第8話
文字数 5,906文字
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二〇一六年一二月。乾期が訪れ、日中の気温は一段と高くなる。雨は依然として降らず、井戸水は泥が混じるようになり飲み水の確保が難しくなった。当然、家畜に回す余裕はなく、乳を出さず痩せ衰えた牛や羊は息絶える前に男たちの胃袋におさまった。
ジェイクたちは村に備蓄してあった食糧や採掘場の収入で食いつなぎ、襲撃部隊を使って周辺の村々を襲う。手に入れた家畜や家財の他、女子どもを売り払い、組織を維持していた。
今日また、襲撃部隊が村に戻ってくる。シドは新たな商品を入れられるよう家畜小屋の清掃にあたる。
トラックの警笛が鳴り響き、小屋の外が騒がしくなる。襲撃部隊が帰ってきたのだ。シドは手早く掃除をすませ外に出た。
トラックが一台ずつ村へ入ってくるところだ。狩りの収穫である女子どもが荷台に所狭しと乗っている。
留守番をしていた男たちは歓声をあげ銃を空に向かって撃ち、狩りの成功を祝う。襲撃部隊の兵士たちは車の窓から銃を掲げ奇声を発し祝福に応える。
襲撃部隊の兵士たちが荷台から次々と女子どもを降ろすと、男たちは色めき立ち、手拍子を打ちはやし立てる。
女たちは硬い表情でじっと見つめ、たまりかねたようにすすり泣く。
女たちが泣くほど男たちは活気づいた。
これから譲渡会が始まる。捕らえた女子どもは十代から二十代が大半で(十にも満たない女児もいる)。
シドは譲渡会で余った女子どもを商品として家畜小屋へ連れて行く役目があり、会場となる広場の近くで待機する。
容姿が美しいか(痩せすぎていないか、傷痕などないか)、病気が有るか無いか、従順か、公用語が話せるか否か(公用語が話せない方が逃げる心配がないため好まれるらしい)……、様々な条件で値段がつけられる。女児は高値がつくらしく、有無を言わさず商品に回される。
女たちが身を寄せ合いすすり泣く。うるさいと思う反面、もっと泣けと思う。
商品は出荷前に改めて選別される。家畜小屋が商品でいっぱいになればイルシャードは必ず現れる。商品を選別し回収するために来るはずだ。
イルシャードに会いたい。会って話がしたい。彼なら疑問に答えてくれる気がする。
自分は今どうなっているか、周囲にどううつっているか、彼にはどう見えるのか。正気か、狂っているか、何が間違っていて何が正しいのか。死なずに楽になれる方法はないか。楽に死ぬ方法は……。
男たちの行動に疑問を抱かなくなっている。むしろ、もっとやれと煽る自分がいる。殴り殺される奴らを見てザマアミロと喜んでいる。犯される女を見てもっと苦しめと悦んでいる。朝も昼も夜も寝ても覚めても食事の時も糞をしている時も誰彼構わず引き裂きたい衝動に駆られる。ずっと同じ疑問が渦巻いている、――俺はまともか。
女に興味はない。両脚の間から流れる鮮血が、裂けた性器が焼きついている。あんな汚い所に自分のモノを突っ込みたがる奴らの気がしれない。
人殺しがなんだ、羊を捌くのと同じだ。
赤ん坊がなんだ、小さいからすぐ死ぬ。草むらに捨てた赤子は冷たくなっていた。
殴打する、ぶちのめす、蹴りつける。返り血が不潔でたまらない、病気はうつされたくない。撃ち殺す方がいい。
家を焼くのは楽しかった。真っ赤に燃え上がり空まで届く黒煙を見ると歓喜にわななく。
突きあげる衝動に指が疼く、腕が緊張する、腰が熱くなる、体が跳ねあがる。
犯れ殺れ犯れ殺れ犯れ殺れ犯れ殺れ――、……ずっと考えている。
