第3話

文字数 3,176文字


      その三

 こうべを垂れつつも、
「ぜったいスーツですよ」
 と山城さんに何度も釘を刺していたので、翌日の山城さんは、
「窮屈だなぁ。暑いし」
 とこぼしながらもきちんとネクタイまでしめてきてくれたのだけれど、ぼくが知っているかぎり、ドンと会うのにティーシャツなんかで、
「ねえ、オヤジさん」
 とこの邸宅に入っていけるのは、実の息子さんたち以外ではドキュメンタリー作品を撮っているあの三原監督くらいで、内府からきいたところによると、ドンの名付け子には弁護士になったり議員になったり金髪を娶ったりと、かなり出世した子たちもいるらしいのだが、ドンはそんななかでも三原さんをいちばん気に入っている感じがする。
 ドンの好物のひとつは――これはファミリー内では暗号でもあるのだが――カツカレーということになっていて、厨房をのぞくと、次男の二郎さんが案の定大きめのロースカツを、
「うん! よく揚がってる」
 と高価そうな包丁でザクザク切っていたけれど、料理が得意とはいえ、同居しているわけでもない二郎さんがわざわざM地区からおもむいて昼食の用意をしているのは、要は長男の嫁さんをうまく外すためで、ドンはわれわれの一部にだけは、嫁をファミリーの仕事に関与させないのは、溺愛している実の娘さんから助言を受けてのことだと明かしているのだ。
 カツカレーパーティーでカムフラージュされたこの秘密会議に出席しているのはドンをのぞくとぼくと山城さんと内府の三人で、次男の二郎さんは、これはいつものことなのだけれど、こういう込み入ったことにはかかわらないで、ただひたすら、
「船倉くん、赤ワインもあるよ」
 などとわれわれの食事の世話をしてくれていたのだが、カツカレーだけでなく、お昼からマカロニグラタンをもお口をほぐほぐさせつつ食べていた八十路のドンは、真夏にカツカレーやステーキを摂取する重要性を説くと、
「まずワシは謝らなくちゃならない。やっぱりG=Mの案を尊重すべきだったんだ。ワシの判断がまちがっていた。船倉くん、すまない」
 と唐突にあたまを下げてきて、もちろんそんなふうにされたぼくはG=Mとしてどんな案をかつて出したのかもわからないままに、ドンよりももっともっと低く、ほとんど這いつくばるように恐縮していたのだけれど、しかし二郎さんに注いでもらった赤ワインをグビリとやったのちに首をかわいくかしげて記憶をたどってみると、たしかに「森中市長のお詫び行脚大作戦」という案を昨年末のカツカレー会議のときかなんかに、わたくし二代目G=Mは出していて、というのも、手もとにあった資料に記されていた○○村というところが、じつはあの無名の大作家、蔵間鉄山の故郷であり、なおかつ鉄山の全作品の舞台だったからなのである。
 鉄山との奇縁を説明しようとすると、またぞろミユキちゃんの話にもどってしまうのであるが――とにかく色の白いミユキちゃんが例の土地成り金の家に嫁いでしまった年は、おそらくこの界隈だけだろうけれど『太陽にほえちゃう?』というKの森テレビ制作の刑事ドラマがたいへん流行っていて、それは、あそこの土地成り金の道楽息子の野郎が新婚旅行に旅立つさいにセカンドバッグ刑事とおなじような格好をしていたほど多大な影響をあたえていたのだった。
 つぐみさんと、
「あの刑事、なんで朝からスパゲティー食べてるの? たまきくん」
「この刑事、ニックネームはいちおう『ボロネーゼ』なんですよ。あまり出てこないけれどね」
 とまめにディスカッションしていたぼくも当時はかなり夢中になっていて、それはお部屋着だけでなく、お出かけ着としてもランニングパンツをもちいるほどの入れ込みようだったのだが、ミユキちゃんの結婚とランパン刑事の殉教というダブルパンチを受けた九月のおわりに、
「ちょっとこの格好だと夕方は肌寒いな。おしくらまんじゅうする異性もいないし……よし!」
