第3話

文字数 1,976文字


 大阪駅で思いがけなく桑畑を見かけたことで、大田が東川署へ帰り付いたのはもう夕方だったが、上中はまだ待っていた。
「大田さん、ご苦労様でした。だけど、えらく遅くなりましたね」
「うん、待っていてくれたのかい? すまないね。実はあの後すぐ、桑畑を見かけてね」
 とその後の出来事を、大田は説明した。
「…桑畑のやつ、どこでそんな金を手に入れたのか、デパートで高級腕時計を買っていたよ」
「高級って、どのくらいなんです?」
 買い物を済ませ、商品を受け取り、桑畑がほくほく顔で売り場を離れた後、目を盗むようにして、大田は店員に質問した。
 いつものように、警察手帳をチラリと見せたのだ。
「それが驚くじゃないか。5万円もするんだってさ」
「5万円の腕時計?」
 と上中は目を丸くするが、それも無理はない。
 大卒の初任給がまだ1万円そこそこの時代なのだ。
「桑畑はその腕時計を、自分で使うんですかね?」
「それはそうだろう。購入した後、自分の腕にはめて売り場を離れたからね」
「へえ…」
「桑畑め、どこでそんな金を手に入れたのかな」
「大田さん、このことは広島県警へ連絡したほうがいいんじゃありませんか?」
 上中の提案は当然のことだがが、ここで大田の悪い虫が騒ぎ始めた。
 大田という男、特に出世を望んでいるわけではない。
 むしろのんびりと、定年まで普通に過ごせればいいと願っている。
 しかしそれと、子供じみた悪戯っぽさや、人を出し抜いて鼻を明かしてやりたい気持ちとは別物だろう。
「いや上中君、少し待ってくれ。桑畑については、もう少し固まってから、広島へ連絡を入れようじゃないか」
 上中も、大田との付き合いは長い。
 またいつもの癖が出たな、とは思ったが、
「わかりました」
 とだけ答えて、話題を変えることにした。
「それはそうと大田さん、間違ってたらすみません。その金のことですけど、桑畑は藤沢を脅迫したんじゃないですかね? 『お前の正体を警察にバラすぞ』と」
 すると、今度は大田も素直なのだ。
「おや君もそう思うかい? 君が昨日受けた電話な。あれは藤沢の目の前でかけたのだと思うぜ」
「どういうことなんです?」
「自分が桑畑の立場に立ってみるといいさ。藤沢のところへ行き、『あんたが列車強盗犯だね。俺は知ってるぜ』と告げる」
「ええ」
「もちろん桑畑も用心している。桑畑にしてみれば、口ふさぎで藤沢に殺されてしまっては、元も子もない。だから、あらかじめ保険をかけていた。『警察には、すでに相談済みだぜ』ってね」
「だけど警察に相談しただなんて、藤沢は信じないかもしれませんよ」
 それでも大田は平気な顔で、
「その場合、ワシが桑畑ならこう告げるね。『そうかい? じゃあ今から警察へ電話をしてみようじゃないか。隣にいて、警察官の反応を聞いているがいいぜ』とね」
「ははあ。そうなったら、藤沢は金をやるしかなくなりますね」
「藤沢の仲間が何人いるのか知らんが、3000万円奪ったんだ。10万や20万をくれてやっても痛くはないさ」
「ふうむ…」
 難しい顔で上中が考え込むので、大田は面白そうに笑った。
「どうしたね?」
「ねえ大田さん、そんなことになったら、桑畑もただじゃすまないんじゃないですか? 藤沢は、桑畑の命を狙うかもしれません」
「なぜ?…」
「なぜって、桑畑は藤沢のシッポを握っているんですよ。いつ桑畑が警察に本当のことを話す気になるか、知れたもんじゃない」
「いやいや、そんなことをしたら桑畑は、自分も分け前をもらったことを白状しなくてはならなくなるよ。それでは理屈に合わん。
 これ以上、藤沢は何もせんさ。桑畑の身に何かあれば、警察が最初に疑いをかけるのは藤沢だからね」
 と大田は自信満々だが、その表情が崩れるのに時間はかからなかった。
「でも大田さん、我々は藤沢の顔も知らないのですよ。住所どころか、本名もわからない。もしも桑畑が殺されても、藤沢を追う手がかりはないんです」
「ああそうか…」
 大田も、やっと気が付いたようだ。
「ねえ大田さん…」
「ちょっと待ってくれ。今や列車強盗の共犯者となった桑畑が殺されようがどうなろうが、ワシは一向にかまわんが…」
「大田さん…」
 と上中は顔色を変えるが、大田は気にしない。
 大田には、いかにも警察官らしからぬところがある。
「上中君、まあ聞きなさい。今の桑畑は、藤沢が逮捕されると困るのではないかね? 共犯者ということで、自分まで芋づる式じゃないか」
「それはまあ、そうですが」
「それをうまく使おう。桑畑のやつに、何か嘘を吹き込んでやろうよ」
「嘘なんかついて、どうなるんです?」
「あわてた桑畑は、藤沢に連絡を取るだろう? そこを押さえればいいじゃないか」
「そんなうまい嘘があるんですか?」
「それを今から考えるのさ。明日になったら、桑畑に会いに行こう。野郎、どんな顔してやがるかな?…」
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