二、オレンジジュースとエトセトラ

文字数 3,370文字

「恋人がほしい」
 椅子に座るなり松尾が言った。
 そうだなと答えながら僕はストローを咥える。
 いいんじゃないと続く西山も、ポテトを摘む手を止めない。

「二人ともノリ悪いね。どうしたの、テストだめだった?」
「やめろよ、そんな過去の話」
 勉強漬けの毎日の中でささやかな、かつ数少ない楽しみである昼食の時まで受験臭のある話をしたくはない。終わった小テストごときを話題にしても意味がない──出来はともかくとして。
「俺が未来の話をしようとしてんのに反応悪いじゃん」
 それにテストはまだ現在進行形で採点中だよと松尾が言う。

 講習の後はいつもこうして駅前で、懐に優しいハンバーガーを食べながら他愛ない会話に興じている。日によって顔ぶれが変わることもあるが、だいたい松尾と西山と僕は一緒にいる。見た目通りお調子者で小心者の松尾と、見かけに寄らず淡々と飄々としている西山。駅前の飲食店はどこも、夏休みということもあって学生や親子連れが多く騒がしいが、僕らも大概五月蠅いのでちょうど良い。

「恋人、欲しいけど受験生には無理だよ」
 西山が指についた塩を落としながら答える。
「なんで無理なの」
「なんでって、恋愛より勉強が大事って人多いし。うちのクラスもそういう空気だし」

 松尾は呆れた顔で大げさに首を振り、
「確かに勉強は大事。でも恋愛と比べるものじゃなくて、どっちも大事。受験がゴールじゃないんだから、今のうちにいろんな経験も積んでおかないと将来手詰まりになるよ」
 白々しく一呼吸置いて言葉を続ける。
「俺たちが無事に第一志望の大学に合格したとして、高校三年間ただ勉強してただけの人間に華やかなキャンパスライフがあると思う?新しい環境で上手くやってくには高校での笑えるエピソードの一つや二つ持ってないと困るし、ちょっと悪ぶった経験でマウント取る必要も出てくる。高校生活を充実させること、つまり青春を謳歌することは今楽しいだけじゃなくて、少し未来への投資だよ、分かる?」

 彼は四か月前、春にも同じようなことを言っていた。勿体ぶったようなわざとらしさは置いておいて、一部正しい面もあると思うが、そもそも青春するって何をするんだか。
 社会性とか人間力とか人と人との繋がりとか、聞きかじったような御託を並べて──要するにただ遊びたいだけの松尾がピースサインを突き出して
「そう、青春と言ってもいろいろある。とはいえ夏の代表的青春的行事は大きく二つしかない」
 二本の指をぐっぐっと曲げて伸ばして、ニッと笑った。

「てなわけで、その一つ、夏祭りグループデート大作戦を開始する」

 いいんじゃないと投げやりに答えて、僕らはポテトに手を伸ばした。


「もうちょっと興味持ってよ」
 松尾が大きくため息を吐く。

「そう言われてもな。実現しそうにないから」
 僕の言葉に西山も頷く。
「まっつん、『梅雨の間に女の子と相合傘大作戦』も成功してないし」
「そう、だからこそ、その反省も踏まえての今回だよ」
 反省と彼は言うが、毎度馬鹿みたいな作戦を宣言するのを楽しんでいる節がある。夏休み前まで、相合傘大作戦という名前の通り、梅雨にかこつけて女子生徒を傘に入れてあげる、あるいは入れてもらうことを企んでいたのだが、下校時間と雨のタイミングが合わなかったり、いざその機会が来ても怖気づいて声をかけられなかったりと結局──予想通りに、達成されないまま梅雨が明けてしまった。

「条件が揃うまで始まらない点で実現性が低かったよね。ちょっと運も悪かった」
 だから次はあれ、と笑いながら彼が指した壁には、駅前の夏祭りのポスターが貼ってあった。
「毎年お盆に二日間やってるお祭り。規模は大きくないけどね。なんと講習と日程がかぶってる」
 ……ポスターを見ると確かに日程はかぶっている。
「わざわざあらたまって夏祭りに誘うよりハードル低いし、成功する確率は高い」
 ……まあ比較すれば多少はそうかもしれない。
「時間も場所も決まってる。小雨決行。偶発的な要素は少ない。今回はいけると確信している」
 松尾は握りしめた右手をぐっと目の前に掲げた。最後の飛躍がとんでもない。
 無理だよと西山が言う。
「まっつん、女子誘えないし」
 余談だが、西山は松尾のことをまっつんと呼ぶ。別にまったく構わないが、そう呼ぶのは彼だけだから違和感があるし、彼自身は西山としか呼ばれていないから変な感じがする。

