1$ A pain always Pain

文字数 5,205文字

 ”彼女”はいつも窓際の一番後ろの席に黙って座っている。誰かと会話をしている所なんて、見たことが無い。
 声は授業以外では聞いた事が無い。それもとても小さくて聞き取れないくらい。
 見た目はひどく地味で、手入れなんてしてなさそうなセミロングの黒髪。眼鏡をかけているのは分かるが、前髪が邪魔で顔はほとんど見えない。
 以前一度だけ、風の強い日に一瞬だけ見えた顔は、生きた人間だと思えないくらい綺麗な顔だったのは鮮明に覚えている。
 制服も教範通りに着込んでいるから、膝も見えなくて、逆に違和感をすごく感じる。同世代の女子高生がいかにスカートを短くして、美脚効果を狙っているなんて興味のカケラもなさそう。
「なに、地味子ガン見してんの?」
「いや、いつもああしてるけど、あいつ、生きてて楽しいのかなぁ、って」
「そんなん! あるはずないじゃん!」
 私に話しかけてきたのは、クラスメイトの女子高生。
 金髪を派手なシュシュで後頭部で結わいて、人気のカーディガンと短めのスカートといった典型的なスタイル。それを言えば自分だって何も変わらないけど。
「それよりさぁ」
 と興味もない彼女の事なんて捨て置いて、自分の事を話し始める彼女。私は心の中でため息を吐いて、外ではオーバーリアクションを取りながら、彼女の話しに相づちを打つ。
 この世界は無秩序であり、無情であり、受動的だ。
 誰かの意向によって、私を始めとしたその他大勢は流れに流されていく。
 私は、”彼女”がうらやましかった。誰が作ったのか分からないトレンドと常識を無抵抗に受け入れて、なんの疑いもなくその流れに流され続ける。
 自分を自分のままで、岩石のように流されることなく、自分のままであり続ける彼女が、私はうらやましかった。
 誰かが作った流行りと常識に悩まされて流されて、自分の意見を持てないまま私は17年も過ごしてきた。
 本当は勉強したいのに、周りに付き合って遊んだ。
 本当はもっと真面目に生きたいのに、不真面目を演じた。
 付き合いたくもない相手と付き合って、やりたくもないセックスをした。
 気が変になりそうだった。
 なんでこんなことしてんだろう。
 漠然とそんな虚無感が、胸の奥を埋め尽くす。
「ねえ、聞いてる?」
「おーい」
「え? あ、ごめ……」
 いつの間にか、場所は変わっていた。
 見慣れない小部屋。おそらくカラオケルーム。
 流行りの歌をクラスメイトの女子高生が絶叫するように歌っている。
 私の両隣には、見知らぬ男性。
 こっちの顔を覗き込む2人は煙草と酒の臭いがして、思わず顔をしかめた。
 なれなれしく私の肩に腕を回して寄りかかってくる2人は、顔を見るそぶりを見せるが、その実制服の襟元を覗き込んでいた。
「"サキ"ちゃんだっけ? 今カレシいんの?」
「ってかさ。ここ抜けて、もっと楽しい事しようぜ」
 何してたんだっけと、小首を傾げると。ああそうだと思い出した。いや、認識した。
 クラスメイトが前々から言っていた合コンに参加したんだ。
 大学生の男性と私のクラスメイトで行うといっていた。
 どうやらこの男性2人は、私のクラスメイトとは見切りをつけて、私を連れ出して事に及ぼうというつもりらしい。
 というか合コンだと言っているのに、男性が4人で女子が2人というのは合コンとは言わないんじゃなかろうか。
「ってか、さ。別にここでもよくね? ここ、今マサキしか店番いねぇじゃん」
「あ、そうか。オーケー」
 危険だ。そう思った時には、もう遅かった。
 押し倒されていた。
 助けを請うと思ったが、いつの間にはクラスメイトの女子は、すでに事を始めていた。嬉しそうな嬌声を上げて2人を相手に乱れている。
 嫌悪感と、これから始めまるであろう苦痛の時間。抗おうにも、力では及ばない。
 なんて下手を打ってしまったんだ。
 絶望感が頭を埋め尽くす。
 欲望に突き動かされた獣の顔が、近付いてくる。
「あ、そうだ。いい事してやんよ」
 そういう男は、私の口の中に何かを放り込んだ。すぐさま口と鼻を塞がれる。
「これ、今流行りのセックスドラッグってやつ。マジ、一発でハイになってやべえんだ」
「おい、いきなりやんなよ! この前やった女忘れたか?」
