地獄の沙汰も

文字数 1,621文字

 真っ赤な川に挟まれた砂利の一本道は、どう考えてもウォーキングには向いていない。前を歩く大きな背中に向かって一言文句を言ってやろうとタイミングを見計らっていたのだが、いつになってもこちらの話を聞いてもらえそうにないので結局諦めた。
「それで言ってやったんだよ。給料が上がらないなら辞めてやるって」
 目が覚めてから三十分は歩いているはずだが、閻魔(えんま)様の愚痴は相変わらず止まらない。
「へえ。そうですか」
 適当に相槌を打つ。死後も誰かの愚痴を聞かされることになるとは思わなかった。
「そしたらあいつ何て言ったと思う? 『いいけど、再就職できると思うなよ』だとさ。親が大企業の仏だからって調子に乗りやがって」
 大企業の仏とはどういうポジションなのだろうか。
「こっちは必死に働いて勉強して資格取ってようやく閻魔になれたってのに。あいつは入社していきなり部長。やってられるかって」
 閻魔の資格も気にはなったが、馴染みのある役職の方が気になった。
「部長?」思わず聞き返す。
「そう。部長。生きてた時のお前と同じ役職だな」
「部長が閻魔様より上なんですか?」
「ああ。閻魔なんて下から二番目。給料は安いし雑務ばっかだよ」
 なんと声をかければいいのかわからなかった。「これからですよ」とりあえず励ましてみる。一度振り向いた閻魔様は「簡単に言うなよ」と呟いてから露骨に肩を落とした。
「そういえばお前。賄賂でのし上がったらしいな」
「まあ、そうですね。そのせいで地獄行きになったみたいですけど」
 左手の甲に刻まれた『地獄スタート』という字を軽く撫でた。
「いや。今はほとんどの人間が地獄スタートだ。天国スタートは親とか親戚が上の方のポジションにいるやつだけだ。それこそ仏とかな」
「そうなんですか?」
「ああ。生前の悪行で裁くのは不公平だって意見が多いらしくてな」
 随分イメージと違う。「そうですか」死者の意見を取り入れてもらえる環境なのだろうか。この場合、おそらく悪人側の意見だと思うのだが。
「文句言わないんだな」
「文句? 裸足でこんな道を歩かされていることについてですか?」
「結構いるんだよ。『どうして地獄行きなんだ!』って言うやつ」
 ようやく口にすることができた文句は無視された。
「はあ……真面目に生きてきた人は納得できないでしょうね」
「そう。だから生前の行いは死に方に反映されるようになった。ほら。お前も酷い死に方だっただろ?」
「まあ」あまり覚えていない。「でも地獄で酷い目にあうんですよね? 燃やされたり串刺しにされたり。やっぱり納得できないのでは?」
「一昔前はな。裁き方改革でそういうのは全部廃止になった。コンプライアンスがどうとかで」
 よくわからないが、それを地獄と呼べるのだろうか。
「……スタート、ということは天国に行くチャンスがあるんですか?」
「会社によって差はあるが制度自体はある。課長は会社によってはぎりぎり。部長までいければ間違いなく天国だ。まあ、ほぼ無理だけどな」
「会社? 制度?」
「どこの会社も基本的には実働八時間、週休二日で六十年間勤務するごとに昇進試験を受けることができる。ただ、閻魔より上にいくには専務クラスの推薦がいるんだよ。そのクラスと知り合う機会なんかないってのに」
 天国と地獄の線引きが収入なのか労働環境なのかはよくわからなかったが、とにかくこちらの世界ではコネが重要らしい。「大変な世の中ですね」あまり今までと変わらない気もするが。
「だろ? まあそれでも

の連中も色々考えてるみたいだからな。少しずつ公平な世の中になってきてるよ」
「おかみ?」
「あの世のトップのやつらだよ」閻魔様は振り返って笑った。「そいつらがルールを作ってる。地獄スタートもそうだ」
 何かに期待をするような閻魔様の笑顔は今まで散々見てきたものとまったく同じものだった。
「それは……公平ですね」
 視線を外して呟く。改革が行われていなければ、きっと舌を抜かれていたのだろう。
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