにいってみると、首筋の汗をミニタオルみたいなやつで拭っていた赤木さんは、
「いやぁ、あれ、じつはね、その……蔵間鉄山というのは、ぼくの筆名なんだよ」
 とかなり照れながら告白してきた。
「ええ! じゃあ、○○村って、いうのは?」
「ああいうプロフィールもぜんぶ創作なんです。そのほうが書いてておもしろいんだ。船倉くんがいきなり『蔵間鉄山の作品はいい!』なんて、いってくれたからさぁ、それは自分だって逆にいいだせなかったんだよ――申し訳ない」
 赤木さんは同人誌にはまだ載せていないが、新しい中編を最近書き上げたとのことで、
「じつはその中編の主人公、船倉くんからいただいて、フナクラタマキっていう名前にしたんだ」
 とこちらの顔色をうかがうと、
「いいよね? あっ、それから、この公園の柱時計、また動きがおかしくなってるから、あれで計らないほうがいいよ。じゃあぼく、これから上りの練習するんで」
 とまたぞろ自分のペースにもどして、あっというまに暗闇のなかに消えてしまったのだが、いつか会えると夢見ていた菅野啓子ちゃんのモデルは赤木さんが好きだったジュディ・オングだと知って、なんだか力が抜けてしまったぼくは、その周以降も走るスピードを上げる気にはなれなくて――だからアパートまで、
「よりによってジュディ・オングか……せめてフリーチャ・カウフェルトとかジェーン・アッシャーとかだったらな……」
 と最後まで超ジョグペースで帰ると、熱い湯に目一杯浸かって、それから冷蔵庫にあまっているもので、てきとうになにかつまみを用意して、一杯やることにした。
「あれっ、山城さんからの着信だ――風呂入ってるときだな」
 山城さんに折り返しの電話をかけると、山城さんは、
「家ですか? じゃあすぐ、Kの森テレビを観てください!」
 となぜかあせっている感じでいってきて、なんでも今晩の『Kの森、電リク祭り』では、ドンが裏から手をまわして田上雪子ちゃんの『あぜ道をゆく花嫁』を放送させるように仕込んであるらしいのだが、
「能瀬慶子の『アテンション・プリーズ』も十九位まで下がっちゃったか……」
 とこのあとテレビにかじりつくように観ていても、なかなか田上雪子ちゃんの順番はまわってこなくて、しかし五週連続一位は惜しくも逃して今回は第二位だった、相本久美子の『5つの銅貨』が映像なしで二回かけられると、いよいよ司会者は、
「電話リクエストダントツ一位は田上雪子ちゃんの『あぜ道をゆく花嫁』です」
 と当時大ヒットなどと、あからさまな粉飾も交えつつ発表した。
「あれ?」
 一瞬いわゆる砂嵐になったテレビ画面は、そのあと栗原小巻さんと天地真理さんの顔写真がずっと交互にスクロールしているような感じで流れていて、
「故障かな」
 とてきとうにテレビのスピーカーの部分をふーふー吹いたり、花柄の相当はき込んでいるやつで画面を軽く拭いたりしていると、一瞬和服姿の松尾嘉代がにっこりほほえんだのちにおかげさまでテレビの画面は元にもどってくれたのだけれど、司会者が原稿を読み間違えたのか、あるいは局のミスなのか、画面にはどういうわけか、雪子ちゃんではなく、畑中葉子の姿が映し出されていて、
「でも、まあいいか」
 若き日の畑中葉子は、あの平尾昌晃氏とならんで『カナダからの手紙』を立派に歌い上げていたのだった。
『カナダからの手紙』は大ヒットしただけあってやはり映像がたくさん残っていて、もしかしたら番組終了までの残り一時間、ずっとこんなふうにおなじ曲を流しつづけるのかもしれなかったが、まだたしょうあどけなさが残る畑中葉子は、さまざまな衣装を身にまといながら、さまざまな会場で平尾昌晃氏のクネクネした動きに順応していて、そんな彼女を地元老舗洋菓子屋の「わけありプチット・ピーチパイ」を食べつつ漠然と観ていると、ふいに、この歌のやたら上手い女の子は畑中葉子ちゃん本人なのに、横にいる師匠があんなにデレンデレンになって自分を観ているのに気がつかないふりができるほどあたまがいいのに、数年後いろいろ試練があって、ソロ歌手として『後から前から』とか『もっと動いて』とかという歌をまるで心の痛みを麻痺させるかのように発表したり、さらには『モア・セクシー』なんていう、ほとんど全編あえいじゃってるような曲を録っちゃったりしちゃうってことを、
「この時点では、この子はまだ何も知らないんだな……」
 と〝発見〟した。
 翌日、再就職(?)のお礼をいいにわざわざぼくのアパートを訪ねてきてくれた川上さんは、
「はじめまして。電話では何回かお話しましたけど、お会いするのは」
「あっ!」
「ああ!」
 と玄関口でのっけからおどろいていて、というのは川上さんは健康センターの浴場で例の過剰サービスをおこなっていたビキニのあの婦人と同一人物だったからなのだけれど、恩返しに昼食をつくってくれるという川上さんは、せまいキッチンで手際よく料理の準備をすると、そのうち、
「いけない、ほんだしわすれちゃった……」
 と味の素のギフトの箱を物色してパンティーの詰め合わせものっけから発見していて、とうぜんしどろもどろになったぼくは、昨夜のあの〝発見〟を熱弁して話題をそらそうとしたり、
「これはお母さまが、娘をおもおもおもおもおもんぱかってですね――」
 と正当性を主張したりしたのだが、川上さんは結果的にこんなにもたくさんのパンティーを所有してしまっているぼくに疑いの目を向けるどころか、
「すごーい。凄すぎる」
 とむしろ感心しきっていたのだった。そしてあきらかに畏敬の念もいだいていたのだった。
 川上さんはぼくの助手になりたいと哀願してきて、だからぼくは、
「川上さんも俺たちと同じ部署にたぶん配属されると思うよ。まあ部署とかは、べつにないんだけどね」
 と今後あてがわれるだろう仕事のことをざっと説明したのだけれど、川上さんのような明るい人がわれわれの仲間になってくれるのであれば、ときどきドンの一人娘がおっつけてくる訳の分からない奉仕活動もたのしくこなせるような気がしてきて、川上さん特性のハマグリご飯とハマグリのお吸い物をいただきながら、ぼくはあらためて〝新しい人と出会う〟ということに、踊り出したくなるほどのおもしろさを感じていた。


    了
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