 とからだをあたためるために公園を走ってみて、
「あの黒いタイツみたいなのをはいてた女性ランナー、けっこうむちむちしててよかったな。あとバードウォッチングの婦人も小柄でよかった」
 とふさぎ気味だった気持ちが払拭された感覚をたまたま味わったぼくは、これ以降ランニングをよりどころにするようになって、
「それで健康センターのジムでもしょっちゅう走ってるんですかぁ、アチッ」
「あっ、もっとお口をほぐほぐさせて食べなくちゃ、山城さん」
 まあ一年後にはKの森総合公園でおこなわれるハーフマラソンの大会にまで参加するくらいになったのだが、この大会で知り合った赤木さんとおっしゃる年配のランナーは『彼岸花』という小説の同人誌にたずさわっていて、マラソンの大会とか豚汁みたいなやつの大会とかのたびに一冊二冊とその同人誌をぼくに分けてくれて、そしてあるとき、
「ん? この小説の読感は何なんだ!」
 と『彼岸花』に作品を載せていた蔵間鉄山を見出したのである。
 やけどした舌を冷やすという名目でラガーの大ビンをもう一本開けた山城さんは、われわれへの説明を終えて、またカツカレーを旺盛に食べだしたドンに、
「でも、なんで○○村なんですか? 選挙、関係ないじゃないですかぁ」
 と無謀にもきいていたが、そもそも市長がお詫び行脚をするのは、去年の秋に地元の小学校の運動会で三時間も悦に入って得意のごあいさつをして、低学年の女の子を貧血だか熱中症だかにしてしまったからなのであって、女の子の田舎というか本籍地が○○村だと知った当の森中市長は、
「わたしは船倉さんの指示にしたがい、その村をくまなく行脚する! たしかに、あっちでやったほうが、選挙に関係ないのだから、誠意が伝わるはずだ!」
 ともう去年の暮れから大乗り気でいるのだけれど、○○村に栗原小巻のそっくりさんが住んでいる(らしい)という情報を幕臣経由できいたドンは、またぞろ栗原小巻関連で市民から批判を受けるのを懸念して、先の案をいったん棚上げにしていて、しかしこちらの幕臣情報はどうやら若干の手違いがあって、○○村には栗原小巻ではなく、天地真理のそっくりさんが隠遁している(らしい)と最近判明したみたいで、で、いよいよわれわれは、この「お詫び行脚大作戦」の段取りを組むことにあいなったようだ。
「トビッキリファミリーが勢力を拡大しています。そろそろなにか手を打ったほうがいいのでは」
 と提案した内府に、
「ワシもその必要性を感じている」
 と首にかけたナプキンで口もとを拭き拭きしつつこたえたドンは、
「健康というのは、不健康になって、はじめてそのありがたみがわかる。だから、市民が根底から健康になるというのは、われわれの存亡にじつはかかわる。絶倫もので、元気になり、秘事に精進しすぎて、体調を崩す。そんなときに、われわれが青汁やサプリメントを差し出す。体調がよくなった人間には、絶倫ものをまた提供する。突き落とすのもわれわれで、手をさしのべるのもわれわれなのだ。
 水というのはある意味完結している。これをもって健康をめざす人間はもう秘事にもどってこないかもしれない……たしかに手を打つべきだな」
 と立ち上がりながら説くと、ソファーのほうに移動して、ぼくに「そばに来るように」という仕種をしてきたが、そこで耳打ちされた内容はつまるところ、この一件は全面的にG=Mに任せるうんぬんというもので、抱擁したのちに現G=Mのほっぺをやさしくつねったドンは、
「先代のG=Mは、船倉くんのことを自分以上に素質があるといってたぞ」
 とささやくと、またテーブルにもどって、二郎さんにマカロニグラタンのおかわりをしていた。
「みんなも、おかわりあるぞ。あっ、ちがうちがう。いいかい、グラタンが熱かったら、こうするのだよ、内府」
「おお、見事なほぐほぐですな。ドン」
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