こんな自分はおかしいか。おかしいなら、なぜ苦しい。頭の中は真っ黒で、腹の中もどす黒い。肺が縮んだように息ができず、体は重く石のように動かない。瞬き一つ、呼吸一つするのも難しく、横になり暗がりを見ている。耳の中でごそごそと虫が蠢く。
感情のふり幅が大きい。一分一秒と目まぐるしく変わる時もあれば、十日、一か月経っても疲れが抜けない。襲撃の時だけは異常に興奮していた。
赤い砂が風に流され空へ舞う。
血しぶきのようだった。
「シド、ジェイク指揮官がお呼びだ。お前にも褒美をやるって」
仲間が呼びに来る。採掘場で一緒に働いていた彼も今では立派な組織の一員だ。
同じ日に捕まり生き残った仲間たちは皆、組織に溶け込み『優秀で従順な兵士』へと成長していた。なかでもカシルは突出していた。隊長となり、いずれはジェイクの片腕になるのではないかと噂されている。
――……俺は、いくらあがいても下級兵どまりだ。カシルのようにはなれない。
苦いものが胸を伝う。
「代わるから早く行け」
言われるまま盛り上がりを見せる会場に行く。
ほとんどの兵士が新しい妻を得、ほくほく顔だ。この後、家に連れ帰りさかるつもりだろう。
ジェイクはやぶ睨みし、言った。
「ハライタ、てめえも好きなのを一人持って行け。新兵にもやった。カシルは二人目だ。お前もいないと格好がつかんだろ」
女に興味はない。公衆の面前で下着を下ろされ笑い者にされた。思い出すだけで胸糞が悪い。けれど、ジェイクの命令は絶対だ。
「……はい……」
「どれがいい。さっさと選べ」
女たちに目を遣る。子どもから大人まで二十人以上残っている。
一人の少女に目がいく。金髪を肩まで伸ばし、肌は明るく、年はせいぜい十くらい。両膝を立てて座り、首を斜めに傾け下を見ている。己の境遇を悲しんでいるというよりは地面を這う虫を目で追っているかのような仕草だ。
なぜだか分からないが妹のナディアを思わせた。
「……あの、金髪の子は、商品にしないんですか」
金髪の外国人は高く売れる、と幹部の男たちが言っていた。
「顔と体を見ろ、あれは黒人だ。栄養不良でああなっている。十分な栄養が摂れていないから色を作れない。じきに髪が抜けて、死ぬ。何も知らん奴が金になると思って連れて来たんだろう。他のにしろ」
すぐ死ぬならいいかな、と思った。自分のことで精いっぱいだ。他人と四六時中同じ空気を吸うなんて耐えられない。人間と思わなければいいか。家畜でも嫌だな。やっぱりすぐに死んでほしい。……いつ死ぬんだろう、髪はまだ抜けていない。
控えめに聞く。
「あの子は、駄目ですか」
ジェイクは眉を吊り上げる。
「俺の言っていることが信じられないのか」
「……信じます。……すぐ死ぬ方がいいな、と……思い、まして……」
ジェイクは眉を吊り上げたまま見下ろし、やがて納得したように意地悪い顔でにやりと笑った。
「お前、女を抱けないんだってな。それなら死にかけで充分か。よし、連れて行け。返品はなしだぞ」
ジェイクが顎をしゃくる。
「ありがとうございます」
許しを得、シドはしゃがんでいる少女の手を引っ張り、家へ連れ帰った。
「シド。俺はシドだ」
シドは胸に手を当て名を告げ、少女を指さす。
「お前は。名前だ、な、ま、え」
少女は大きな目で見上げ、口を半開きにしている。
――馬鹿なのか、こいつ。
妻にと貰った少女は言葉が通じなかった。
「名前、名前だよ。俺はシド。シ、ド。お前は」
二度、三度、四度と繰り返し、少女はやっと「アイシャ」と名乗った。
アイシャはくたびれたというふうに地べたにぺたんと座った。
アイシャは毎日軒下で腰を下ろし呆けている。
