五、頭を動かせ。あと手足も動かせ
文字数 3,333文字
百歩譲って、夏休みにも授業があるのは許すとして、終業式の日に出された夏休みの宿題があるにも関わらず夏期講習でも後出し的に別途宿題が出るのはどういう了見か。僕らは沈黙しない。横暴だ、二重課税だと抗議するが、どの教師も “当該範囲の小テストをすると伝えただけ” と口を揃える。
学習済みの内容の確認であって宿題たらしめているのは習得が足りていない一部の生徒の自己責任だと言う。そうだとしても、ここでのその「一部」がうちのクラスにおいてはおよそ九割にあたるとすれば、
「これはもう、民意が蔑ろにされている」
松尾が不満を露わにする。
講習が終わってすぐ、作戦会議をするからとあらたまって招集された僕らは、塩気多めのポテトを摘みながら、演説じみた愚痴を聞かされていた。
「で、本題ね。良いニュースと悪いニュース、どっちから聞く?」
「悪い方」
迷いもせず、心底どちらでも良いという表情で西山が答える。
「よしじゃあ悪い方。確認してみたら、三、四、五組の夏期講習は別日程らしい」
「……計画終わったじゃん」
終わってねえよと松尾が言う。
「理想通りじゃなくなるだけ。部活勢はいっぱいいるし、最後は一組女子もいる」
一組を強調するかのように、右手の人差し指を立てた。
「良いニュースは?」
僕が尋ねると、立てていた人差し指をこちらに向けて、
「その一組女子が、俺らと同じように祭りに行く計画を立てているのを聞いた」
「へえ、誰?」
「河原たち」
「まあそうだろうな」
「お祭りの日、講習の後、夕方まで勉強してから行こうって言ってた」
だとすると、僕らも教室に居残って勉強していれば、便乗できる可能性はある。
一組はその性質上、男女とも比較的大人しい人間が多いし、恋愛だ青春だという雰囲気が無いので、勉強ができれば身なりがおざなりでもクラス内の地位は保てる。そんな中で、根は真面目ながら制服の着こなしや髪型など気を遣っているのが河原を中心としたグループである。
「もうここを主軸に戦略練ってもいいんだけど、ちょっと手近過ぎる気がするから、当日までもう少し高みを目指しながら並行で進めようと思う」
好きにしてくれ。こんなことに戦略も何もないと思うし、その高みがどこかも分からないけど、勝手に動いてくれる分には僕はまったく構わない。
「で、もう一つ妙案があるんだけど」
わざとらしく躊躇うように松尾が少し声をひそめる。こう言うときは大概ろくでもない案が出てくるのだが、まあ聞こう。法に触れず、実現性があるなら協力はするよ。
「相川さんに声をかけるのはどうかな。家がこの辺りならその日に学校がないとかは関係ない」
なるほど、でもそれは……。
「今はお祭り楽しもうって気分じゃないだろ」
「今はね。でも来週ぐらいには、家に籠ってても気が滅入るだけで、外に出る方がいいってなってるかもしれない。俺たちは大した知り合いじゃないから、変に遠慮せず連れ出してあげられるってことない?」
「まあ無しじゃないかも」
西山が唐突に乗りかかる。
「お盆って供養だし、お祭りって“祀り”だし」
いつもなら僕といっしょに松尾の妄想と暴走を諫める役回りなのに、何か歪な納得の仕方をしている。もちろん相川さん本人が望むなら喜んで連れ出すが、
「じゃあ行く、とはならないだろうね」
「そうかなあ」
そんなことないと思うけど、と松尾が首をひねる。
「見つけたお前が誘えば来るから、頼むよ。猫の声が聞こえるとか何とか言って」
「それは絶対に嫌だ」
騙そうとするには粗すぎて恥ずかしいし、大した知り合いじゃないのに冗談を投げる面白くないやつと思われたくはない。万一信じられてもそれはそれで困る。
「けち」
冷たいよなと西山に同意を求めているが、それには取り合わない。今度はまともな応対で助かる。
ちょうどその時、まさに話題の人物が、店に入ってくるのが見えた。
「あれ、相川さんじゃない?」
少し頭を下げて、声を抑えて二人に伝える。
