第1話

文字数 1,379文字


 ある夜、山陽本線で列車強盗事件が発生した。
 西部劇の頃でもあるまいに、列車強盗とは大時代なことだが、第二次世界大戦からまだ多くの年月がたっておらず、旧軍の銃器が市中を大量に流れていたことも原因の一つだろう。
 広島県内に河田という駅があるが、急行列車が停車するほどの主要駅ではない。
 むしろ田舎の小駅というべきだろう。
 その深夜、この小駅に貨物列車が停車し、通過する特急列車に道を譲ろうとしていたのだが、この貨物列車に連結されていた貨車の1両が、実は現金輸送車だったのだ。
 日本国中には何百という数の銀行が存在するが、これらの銀行に現金を供給するのが日本銀行の役目だ。
 つまり日本中の銀行と日本銀行の間では、日常的に多額の現金のやり取りが行われているということ。
 市中銀行から日本銀行へ向かう現金もある。
 その逆に、日本銀行から地方へと向かう現金もある。
 その実際の輸送を行っていたのが、国鉄の貨物列車なのだ。
 といっても特別な車両ではなく、ただ普通の貨車に現金を積み、日銀職員と警備員が同乗しただけのもの。
 日本銀行本店がある東京から、例えば鹿児島まで現金を輸送するのが、どれほど大変であるか。
 しかし航空路は未整備であり、高速道路すらまだ存在しないこの時代であれば、他に選択肢はなかった。
 そしてその夜、山陽本線の河田駅で、現金輸送の貨車が襲われたのだ。
 時刻は真夜中。田舎のことで人目はない。
 もとより河田駅の駅員たちは警戒などしていない。
 そもそも今、自分たちの駅に現金輸送貨車が停車していることすら知らされていないのだ。
 現金輸送のスケジュールは、それほど秘密にされていた。
 貨物列車を運転する機関手も車掌も、自分たちが3000万円の札束をけん引していることなど、夢にも知らなかった。
 現金を大量に乗せた貨車だから、当然ながらドアは厳重に閉じられているべきだ。
 しかしこの暑い季節なのだ。とても閉め切ってなどいられない。
 良いことではないが、ドアが10センチばかり開いたままで走っていた。
 賊の手口は単純だった。
 特急列車を退避して、この貨物列車は河田駅で15分間、停車する。
 賊は銃で武装し、まず3組に分かれた。
 一手は車掌車へ行き、車掌に銃を突き付け、行動を封じる。
 もう一組は機関車へ向かい、機関手を抑えた。
 そうしておいて、賊の本隊が現金輸送車を襲ったのだ。
 まず件のドアの隙間から、催涙弾を投げ込んだ。
 花火のように火がついて、白い煙を出す道具だ。
 こうなると車内にいる銀行員たちも警備員も、何の抵抗もできなかった。
 半開きのドアは金具で固定されていたが、そんなものは大型ワイヤーカッターで一発だ。
 駅の表側はともかく、河田駅の裏側は畑が広がるばかり。
 あぜ道もあり、そこにトラックを待たせておくのは簡単なことだ。
 ここまでは理解できる。だが問題が残るのだ。
 現金輸送貨車の運行ダイヤは、厳重に秘密にされているのだ。
 何日の何時に、どの貨物列車に連結されて走るか。
 管理局内でも、それを知る者は少ない。
 この事件は大きく報じられ、広島県警も捜査を開始している。
 今のところまだ大きな手掛かりはないようだが、それよりも何よりも、賊はどうやって、この日のこの時間の列車と狙いを定めることができたのか。
 それはまだ誰にも見当がつかなかったのだ。

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