シドが煮炊きをし洗濯をしていても、地べたに座り見ている。
「おいっ、お前の仕事だろっ。働けよっ」
怒鳴りつけても睨みつけても分からないのか、ふわりと笑う。
それが余計腹立たしい。
両膝を立てて座るから下着が丸見えだ。通りすがりの男たちがヒューッと口笛を吹き、腰を屈め覗いていく。
「お前、男を誘っているのか」
襟首を引っ張り立たせる。アイシャはきょとんとしている。
頭が悪く、料理も洗濯もできない。一日中座り込みぼんやりしている。奴隷の方がましだ。
――厄介なものを貰ってしまった。
犬や猫ならまだ諦めがつく。ジェイクから貰った女だから捨てることもできない。誰かに譲ろうにもこんな頭の弱いふわふわした女を欲しがる奴はいない。今でさえ「ハライタは女房じゃなく亭主を貰った」といい笑い者になっている。
「お前、水くらい汲んでこいよ」
すぐにしゃがもうとするアイシャの二の腕を引っ張り上げる。
ぎくりとした。
腕をつかんだ中指と親指がくっついた、すんなりと。服を着ているから分からなかったが明らかに痩せすぎだ。
顔をまじまじと見る。
目の周りは落ち窪み、頬は削げ影ができている。頬骨は突き出て顎はとんがり、目は異様に大きい。
「……お前、年はいくつだ」
アイシャはきょとんとしている。
「年だよ、年。俺は十六歳、お前は」
焦れったく自分の胸を叩き「十」と両手を広げ、「六」と指を六本立てる。
「俺は十六、お前は」
二度、三度繰り返しやっと通じた。アイシャは両手を広げ、細い指を八本立てた。
「十八ッ。俺より年上かっ」
アイシャはふわりと笑う。シドは絶句した。
頭のてっぺんから足の先までじっくりと観察する。襟元から覗く鎖骨は浮き出て、首も細く、つかんで少し力を入れればポキリと折れかねない。
服の上から手を這わせる。
アイシャはくすぐったそうに体をよじる。
胸はへこみ、肋が浮き出て、腰は両手の中に収まりそうなほど細い。どこもかしこも木に布を被せたように固く、尻もへこみ固い。
妹のナディアが思い浮かぶ。ナディアも十歳だが六つか七つくらいにしか見えない。
頭が弱いのも、発育が悪いのも十分な栄養が摂れていないせいだ。ずっと座っているのは立つ力がないからだ。
アイシャは長い間ずっと栄養状態が悪い環境で育ってきたんだ。生まれる前から既に栄養不良だったのかもしれない。母親が痩せ細っているとガリガリの小さな赤子が生まれてくる。
「飢えて生まれた赤子は病気に罹りやすく、心身に不調を抱えている確率が普通に生まれてくる子より高い」と学校で教わったことがある。
アイシャもそうなんだ。
食事を満足にとれない状況ではまず家長である父親が食べ、労働力になる長男が食べ、母親が食べ、最後に年端もゆかない子どもが食べる。
稼ぎ頭の家長が倒れればすぐに家族全員が飢える。養われるだけで役に立たない子どもは後回しにされる。一家が生き延びるためには仕方がない。
アイシャもそうだったのかもしれない。
アイシャが妹のナディアと重なったのは気のせいじゃない。病気もちだからだ。
ろくに働くことも遊ぶこともできず、食べることもできない。厄介者扱いされながら静かに蝕まれていく。やがて……。ジェイクがすぐ死ぬと言っていたのは誇張じゃない。
シドは屋外にコンロを置き料理に取りかかる。
「お前は座ってろ。俺がやる」
言うまでもなくアイシャはぺたんと軒下に座った。
シドは軽く睨み、しかし、黙々と手を動かした。
アイシャは見る間に衰弱していった。
横になると背骨が当たって痛いのか壁に寄りかかり眠る。体は冷たく、四〇度を超える日中でも寒いようで震えている。髪は一束、二束と抜け落ち、頭皮が目立ってきた。