「ほんとだ。相川さんと、新庄さんだ」
僕には分からなかったが、一緒に入ってきた女子も同級生らしい。その二人を目で追っていると、相川さんがこちらに気づいて「あ」という顔をした。思わず首だけで会釈する。……それで終わりだと思いきや、相川さんは律儀にも僕らのテーブルへ近づいてくる。コミュニケーション強者か。ご賢察の通り僕らは、女子との会話がほんの少し、苦手である。
「昨日はありがとう。ちゃんとお礼言おうと思って……ここにいるって聞いたから」
「え、ああうん。そんな、わざわざごめん」
たまたまここに昼食でも食べに来たのかと思ったが、どうやら丁寧に会いに来てくれたらしい。まだ寝込んでいても許されるのに、育ちの良さが出ている。
「それで、もう大丈夫?……じゃないよね」
どうにか言葉をひねり出す。口を出た瞬間から、余計な事を言ったなと思ってしまう。
「うん、大丈夫じゃない。けど、家でじっとしてたらいろいろ思い出しちゃうから」
強い人だ、と思う。目の周りが少し赤くなっていて、ずっと泣いていたことが窺える。それでも今は元気に振舞ってみせている。誠実ゆえに無理をしそうで、友人が心配して付き添うのも分かる。
一方で、こちらに何か物申すように松尾が視線を送ってくる。この状況で誘えるわけがないだろ。自分でやれ。
ちょっと変なこと聞いてもいい?と相川さんが尋ねる。
「その……動物の幽霊とか視える人?」
唐突に何だろうかその質問は。全然視えないけど。
「昨日のあの場所、私じゃ絶対見つけられなかったから、その、そういう人かなって」
そんなわけないよねと言って彼女が謝るので、こちらこそ申し訳ない気持ちになる。当然ながら幽霊は視えないし、実は夢に出てきかたら後をついて行ったともまさか言えない。
「ほんとたまたまだよ。日陰とか、人目につかないところを探してただけで。あの公園にいなかったら諦めて引き返そうと思ってたぐらい」
「そっか、そうだよね。ごめんね変なこと聞いて」
全然、僕は構わないけど、相川さんの表情は残念そうだった。どこまで本気なのか分からないが今後、猫霊が視えるとか猫の声が聞こえるとか、変な人に騙されないでいてほしい。
「あああ相川さん新庄さん!良ければお盆のお祭り僕らと一緒に行きませんか!」
会話がなくなってしまった僕と相川さんの間を埋めるように、急に松尾が声を上げる。その度胸には感心するが、連絡先を聞くところから始めた方が良かったんじゃないか。
「えっと、お盆はおばあちゃん家行くんだ。ごめんね」
女子二人で顔を見合わせた後、”妙案”はあっさり棄却された。
「相川さんは補欠案だったから……」
彼女らが帰った後、松尾は肩を落としながら、それでも計画に支障はないと強がっていた。
地元住民からしてみると、駅前が混雑して通れない点で厄介であり、お盆ということもあって旅行や帰省など遠出する人が多いらしい。本人が言うには、今年は老猫の体調が優れないのでどうしようか迷っていたところだったけどこうなったから行くと思うと。場の空気がちょっと沈んだのを全員が感知していた。
当たり前に無理だと思っていたものの、僕にとっても残念な気持ちはある。積極的に動くつもりはないが、手軽に青春体験ができるなら、したくないわけではないのだから。
「よし、切り替えてスポーツ科の情報収集するわ。」
こういうところ、彼は行動的で精神的に逞しい。
「でもお盆は休みってところ多いんじゃない?」
「でも三年は最後の大会前だと休んでられないだろ?」
だって俺らもお盆なのに講習あるんだから、と松尾が嘆く。
「学校に戻って何部がいるか見ようぜ。職員室前のボード見れば大会の日程分かるし」
「お盆の予定が分かっても、どうやって誘う?」
そうなのだ。西山の言うとおり、肝腎な部分のプランがゼロのままだ。さっきのように、顔見知り程度の関係性の相手に上手く声かけられるほどの軟派性はない。大方誰だってそうだろう。
