三寒四温

文字数 2,502文字

 不自然な葬儀だった。遅れて火葬場に到着した真理子(まりこ)は一時間ほど前の光景を思い返しながら炉の前の人だかりに足を向けた。両手を合わせる道子(みちこ)を横目に息を殺して読経の中に溶け込む。柩から最も離れた場所。全員の後頭部が見える位置で立ち止まり、両手を合わせて気が付いた。
(ここでも……か)
 耳に届く微かな笑い声。真理子は目を閉じたまま小さくため息を吐いた。
(何がそんなに面白いの?)
 心に浮かんだ疑問を視線に乗せて不快な声の出所に投げつけたが、背後からの無言のメッセージはどうやら届かなかったらしい。変わらず笑みを浮かべる名前も知らない親戚たちに対する苛立ちを必死に抑えながら、真理子はもう一度ため息を吐いた。故人を笑顔で見送ると言うと聞こえは良いのかもしれないが、あの嘲笑にはおそらくそんな意図は含まれていない。

 柩で眠る(たかし)が真理子の父になったのは七年前。真理子が十歳の時だった。
「ほら。パパとお姉ちゃんたちにちゃんと挨拶しなさい」
 顔合わせもさせて貰えないまま新しい家を訪れた真理子に笑顔でそう言った道子。無言で真理子を眺める隆。見向きもしない二人の新しい姉、香織(かおり)(しずか)
 歓迎されていないのかもしれない。
 一瞬そう思った真理子だったがすぐに笑顔を作って自分に言い聞かせた。
(きっと私と同じ。皆、緊張しているだけ。これから少しずつ仲良くなればいい)
 数年間、道子と二人で生きてきた真理子は新しい家族が出来たことが純粋に嬉しかった。

 控室に向かう親族たちに背を向けた真理子は入口付近に置かれたソファーに腰を下ろした。
 姉たちとは自然と目が合うようになった。父とは一度会話をしたし、プレゼントを渡したこともある。
(……あの万年筆。使ってくれていたのだろうか)
 とにかく始めの頃より家族らしくなった。きっとこれからもっと家族らしくなっていくはずだ、と思っていた。だから。だからこそ、もう少し一緒に居たかった。どうすることもできない思いを巡らせながら、真理子は人の居なくなった炉に目をやった。

 隆の病気が見つかったのは一か月前だ。『パパ病気でもうすぐ死ぬから』数日後に道子から届いたメールでその事実を知った真理子は自室を飛び出しリビングに向かった。
 久しぶりに入ったリビングに隆の姿はなかった。隆が経営する会社のことに奔走する道子と香織。鳴り続ける電話に対応する静。三人の疲れ切った顔を見て真理子は涙腺に蓋をした。私だけが悲しむことは許されない。それに書斎に籠っているであろう本人が一番辛いはずだ。そっとしておこう。そう思った真理子は父親の顔を見るのを諦めてそのまま自室へと戻った。
 それからの数週間、連絡を受けた親戚がしきりに隆を訪ねて来るようになった。自室の窓からその様子を見ていた真理子。特に根拠はなかったが、訪れる人たちの神妙な面持ちの下に気味の悪い笑顔が見えるような気がしていた。そして今日の様子を見て確信した。
 ――あの人達は父ではなく父の会社のお金に会いに来ていたんだ。
 大切な家族の死に対する周囲の振る舞いがどうしても許せなかった。

 しばらく収骨の様子を黙って眺めていたが苛立ちはすでに限界を迎えていた。聞こえてくる中身の無い談笑。もう我慢できない。そう思った真理子は道子の元へと向かった。
「先に帰るね」道子は顔も合わせずに「ええ」とだけ言った。
 二秒。およそ一か月ぶりに顔を合わせた実の親子の会話は僅か二秒で終わりかけている。
(髪、切ったの?)
 今聞くことではない。
(ちょっと太ったんじゃない?)
 こんな軽口をたたいたことがない。
(残ってた方が良い?)
 これは先に聞くべきだったし、きっと無視されて終わる。
 結局、会話の糸口を見つけることができなかった真理子は何も言わずに火葬場を後にした。
 無理に喋る必要はない。ずっとこのくらいの距離感だったし、何と言っても血の繋がった本当の母だ。仲が悪いわけでもない。緩やかな坂道を下りながら自分自身に言い聞かせる。
 ――あなたのせいで離婚したの。
 道子が口癖のように真理子にそう言い続けていた離婚当時に比べれば間違いなく関係は良くなった。それでも、あの頃植え付けられた罪悪感は今でも消えずに真理子の中に残っている。
 だから今回こそは。迷惑をかけないように。干渉し過ぎないように。無償の愛を求めないように。離婚の引き金にならないように。新しい家族ができた日からずっとそう考えて過ごしてきた。

 自宅に帰りついた真理子はその足で二階にある隆の書斎へと向かった。静かに扉を開けて中に入る。先ほどの疑問に対する答えを探すために窓際に置かれた机の一番上の引き出しを開けた。
 高校に入ってすぐにアルバイトを始めた真理子は最初の給料で万年筆を買った。
「あの、お父さん。これ」
「ありがとう」
 初めての会話。そして最後の、唯一の思い出。答えはすぐに見つかった。
「……大事にしてくれてたんだ」
 見覚えのあるラッピングを纏った小さな箱を手に胸を撫で下ろす。自然と頬が緩んだ。

 自室に戻ろうと顔を上げた真理子の目に、机の上で開かれたままの手帳が映った。乱雑に文字が並ぶその頁の最終行。そこに辿り着いた瞳からこれまで抑えていた涙が溢れ出した。

『三人の娘を平等に愛してやりたかった。何もできなかった。本当にすまない』

 初めて目にした家族の証だった。
 ――家族になれていたんだ。喜びが全身を駆ける。と、同時に後悔の言葉が浮かんだ。もしかするとその機会を。父が私を愛する機会を見失っていたのは、私自身のせいではないだろうか。私がもっと寄り添っていれば。もっと頑張っていれば。もっと娘らしくできていれば。もっと愛を伝えていれば。真理子は手帳を抱いたまま涙を流し続けた。

「何してるの?」
 背後から聞こえた馴染みのある声に顔を上げる。窓の外はすっかり暗くなっていた。
「何? そんなに泣いて……はあ。もう、しっかりしなさい」
 声を上げて泣き続ける真理子にゆっくりと近付いた道子は耳元でそっと囁いた。
「もうすぐあなたもお姉ちゃんになるんだから」
 それは真理子が今までに聞いたことのない優しく温かい声色だった。
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