第8話

文字数 3,234文字

      その八

 全盛期の河合奈保子ちゃんは、いつも異常なほど素直にお返事していて、歌っている最中にファンが花束や民芸品を手渡しに寄ってくれば、その人たちにもいちいち過剰に笑顔を振りまいていたわけだけれど、しかしそんな奈保子ちゃんは、休憩中とか休日とかに普通にお食事していると、常日頃それだけ素直にお返事しているだけに、
「ねえねえ、河合奈保子ってさぁ、自分がエビピラフ注文したくせに、アタシが『エビピラフのお客さまは?』って聞いても、ぜんぜん素直にお返事しないのよ。いちおう規則だからこっちも聞いてるのに。なにさツンツン。あれ、テレビだから、いい子ぶってるのね」
 とウエイトレスさんからいわれのない非難をあびてしまうこともあって――ナンバーツーの内府はマコンドーレが善をおこなうさい、かならず一度はこの教訓を口にするのである。
 トビッキリファミリーは過剰なサービスを展開したがために奈保子ちゃんとおなじような目にあったのかもしれなくて、というのは消費者の質問には親身になってなんでもおこたえするようおそらく指導されている川上さんが、
「美の伝道師さんて、ほんとうにエウロパの天然水だけで、コンシーラーを二度塗りしなくてもよくなったんですか?」
「あれは、ぜんぶウソなんです。だってエステ代とか、本部から出してもらってるんだもん。わたしには『毎晩日本酒一升くらい飲んでるから、それで肌がきれいなのよ』って、秘密を打ち明ける感じでいってきましたけど、そんなわけないですよね。エステと化粧の技。エウロパの天然水だって、たしか国内の浄水場で汲んでるんです」
 と奉仕の精神でぼくの質問にどんどんこたえていたからなのだけれど、数日後、この報告を受けたドンと内府は、
「美の伝道師さんはいわゆる〝片づけられない女〟で、部屋なんかも足の踏み場がないくらい散らかってるらしいんです。ですから、ゼツリンフィーバーマンに突撃させて、美という幻想を、偶然を装いつつ打ち砕いていきましょう」
 というG=Mの案にすぐ賛成の意をしめしてくれたので今週の『突撃となりの食生活』はわれわれスポンサーの強い要望もあって朝食調査の回に急遽変更されていて、先ほど、
「ウイスキーもボトル一本空けていたし、赤ワインもがぶ飲みしてました。べろんべろんよ♪」
 と川上さんから連絡をもらったぼくは河合奈保子ちゃんみたいに、
「はい!」
 と素直にお返事することで山城さんに秘密のゴーサインを送ったので、いよいよマコンドーレは天敵のあのトビッキリに最初の奇襲を仕掛けるのである。
 インターホン越しの、
「突撃となりの食生活でーす」
 というゼツリンフィーバーマンに、
「ワオワオ♪」
 とこたえていた美の伝道師さんは、玄関口にシャンプーハットをかぶりながら出てきたことからもわかるように、あきらかにまだ酒が残っていて、
「さあ、きょうの朝ごはんは、なんでしょうかぁ!」
 と声を張り上げつつゼツリンフィーバーマンがお部屋のなかにずかずかあがりこんでいくと、
「ああ、そっちは浴室~」
 といいながら美の伝道師さんは衣類の山につまずいて、またべつの衣類の山と山のあいだに埋もれてしまったりしていたのだけれど、埋もれている最中シャンプーハットを取って代わりに水泳用ゴーグルを装着していた美の伝道師さんは、四種類の泳ぎの動作をしたのに新聞紙の雪崩になかば生き埋めになっていたゼツリンフィーバーマンに結果的に黙殺されると今度は衣類の山に寄り掛かるようにしてホントにイビキをかきだしていて、それでも、
「たとえ夜更かししても、朝食だけは取らなくちゃいけませんよぉぉぉぉ」
 とゼツリンフィーバーマンに故郷のお母さんのように注意されると、
「はい」
 とバネのように上半身を起こして、コタツテーブルのほうに美の伝道師さんは這っていった。
 真夏なのにいまだに布団が掛かっているコタツテーブルの上には食べ散らかしたコンビニ弁当やカップラーメンがそのままになっていて、ゼツリンフィーバーマンが、