「まだ良い案はないけどさ。頭動かしてダメなんだから、手足動かさないと。行こうぜ」
「パス。ここで待っとく」
「いってらっしゃい」
「二人ともノリ悪いね。……テストだめだった?」
僕らはため息を吐いた。
学習済みの内容の確認であって宿題たらしめているのは習得が足りていない一部の生徒の自己責任だと言う。そうだとしても、ここでのその「一部」がうちのクラスにおいてはおよそ九割にあたるとすれば、
「これはもう、民意が蔑ろにされている」
松尾が不満を露わにする。
講習が終わってすぐ、作戦会議をするからとあらたまって招集された僕らは、塩気多めのポテトを摘みながら、演説じみた愚痴を聞かされていた。
「で、本題ね。良いニュースと悪いニュース、どっちから聞く?」
「悪い方」
迷いもせず、心底どちらでも良いという表情で西山が答える。
「よしじゃあ悪い方。確認してみたら、三、四、五組の夏期講習は別日程らしい」
「……計画終わったじゃん」
終わってねえよと松尾が言う。
「理想通りじゃなくなるだけ。部活勢はいっぱいいるし、最後は一組女子もいる」
一組を強調するかのように、右手の人差し指を立てた。
「良いニュースは?」
僕が尋ねると、立てていた人差し指をこちらに向けて、
「その一組女子が、俺らと同じように祭りに行く計画を立てているのを聞いた」
「へえ、誰?」
「河原たち」
「まあそうだろうな」
「お祭りの日、講習の後、夕方まで勉強してから行こうって言ってた」
だとすると、僕らも教室に居残って勉強していれば、便乗できる可能性はある。
一組はその性質上、男女とも比較的大人しい人間が多いし、恋愛だ青春だという雰囲気が無いので、勉強ができれば身なりがおざなりでもクラス内の地位は保てる。そんな中で、根は真面目ながら制服の着こなしや髪型など気を遣っているのが河原を中心としたグループである。
「もうここを主軸に戦略練ってもいいんだけど、ちょっと手近過ぎる気がするから、当日までもう少し高みを目指しながら並行で進めようと思う」
好きにしてくれ。こんなことに戦略も何もないと思うし、その高みがどこかも分からないけど、勝手に動いてくれる分には僕はまったく構わない。
「で、もう一つ妙案があるんだけど」
わざとらしく躊躇うように松尾が少し声をひそめる。こう言うときは大概ろくでもない案が出てくるのだが、まあ聞こう。法に触れず、実現性があるなら協力はするよ。
「相川さんに声をかけるのはどうかな。家がこの辺りならその日に学校がないとかは関係ない」
なるほど、でもそれは……。
「今はお祭り楽しもうって気分じゃないだろ」
「今はね。でも来週ぐらいには、家に籠ってても気が滅入るだけで、外に出る方がいいってなってるかもしれない。俺たちは大した知り合いじゃないから、変に遠慮せず連れ出してあげられるってことない?」
「まあ無しじゃないかも」
西山が唐突に乗りかかる。
「お盆って供養だし、お祭りって“祀り”だし」
いつもなら僕といっしょに松尾の妄想と暴走を諫める役回りなのに、何か歪な納得の仕方をしている。もちろん相川さん本人が望むなら喜んで連れ出すが、
「じゃあ行く、とはならないだろうね」
「そうかなあ」
そんなことないと思うけど、と松尾が首をひねる。
「見つけたお前が誘えば来るから、頼むよ。猫の声が聞こえるとか何とか言って」
「それは絶対に嫌だ」
騙そうとするには粗すぎて恥ずかしいし、大した知り合いじゃないのに冗談を投げる面白くないやつと思われたくはない。万一信じられてもそれはそれで困る。
「けち」
冷たいよなと西山に同意を求めているが、それには取り合わない。今度はまともな応対で助かる。
ちょうどその時、まさに話題の人物が、店に入ってくるのが見えた。
「あれ、相川さんじゃない?」
少し頭を下げて、声を抑えて二人に伝える。
「ほんとだ。相川さんと、新庄さんだ」
