一、僕しか知らないと思っていた事

文字数 1,563文字

 
 いつも、頑張らなくても許されるような言い訳を探していた。
 失敗しても笑えるように、本気にならずのめり込まず、適当にやってそれなりの結果を出すのが最適解で、一番を目指すのは燃費が悪い。熱いのはダサい。なんとなくそう思っていたし、みんなそう考えていると思っていた。
 朝から走り回る野球部員を見て、よくやるなと感心しながら、絶対嫌だなと考えたりする。熱中症にはくれぐれも気を付けてもらいたい。もっともあちらからしてみれば、夏休みなのに朝から教室で勉強する方がイヤだと感じるに違いない。僕らだって勉強が好きなわけではないのでその言い分は理解する。
 今年は梅雨が長く冷夏だなんだと騒がれていたのに、八月に入った途端に本気を出した太陽が煩くギラギラと照りつけてくる。不健康なほど閉め切って冷やされた教室で机前に座らされた僕らは、点Aを通りx軸に接する円の中心の軌跡を黙々と求めさせられていた。隣の席からも後ろからもガリガリと、青春をすり潰す音が鳴る。
 窓の向こうからは野球部の掛け声と、白球を打ち返したであろう金属音が聞こえてくる。遠くで吹奏楽部のロングトーンが響く。

 うちの高校には普通科とスポーツ科があって、普通科の中でも希望進路と成績によってクラスが分かれる。スポーツ科の、推薦で進学するような生徒は毎日熱心に部活に励んでいるし、取柄のない僕らはとりあえず良い大学に入るために長期休暇も講習と称された授業を受けている。
 講習は午前中だけで、今日もこの数学で終わり。抜き打ち的に配られた確認テストには溜め息しか出ないが、それも五分後に鳴るチャイムで終了となる。講習の小テストの出来なんて誰もあまり気にしていない。
 ひと通り解き終えた問題をざっと見直し、手を止めてペンを置いた。残り時間で書き換えて正解が増えることはそうそうない、と、諦めと言い訳に心をゆだねて、時計から窓の外へと視線を移す。夏らしい青空が静かに校舎を覆っている。
 余談だが、夏は空と海の印象が大きいせいか青が映えるように思う一方で、暑さや灼熱の太陽から赤や橙など暖色のイメージも連想される。この、水系統と火系統の相反する技を両方使えるような強キャラ感がとても好きだ。可能な限り敵にしたくない。
 窓際の席の女子生徒が同じように空を見上げている。彼女も無駄な粘りは不要と考えたのだろう。この時間帯は方角的に、外が綺麗に見える一方で、教室内に日差しが入らない。校舎をこの向きに建てて良かったのかと疑問に感じるが、直射日光を浴びずに済んでいるのは幸いである。
 窓の外を見ている風を装いながら僕は、チャイムが鳴るまで彼女の横顔を眺めていた。白い肌に色づいた頬、外界の陽光を受けて影が落ちる。唾を飲み込む音が、周りに聞こえてしまう気がした。

 回収した答案用紙を抱えて数学教師が教室から出て行った。入れ違いに担任が来る。
 連絡事項は特にないと言いながら、勉強受験体調勉強と昨日も聞いた諸注意が繰り返される。おそらく誰も、ほとんど聞いていない。聞いていないことを分かっているから、担任は何度も繰り返すのかもしれない。
 受験勉強が大切なことも、それを自分で選んだことも分かっている。だけど、空がこんなに青いのに、教室で机にかじりついて終わらせてはいけないという気持ちもある。頭で分かっているからと言って、心から放棄したわけではないのだ。
 終礼の後、クラスメイトはそれぞれ立ち上がり誘い合って教室を出ていく。じゃあまた明日と言いながら定型化された組み合わせで帰っていく。ふと窓の方を見遣る。彼女はまだ席にいた。

「昼ご飯食べて帰ろうぜ」
 松尾に声をかけられて即座に視線を戻す。立ち上がりながら、そうだなと鞄を掴んだ。
 ──誰も知らない。僕が見ていた唇と頬の赤、君が見ていた空の青、夏。
 
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