「大丈夫、誰でもいいから手当たり次第声をかける。勢いで、顔が良い順に。全部梅雨が教えてくれた」
「最低だ」
 西山と僕の声が揃う。それには構わず松尾は続ける。
「普通科も同じ日程で講習なら、園田さんか神崎さんを巻き込みたい。それか、部活で来てたら高槻さんとか狙いたいね」
「高槻って、七組の?」
「そう、弓道部の元気で明るい美人」

 僕たちは一組で、二組と合わせて普通科特進コース。三組から五組を単に“普通科”と呼び、一組と二組は同じ普通科ながら“特進”と呼ばれる。さらに六組から八組はスポーツ科になっていて、教室も離れているから顔を合わせることはほぼない。
 それぞれカリキュラムが異なるため、五組までの夏期講習が同じスケジュールかどうかは定かでない。スポーツ科はそもそも講習などなくて、たいていは最後の大会に向けて部活動に励んでいる。

「駄目だったらうちのクラスで我慢するしかないけど」
 そこで松尾はふと言葉を止めて、そういえば、と僕の方を向いて尋ねた。
「さっきテスト終わったあと、岡本のこと見てなかった?」
 
 危うく飲んでいたオレンジジュースを吹き出すところだった。


「岡本さんを見てたわけじゃないけど」
 ストローでカップの中の氷をジャラジャラとかき混ぜながら、何でもないことのように答える。
「いい天気で暑そうだなって外眺めてて、そしたら岡本さんも空見てて、その横顔がなんというか……」
「エロかった?」
 松尾が茶化すように言葉を奪う。
「そんなんじゃないって」
 強く否定すると余計に変な感じになりそうで、かと言ってあの時の艶っぽい雰囲気とか感情をうまく説明する語彙もなくて、僕はちょっと笑って誤魔化した。
「岡本も素材は悪くないんだよ。極端に無愛想なだけで」
 上から目線で松尾が勝手なことを言うが、実際に岡本さんは不機嫌そうに見えることが多く会話はほぼ続かない。誰に対してもその態度で、男女関係なくクラスメイトと会話している場面を滅多に見かけない。

「さっき誰でもいいって言ったけどごめん、岡本は誘えそうにない」
「それは残念」
 冗談っぽく言う松尾に、冗談っぽく言い返す。
 そもそも岡本さんでなくとも女子を誘えるとは思っていない。手当たり次第と言っても話したことのない相手に、一緒にお祭りに行こうと声をかけるのは簡単じゃない。松尾の性格からしても口だけで終わるだろう。

「理想は、例えば駅でたまたま三組の女子が誰か困ってて、それを俺が助けて、そこからちょっとずつ仲良くなって、受験生だからって勉強ばっかだるいよね青春したいねって話になって、今度友達と夏祭り行くけどどう?このままだと男三人でむなしいから三組の友達誘って一緒に行こうよってなるパターン」
「そんなパターン無いよ」
「あるかもしれないじゃん。あったらどうする?」
 別にどうもしない、あったら僕も嬉しいよ。そう言おうとした時、テーブルの上の松尾の携帯電話が小刻みに振動し始めた。
「電話?」
「うん、小林。電話ってめずらしいな」
 そう言って通話ボタンを押す。
「もしもし、どうした?うん、駅前。猫?まじか。三組の?うん。おれは空いてる。おう、了解。はーい。」

 なんとなく状況は察したが、松尾の言葉を待つ。
「猫、探してんだって。三組の相川さんとこの猫で、たぶん家がこの辺なのかな、まだ駅前で暇つぶしてたら手伝ってほしいって。今から小林が来る」
 話している途中から、もう松尾の口元は緩んでいた。先回りして言ってやる。
「……そのパターン、あったな」
「な。ほらな。三組女子を助けて夏祭り一緒に行こうよってなるじゃん」
 当然、まだ猫も見つかっていないし、猫を見つけたところで夏祭りに行こうとは、普通ならない。たださっきまでより少しだけ、楽しくなりそうな風が吹いている心地がした。
 溶けて薄まったオレンジジュース、濃い夏が迎えに来たかもしれない。
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