第5話

文字数 2,897文字


 いつの間にか雨はやんでいたが、国鉄の独身寮の門前で、上中は手持ちぶさただった。
 いくら待っても、桑畑は姿を見せないのだ。
「やはり桑畑は焼鳥屋へ行ったのかな?」
 考えてみればおかしな話だ。
 大田と相談した時には疑問に思わなかったが、なにも大田と二手に分かれる必要はなかったではないか。
「二人して焼鳥屋へ行って、桑畑がいなければ、また二人でここへ来ればよかったんだ」
 本当の話、1分1秒を争って桑畑と面会しなくてはならない理由などない。
「あれあれ? 僕を出し抜いて、大田さんだけ一人で一杯やるためにだまされたかな?」
 むろん上中も『だまされた』と本気で思ったわけではない。
 上中自身もよく知っていることだが、大田という男は、そんな策略の使える人間ではない。
 それにしても、もう1時間にもなるのに、桑畑の『く』の字もないではないか。
 大田を追い、上中も焼鳥屋へ行くことに決めた。
 ところが焼鳥屋へ行っても、大田の姿は見えなかった。
 のれんを押して店内に入り、グルリと見まわしたが、そもそも大きな店ではない。
 大田はここにはいないのだ。
「親父さん…」
 と声をかけると、店主は親切に答えてくれた。
「あの刑事さんなら、桑畑さんを探して、風呂屋のほうへ行かれましたよ」
 そしてもちろん、上中にも道を教えてくれた。
 その上中が焼鳥屋を離れ、ある神社の前を通り過ぎようとしたときのこと。
 大きなものではないが、地元でそれなりの信仰を集めているのだろう。
 境内は木々に覆われ、外からでは社殿も見えないほどだが、ただ鳥居の存在で神社だと分かる。
 秋祭りが近いのか、布製ののぼりが地面に建てられているが、今は雨にぬれ、垂れ下がっている。
 どこの町にもあるありふれた風景だが、このとき何かが上中の注意をひいたのだ。
 急ぎ足でいたのが、自分でも気づかぬうちに、上中は立ち止まってしまった。
「何かの声が聞こえたように思ったが…」
 話されている言葉の意味が分かるほど、はっきりと耳に届いたのではない。
 男の声のようではあった。
 ここから見透かしても何も見えないが、境内の茂みの中からのようだ。
 立ち止まったまま、上中は観察を続けた。
 そして気が付いたことがある。
「この鳥居を入り、あの茂みを抜けて、境内を横切るようにして、なんとなく人の歩いた跡が地面についているな…」
 桑畑の言い草ではないが、この境内は実際に、地元の近道として機能していたのだろう。
 信仰心とは関係なく、ただ時間と歩行距離を節約するため、毎日たくさんの人間が神社を横切ってゆくようだ。
「そういえば、焼鳥屋のおやじから教えられた風呂屋というのは、ちょうどこの神社を横切った先あたりにあるんじゃないか?」
 そうなると、大田も桑畑も見つからずに、上中も多少はあせりを感じる身だ。
 深く考えることなく、神社の中へと進行方向を変えたのだ。
 境内の抜け道をたどるのは簡単だった。
 ぬれた落ち葉や石を踏みしめて進んだ。
 道は鎮守の森の中心近く、木陰の最も濃いあたりを通り抜けていくようだが、もう日は暮れてしまい、あたりは相当に暗い。
 ただまだ、懐中電灯がないと何も見えないというほどではなかった。
 近道は、途中でカクンとひじのように曲がり、何か予感を感じて、上中はそっと立ち止まった。
 予感に従い、足音は数メートル手前からひそめている。
 少し前方、暗い中に3人の男がいるのが見えた。
 木の幹に隠れるようにして、上中はそっと顔を出した。
 おかしな3人組だった。
 3メートルほどの距離を開けて、1人対2人で向かい合っている。
 1人でいる方の男は、相手2人を交互ににらんでいるが、雰囲気は良くない。
 よく見ると、その男の手には銃が握られている。
 その銃口を相手2人に突き付けているのだ。
「あれは旧軍の14年式銃かな? あの銃と、現金輸送貨車の車体にめり込んでいた弾丸を比較すればいいわけか。だけど面倒なことだ」
 それは上中の見る通りだった。
 銃を持っているのは、上中のまったく知らぬ男だが、他の二人はそうではない。
「くそっ、大田さんもヘマをやったもんだ。人がいいだけでは、刑事は務まらんのだよ」
 もちろん大田も銃を持っているはずだが、こう突きつけられていては、取り出す暇がないのだろう。
 そして残りの一人は桑畑である。
 桑畑の口が動いた。その声は見るからに震えている。
「ふ、藤沢さん、俺はあんたの仲間だぜ」
 しかし藤沢は、そっけない。
「何を言う? 私から金をゆすり取ったくせに。お前のような若造が一番信用できないのだ」
 勇気があるのだか、ないのだか。
 その言葉に大田は、ハハアと納得した顔をする。
「やっぱりあの高級腕時計かい?」
 藤沢には意味が分からないらしいが、だからといってニコリともしない。
「刑事さん、私はあの焼鳥屋から、ずっとあんたをつけてきたのだよ。そこにいる桑畑に会いたくてね。あんたなら、きっと道案内してくれると思った」
「あっ…」
 やっと大田は思い出したようだ。焼鳥屋を訪ねた時に、ビールをちびちびと飲んでいた先客の男なのだ。
 自分の手の中にある銃を、男はほれぼれと眺めた。
「私には、この引き金を引く勇気があるだろうか? それが問題だね…。
 まさか私を、ただのコソ泥とは思っておるまいね。先日の事件ばかりじゃない。その前からいろいろとやっている男さ」
 もうそこまで聞けば十分だった。意を決し、上中は歩き始めた。
 もちろん足音は、極限まで抑えている。
 軽くしゃがんで、これもコトリとも音を立てないよう、傘を地面に置いた。
 上着の下に、そっと右手を伸ばす。
 曲がり角の向こうで気配を感じた瞬間から、指はまるで自動装置のように動いて、背広のボタンをゆるめていた。
 警察から支給されている銃は、左のわきの下につってある。
 もう何十センチというところまで近寄り、白髪の出かけた後頭部にゆっくりと銃口を押し当てた時、なぜか上中自身も驚くほど野太い声が出た。
「どうせ偽名だろうが、藤沢さんよ。頭の後ろにも目玉をつけてないから、こういうことになるんだよ」
 3メートル離れていても耳に届く大きさで、大田がホッと息をつくのが聞こえた。
「上中君、助かったよ。地獄に仏とはこのことだ」
「大田さん、そいつの銃を取り上げてください。手錠はありますか?」
「もちろんさ」
 手錠をとめる音は、刑事たちの耳にはカチリと心地よいが、桑畑は別の感想を持ったようだ。
 銃を突きつけられていた間は真っ白だった桑畑の顔も、もう赤みを取り戻し始めているが、ふと気づいて、また青くなっていた。
「あのう刑事さんたち、俺はどうなるんです?」
 もはや観念した様子の藤沢の顔を面白そうに眺め、大田は機嫌よく答えた。
「もちろん君も署に来てもらうさ。それが列車強盗事件の参考人としてなのか、共犯としてなのかは、こちらの紳士のご意向次第だけどね…。
 そうだ、藤沢さんとやら。10万円か20万円、この桑畑に取られたんだろう? ユスリにあったということで、被害届を出す気はないかい? 出してくれりゃ、しっかり捜査するがね…」

(終)
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