「あ? あのイキ過ぎてクソ漏らしたやつだっけ? あれ最高だったなぁ」
「ザッけんな! あのせいで俺のズボンうんこまみれになったんだからな!」
 最悪すぎる。最悪だ。吐き出そうにも、口と鼻を塞がれているから、どうにならない。
 そういえばクラスメイトの女子は、まるで獣のように、狂気的なくらいに頭を振り乱し、喘ぎ声を上げて腰を振って快楽を貪っている。あれはそのせいか。
 一気に血の気が失せていく。
 薬なんて死んでもごめんだ。まして今の会話の内容を聞く限り、まともな物じゃない。
 そう思うのとは相反して、体は舌の上の錠剤をのみ込んでしまった。
 喉の動きでそれを察した男は、にやにやと笑いながらこちらを見て来る。
 即効性の高い薬なのだろう。触れた部分がじりじりと焼かれるような感覚がする。
 それから溶け出した薬は瞬く間に全身に駆け巡り、まるで皮膚を一枚剥がれ、むき出しになった神経を直接刺激されるような、鋭敏すぎる感覚。
「ひ、ぎ。ぐッう……!!」
 体が震え始める。頭の芯が麻痺して、ただ皮膚から与えられる感覚が一秒ごとに倍増していく。
 制服の上からまさぐられる感覚。それだけで津波のように私の理性を押し流し、欲望が願望がとなって、雪崩のように大きく。
 世界が色づき回転し、”影”が私を覆いかくす。
 液体の中に飛び込んだように。全身を突き崩す衝撃で、私は内臓も頭もばらばらに砕かれ。流され解けて、貪りつくされる。
 呼吸は炎のように吐き出され喉を焼き、声は、獣の吐息として、吐き出すのは笑い、髑髏の眼球は裏返った。
 カラダがどこにあるか、しらずに宇宙は、水の底のように、揺蕩うわたが翅のようにとびあがり燃えては、溶岩で突き出されて崩され、吐き出す氷は、押し込まれる愉悦と、血液にも似た、あらゆるものを押し出して、外側の内側と繋がり
 ぐるぐるぐる
 かきみだされ、わだちはくうちゅうにのび、
 わら、わらう。
 悦楽。
 声、声。これは、快楽
 地獄


「あー、やった。やった。どうする。これ」
「後輩呼んで始末させれば? なんだっけ、あのデブの」
「ああ。スズキ? あいつなら」
 遠くで声が聞こえる。
 全身がバラバラになりそうなくらい痛い。
 血管という血管に水銀を流し込まれたかのように重く、指ひとつ動かす事もできない。
「ってか、これ、やばくね? こいつ、息してねえよ?」
「は? 嘘だろ」
 慌てだす声。
 何の事だろうと、闇の縁取りをされた視界が、徐々に晴れていく。
 テーブルに転がされたクラスメイトの彼女。生まれたままの姿で、仰向けに寝転んでいる。
 同じように寝ころんでいる私から見ると、力なくテーブルのふちから垂れた頭。
 しかし問題は、泡を吹いた口元と、先ほどから一向に瞬きをしない白目を向いた大きな目だ。表情は人形のように動かない。
 そもそも顎先から見える同世代でももてはやされた大きな乳房の小山は、ピクリとも動いていない。
「ちょ、ま! まてよ! 嘘だろ!?」
「だから、4つも使うなっツったろーが!」
 慌てる声。男たちはクラスメイトの身体を見るだけで、触ったりはしない。
 彼らにとってそれはもう使用済みの汚物なのだ。自分たちが散々吐き出した欲望なのに。
 そこで彼らは、逃げるという決断を思いついたようだ。
 振り返ってドアに手をかけた。しかし一目散に逃走を企てた彼は、盛大にひっくり返って、廊下を転がった。
「3、4、5、6。あ、だめだ。一人はもう死んでるや」
 今まで聞かなかった、新たな声。
 動かないし、弛緩して動かない目では、誰が新たに入って来たのか分からない。
「ま、なんだよ。誰だ」
「そんな事は、どうでもいいからさ、とりあえず黙ってて」
 そこから一瞬だけ怒号が飛び交って、すぐに静かになった。代わりに鼻の奥を突き刺すような、花火の後のような臭いが部屋いっぱいに広がった。
「あれ? どこかで見た顔」
 影が、私の顔を覗き込んだ。
「あー、そうだ。えーと、えーと。ああ、ワタナベさん! あれ、違うかー?」
 なんだっけ、名前ーとつぶやく新しい声は、聞き覚えがある。
 でも、私の記憶にあるその声は、もっと無機質で、教師に言われたから喋っているだけの、自動音声じみたものだったし、辛うじて聞き取れるような小声だった。
「ッ……さ、ん?」
「あ、やっぱり。あたしの事、わかる?」