「粥を作った。食べろ」
香辛料やニンニクは入れず、モロコシの粉と小さく切った野菜を煮込んだ粥をスプーンですくい口元に持っていく。アイシャは一口すすり、かすかに頷く。
弱々しく二度、三度頷き、うっすらと笑う。もう充分と言っているようであり、ありがとうと言っているようであった。
胃が受けつけなくなっている。背骨と肋骨が浮きあがった体を丸めえずく。シドはアイシャのごつごつした硬い背中をさすりながら頭皮が目立つ小さな頭を見ていた。
アイシャは一人で水が飲めなくなり、用足しも介助しなければ行けない状態になっていた。面白がってアイシャの股を覗き込んでいた男たちは骨と皮だけになった彼女を気味悪がり、近寄らなくなった。
シドは夜中でもアイシャが用を足しに行きたがれば抱きかかえ草むらに連れて行ってやった。布のように軽い体に、くぼんだ胸に、枯れ枝のような手足に、死が迫っていることを実感する。
アイシャは話す力もなくなっていた。時折、うっすらと笑み、かすかに頷く。それがアイシャの言葉であり、二人の会話だった。
翌朝目を覚ますと、アイシャは冷たくなっていた。
シドはアイシャを荒野が見渡せる場所に埋めた。
髪が抜けた頭は頭蓋骨のように小さく、肌はがさつき老人かミイラのように皺だらけで、細すぎる手足はそよ風に揺れる。
これじゃあ死ぬよな、と納得した。悲しくはなかった。……けれど……。
粥を食べさせた。体を拭いてやった。毛布を被せてやった。服を着せてやった。便所に抱きかかえ連れて行った。それなりに世話をしたからもっと生きると思っていた。
ジェイクの予言通り、アイシャは死んでしまった。
辛くはない。ただ、胸に風穴が開いたみたいに虚しかった。
しばらくはアイシャを埋めた場所でぼんやりと荒野を眺めた。
アイシャは何のために生まれてきたんだろう。
こんな過酷な環境で骸骨のようになって、辛い経験もしただろうに。村を襲われ、両親を殺され、兄弟だって殺されただろう。家が焼かれ、村が焼け落ちる光景を見たかもしれない。男たちに捕まり無理やり知らない土地に連れてこられ、見ず知らずの男の妻にされた。ここに来てからも幾度となく女が強姦されるさまを、子どもが殴られるさまを目の当たりにしたはずだ。
痩せこけて歩くこともできず、ろくに話すこともできず、ただ死を待つだけの体になってまで見た光景がこんなものとは……。
アイシャは一体何のために生まれてきたのか。自分は……。
自分はなぜこんな世界にしがみつく。汚れきったこの世界に執着する理由が思いつかない。人を殺した、赤ん坊を投げ捨てた、盗んだ、殴った、傷つけた、村を焼いた、女を強姦しようとした。そこまでして生きる意味があるのか。そこまでして生きる価値があるのか、自分に。
もう、何もかもどうでもよくなった。
苦しんで死ぬのは嫌だ。生きたまま焼かれる、殴り殺される、手足を一本ずつ斬り落とされるなんてのはごめんだ。誰かひと思いに殺してほしい。痛みを感じる間もなく眠るように死にたい。
動物でさえ食べる分しか狩らない。ライオンは一度狩りをしたら一週間は寝て過ごす。人間だけが際限なく貪る。
空は目に染みるほど青く、太陽は燦然と大地を照らす。天はこんなに美しいのに地上は死に満ちている。
誰かが言っていた。目の前に広がる荒野はかつて森だったと。田畑を耕すために焼き払い、戦争が始まり地雷が埋められたのだと。
動物はそんなことはしない。自然の恵みを頼りに生きている。自然の摂理に従っている。
人間だけが異質なんだ。