僕には分からなかったが、一緒に入ってきた女子も同級生らしい。その二人を目で追っていると、相川さんがこちらに気づいて「あ」という顔をした。思わず首だけで会釈する。……それで終わりだと思いきや、相川さんは律儀にも僕らのテーブルへ近づいてくる。コミュニケーション強者か。ご賢察の通り僕らは、女子との会話がほんの少し、苦手である。
「昨日はありがとう。ちゃんとお礼言おうと思って……ここにいるって聞いたから」
「え、ああうん。そんな、わざわざごめん」
たまたまここに昼食でも食べに来たのかと思ったが、どうやら丁寧に会いに来てくれたらしい。まだ寝込んでいても許されるのに、育ちの良さが出ている。
「それで、もう大丈夫?……じゃないよね」
どうにか言葉をひねり出す。口を出た瞬間から、余計な事を言ったなと思ってしまう。
「うん、大丈夫じゃない。けど、家でじっとしてたらいろいろ思い出しちゃうから」
強い人だ、と思う。目の周りが少し赤くなっていて、ずっと泣いていたことが窺える。それでも今は元気に振舞ってみせている。誠実ゆえに無理をしそうで、友人が心配して付き添うのも分かる。
一方で、こちらに何か物申すように松尾が視線を送ってくる。この状況で誘えるわけがないだろ。自分でやれ。
ちょっと変なこと聞いてもいい?と相川さんが尋ねる。
「その……動物の幽霊とか視える人?」
唐突に何だろうかその質問は。全然視えないけど。
「昨日のあの場所、私じゃ絶対見つけられなかったから、その、そういう人かなって」
そんなわけないよねと言って彼女が謝るので、こちらこそ申し訳ない気持ちになる。当然ながら幽霊は視えないし、実は夢に出てきかたら後をついて行ったともまさか言えない。
「ほんとたまたまだよ。日陰とか、人目につかないところを探してただけで。あの公園にいなかったら諦めて引き返そうと思ってたぐらい」
「そっか、そうだよね。ごめんね変なこと聞いて」
全然、僕は構わないけど、相川さんの表情は残念そうだった。どこまで本気なのか分からないが今後、猫霊が視えるとか猫の声が聞こえるとか、変な人に騙されないでいてほしい。
「あああ相川さん新庄さん!良ければお盆のお祭り僕らと一緒に行きませんか!」
会話がなくなってしまった僕と相川さんの間を埋めるように、急に松尾が声を上げる。その度胸には感心するが、連絡先を聞くところから始めた方が良かったんじゃないか。
「えっと、お盆はおばあちゃん家行くんだ。ごめんね」
女子二人で顔を見合わせた後、”妙案”はあっさり棄却された。
「相川さんは補欠案だったから……」
彼女らが帰った後、松尾は肩を落としながら、それでも計画に支障はないと強がっていた。
地元住民からしてみると、駅前が混雑して通れない点で厄介であり、お盆ということもあって旅行や帰省など遠出する人が多いらしい。本人が言うには、今年は老猫の体調が優れないのでどうしようか迷っていたところだったけどこうなったから行くと思うと。場の空気がちょっと沈んだのを全員が感知していた。
当たり前に無理だと思っていたものの、僕にとっても残念な気持ちはある。積極的に動くつもりはないが、手軽に青春体験ができるなら、したくないわけではないのだから。
「よし、切り替えてスポーツ科の情報収集するわ。」
こういうところ、彼は行動的で精神的に逞しい。
「でもお盆は休みってところ多いんじゃない?」
「でも三年は最後の大会前だと休んでられないだろ?」
だって俺らもお盆なのに講習あるんだから、と松尾が嘆く。
「学校に戻って何部がいるか見ようぜ。職員室前のボード見れば大会の日程分かるし」
「お盆の予定が分かっても、どうやって誘う?」
そうなのだ。西山の言うとおり、肝腎な部分のプランがゼロのままだ。さっきのように、顔見知り程度の関係性の相手に上手く声かけられるほどの軟派性はない。大方誰だってそうだろう。
「まだ良い案はないけどさ。頭動かしてダメなんだから、手足動かさないと。行こうぜ」
「パス。ここで待っとく」
「いってらっしゃい」
「二人ともノリ悪いね。……テストだめだった?」
僕らはため息を吐いた。