 視界がそこだけ晴れていく。
 彼女の顔だけが、しっかりと見えた。
 丹精込めて作られた人形のように整った顔。満面の笑みを浮かべているのなんて、初めて見たけど、あの時と変わらない綺麗な顔。
 いつもの伸び切ったおかっぱヘアみたいなセミロングの黒髪は、カチューシャで纏められてオールバックにされている。
 私がさっきまで着ていたのと同じセーラー服と、ちぐはぐな男物のトレンチコート。
「そうだ思い出した。西さん。西茜さん!」
 そういう彼女は、”地味子”の欠片もない。両耳に10か所以上つけられたピアスがしゃらっと鳴った。
 彼女の手元には私の学生証がある。思い出したのではない、それが目に入ったのだ。
「なんでぇ。入学した時は地味っぽくて、可愛かったんじゃんか。もったいないなぁ」
 饒舌に語る彼女はにやりと笑い、そこら辺に転がる石ころを見るような、ひどく関心のない眼で見降ろしていた。
「ダメだよ。若いのにキメセクに耽ってちゃ。この子みたいに死んじゃうぜ?」
 物言わぬ死体となったクラスメイトの彼女。そういえばいつも一緒に遊んでいるのに彼女の名前、全く思い出せない。
「し、に、たく、な、い……」
 ガラガラになった声で何とか喋ると、軽薄な笑みを浮かべた彼女は、手袋を嵌めた手をコートのポケットに突っ込み、何かを取り出した。
「これ、わかるう? コイン。こっちが表で、こっちが裏。表が出たら、助けたげる。裏が出たらこいつらと同じ、解体屋に卸して部品販売するね」
 ぴんと、場違いなほど澄んだ音を立てたコインは、くるくる回りながら宙を舞い上がり、そして落下を始めた。
「あ、あたし、表出した事ないんだった。ごめんね」
 笑う彼女。その手の甲に落ちたコインは、
「え、うそ」
 アリストテレスの肖像が刻印された面を上にしていた。
「ラッキーだね。驚いた。初めてだ」
 本当に心の底から驚く彼女。どうやら、私は助かったらしい。
「じゃ、今後ともよろしく、ニシさん」
 笑う彼女は地味子ではなく、悪魔という方がよっぽど似合っていた。


 たまらない。たまらない。我慢ができない。
「ほら、まて。まーてってば!」
「むり。だめ。ほしい。ちょうだい!」
 私は彼女の首筋に顔を埋める。髪の下、チェーンのピアスがじゃらりとついた耳たぶをあまがみして、舌で舐る。鼻先に感じる彼女の甘い香りだけで、脳が痺れる。
 体を密着させ、彼女の鼓動を体で感じたくて仕方がない。
 あの時のドラッグの影響だ。
 彼女の匂い、鼓動、声、そしていたずらに触ってくる指先。
 そのどれもが、私の脳髄にオルガズムを刷り込んでくる。
「まあ、あたしもJKとやってみたいなぁ、とは思ってたけどさ。特に、西さん」
 早く。早く。早く。
 欲しくてたまらない。震える指先で、彼女のブラウスのボタンを取ろうとするが、上手くできない。
「ここ、学校って覚えてるぅ? ねぇ?」
 そう言いながら、彼女は私の口の中に侵入してくる。彼女の舌先のピアスが私の舌をごりごりと刺激する。それだけで、落雷の衝撃よりも強く、私は絶頂を迎えている。
 そして唇を離すと、にんまりと笑う彼女の顔。
「ご褒美ほしぃヒト?」
「ほしい。ほしい。ほしいです。お願いなの、ちょうだい!」
 あの時打たれた薬の中毒作用。一気に抜こうとすれば、神経は焼き切れて廃人になる。だからこうして彼女から微量の薬を摂取させられる。
 そのせいで私は発情して、一時的に色欲に狂い乱れる。
 舌先に落とされた、ミンティアのような小さな錠剤。
 味覚神経を伝い、私の頭の中を削岩機で砕くように快楽の衝撃が押し寄せる。
 全身の筋肉が一瞬だけ緊張し一気に弛緩する。脳みそがとろけるような感覚に、呼吸も忘れて突き抜ける喜びに打ち震える。
「ほんと。君のアへ顔最高にバカっぽくてぶっさいくで、最高にかあいいよ」
 そういう彼女はあらゆる液体で汚れた私の顔にキスしてよこした。
 彼女の声、舌先、唇。指先、吐息ですら、私に狂うほどの快楽を与えてくる。
 薬が抜けるのが先か。それとも、私の神経が薬で狂いきってしまうのが先か。
 今もうどうでもいい。
 今はただ、彼女が欲しくてたまらない。愛よりも強い欲望の鎖が、私を彼女へつなぎとめる。
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