「朝食、もう用意してあるんですねぇ」
 とソーセージに着目すると、もよりの競馬新聞を首もとに突っ込んでナプキン代わりにした美の伝道師さんは、手にしたソーセージのビニールを歯で引きちぎって、むしゃむしゃ食べだすことになっていたのだけれど、さらに試供品と思われるビン牛乳のフタも歯で取っていた美の伝道師さんは、半分以上ばらまくようにして開けたドデカベビースターをお茶請けにして、それをゴクゴク飲むと、
「こんなちっちゃいビンのじゃ足りないなぁ……」
 と散らかったドデカベビーともともと散らかしてあった通常ベビーをつまみつつ、つぶやいていて、それを聞いたゼツリンフィーバーマンが気を利かせて冷蔵庫から一リットルパックの牛乳をみつけてくると、美の伝道師さんはその牛乳も喉を鳴らしてゴクゴク飲んで、撮影しているカメラに勢いよく吐き出していた。
 牛乳の紙パックにはパーマンの変なニセモノみたいなやつが羽織袴で新年のごあいさつをしている絵がプリントされてあって、だからこの牛乳は賞味期限などではとうてい測れない次元にまで風味を昇華させていたのだろうが、カメラマンがようやくレンズを拭き終わって、ふたたび美の伝道師さんを映しはじめると、いつごろからか、コンビーフのかたまりをダイレクトにかじっていた美の伝道師さんは、よかれと思ってゼツリンフィーバーマンが開けたタッパーより放たれた異臭を受けてゼツリンフィーバーマンとともに衣類の山までふっ飛んでいて、数分後ようやく起き上がったふたりは、呼吸を整えるためにペットボトルのミックスジュースを乾杯しつつ飲んだのだが、けっきょくその液体も観ているこちらに勢いよく吐き出していた。
 美の伝道師さんは、
「お料理のときも、わたしはこのエウロパの天然水をつかってるんですよ。それが自分らしく生きることだから」
 とほうぼうで公言していて、先日のキャンペーンのときも、
「得意料理はなんですか?」
 という質問に、
「和洋中、すべて」
 などと豪語していたので、ぼくは得体の知れない液体を飲んだために茫然自失となっている山城さん(ゼツリンフィーバーマン)に、
「料理を作らせてみてください。それで最後にビタミン不足だとかなんかてきとうに因縁をつけて、ゼツリン青汁を薦めましょう」
 と指示を出してみたのだけれど、片耳に携帯のイヤホンを入れている山城さんはわたくしG=Mに、
「料理、料理。山城さん、料理やらせて」
 と何度も鼓膜を刺激されると、ようやく美の伝道師さんを、
「自炊もされるんでしょ。なにか、つくってくださいよ。きっと手際がいいんだろうなぁ」
 とまたぞろ起こしてくれて(美の伝道師さんは再度イビキをかいていた)、すると美の伝道師さんは、
「わたしはテレビショッピングで、よく食材を買ってるの。なぜなら三十分以内にご注文すると、シャンプーハットが四個も付いてくるから」
 と立ちあがって、冷蔵庫からおもむろにタラコだかめんたいこだかを取り出してきた。
 先ほどタッパーの異臭を体感している美の伝道師さんは、さすがにこれを生のまま食べようとはせず、
「まず、タラコに火を通します」
 となぜかカメラ目線で述べると、
「きょうは時間の関係で炭火はつかいませんが……」
 などと言い訳しながら電子レンジのなかにタラコを入れていたのだけれど、
「うん、これは、そんなに古くないですね」
 とタラコをみて安堵していた山城さんがこのあと美の伝道師さんとともにふたたび衣類の山にふっ飛んだのは、このそんなに古くないタラコが電子レンジ内で設定時間の手違いにより超新星爆発をおこしていたからで、よれよれのゼツリンフィーバーマンは、どうにか自分でマコンドーレ製の青汁をシャカシャカつくると、
「おいしいぜ、フィーバー……」
 といつもは突撃を受けた市民にいってもらうセリフをつぶやいて、強引に番組を締めくくっていた。
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