第2話 6月30日 晴れ

文字数 1,995文字

◇ AM 11:30

 明日から夏休み。そんな日の放課後ほど、気分がハイになることはない。この先、丸2ヵ月間の自由な時間に思いを巡らせるだけで、身も心も軽くなる!

 そんなことを考えながら校門脇の生垣の奥に隠しておいたエアボードを引っ張り出し、カイは勢いよく地面を蹴って走り出した。
 反重力装置で地上から15センチほどの高さに浮くボードに推進装置を付けたエアボードは、ここ数年、特に子どもたちに大人気の乗り物だ。学校側は乗り入れを禁止しているけど、そんなこと知ったこっちゃない。市販のままでは時速15キロがせいぜいのこの乗り物に改造を加え、倍以上のスピードが出せるようにするのが今の密かな流行(はや)り。もちろん、このボードも改造済みだ。…違法ではあるけれど。
「知ったこっちゃない!」

 だって、生まれて16回目の夏は、自由と、期待と、予感とに満ちていて、溢れ出るパワーを抑えきれない。ボードの加速感を全身で味わいながら、夏休み中にやるべきこと、やりたいことに次々と頭を巡らせていく。

 いい感じ、いい感じ!

 そうして風を切って走るうち、海辺に続く広い公園に面した道に出た。すぐ前の信号が点滅し始め、前方を走るスクーターがゆっくり速度を落とす。それにはお構いなしにカイはそのスクーターすれすれを走り抜け、そのまま信号を渡り切った。背後から思い切りクラクションを鳴らされたが、それでもスピードを殺す気にはなれなかった。

        ***

 だが、そんな楽しい気分は、ほんの数分後に一変した。
 緩いカーブが続く下り坂、そのカーブが途切れてすぐの、見通しの悪いT字路に差し掛かったとき、突然、正面からの強い光に目を射られた。眩しさに半ば反射的に目を閉じ、バランスを崩しかけて慌てて目を開ける。次の瞬間、すぐ前方に人影が見え、心臓が一気に跳ね上がった。体がこわばる。あまりにも、近い、距離。

 避けきれない!

 そう思った瞬間、咄嗟に身を切ってボードが相手に当たるのを回避したが、代りに自分の体の一部が人影に当たったようだ。体のバランスが大きく崩れていく。
 転倒する―! そう確信し、咄嗟に受け身の姿勢を取るが、投げ出された衝撃で右側に大きく体が飛ばされ、肩口から地面に叩きつけられた。

「痛ってぇ…」
 投げ出されて十数秒後、ようやく衝撃から立ち直って、身体に異常が無いか動きを1つ1つ確認しながら、カイは、ゆっくりぎこちなく体を起こした。通りかかる車に危険の無いよう車道に飛んだエアボードを拾い、それからぶつかった相手と思しき人影のところまで痛む体を引きずるようにして近づいた。
 反対側の路肩に倒れていたのは、10歳ほどの、なぜかびしょ濡れの子どもだった。意識が無いらしいぐったりとした姿を目にした途端、ぞっと全身が凍りつくような感覚に内臓をわしづかみにされる。

「…おい」
 数メートル離れた場所から、恐る恐る声をかける。…反応は、ない。自分の心臓の音が体中に大きく反響し、不快なほど高音の耳鳴りが脳内に響く。息が詰まる。じわじわと広がる恐怖に逃げ出したい衝撃に駆られるが、そうもできない。
 さらに近づいて、屈み込んで体を揺すろうとした瞬間、看護師の姉・ミナの言葉を思い出した。
『頭を打ったときは、揺すったり動かしたりしちゃだめ。危険だからね』

 伸ばしかけた手を止め、もう一度、さらに大きな声で呼びかける。
「おい! だいじょうぶか? おい!」

 その瞬間、子どもはぱっと目を開け、屈みこんだカイの顔をじっと凝視してきた。その光のない瞳は、深海のように深い色。心の奥の奥まで見透かされそうな気がして、カイは思わず怯む。だが、その瞳は、またゆっくりと閉じられてしまった。

「あ、おい!」
 それにより我に返って、焦りながらさらに呼びかける。
 耳鳴りが徐々に治まるにつれ、周囲のざわめきが聞え出した。顔を上げると、いつの間にか、2人から数メートル離れた位置に、円を描くように十数人が集まっていた。そうして遠巻きにしている人々に向け、カイは必死の声を上げた。

「あの、救急車! すみません、救急車! 呼んでください!!」
「わかった!」
 力強く返ってきた若い男の声に、カイの体から少しだけ力が抜けた。

 ほどなくして救急隊員がやってきた。警察もやってきた。全然気が回っていなかったが、先ほどの男が通報してくれたようだ。
 事情を説明し、連絡先を伝えている間に、意識が戻らないままの子どもは救急車に乗せられ、けたたましいサイレンの音とともに運ばれていった。
 とりあえずは帰ってよしとの許可を得て、彼も後ろ髪を引かれながらボードを引きずってのろのろとその場を離れる。ほんの数分前のあの夏休みの高潮感は、もう微塵も残っていなかった。
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