第4話『一日の終わりの詩集』長田弘

文字数 3,385文字

今回ご紹介するのは、

長田弘さんの『一日の終わりの詩集』

時代ものライトノベル、純文学と来て、今度は詩なのね。
たぶんそのうち漫画も持ってくるよ。

今回は詩人の長田弘(おさだひろし)さん。

桐乃は意外にも詩が好きなのよね。
(意外にも?)


好き。茨木のり子さんや石垣りんさんも好き。

作家の江國香織さんの『すみれの花の砂糖づけ』という詩集があるんだけど、あれも好き。

『箴言』というタイトルの詩がすごく印象に残っている。

「あなたはあたしの子供でもつくるべきだったのであって、子供のあたしに手を出すべきじゃなかった」
いま手許に本がなくて記憶を頼りに書いているので、細部や表記が違っているかもしれないけど、こんなかんじの一篇。
確かに、インパクトがすごいわね。
そう。しかもこの『箴言(しんげん)』が当時の桐乃には読めなくて。もう、必死で調べたよね。それっぽい読みを片っ端から辞書を引いて。結局、部首からたどり着いたんだったかな? 見つけたときはめっちゃうれしかった。
今の小説はたいていの漢字はふりがながふってあるけれど、たまに「これなんて読むの?」っていう言葉にぶつかるときがあるわよね。
ある。電子書籍なら端末だからその場ですぐ検索できるけど、紙の本だと、いったん離脱して辞書を引くか、ネットで検索するよね。

自分で調べた漢字は記憶に残るし知識にもなる。だから調べる手間とかはべつに良いんだけど、人名とか、複数の読み方が考えられる場合はできれば作中でも定期的にルビをふってもらえんじゃろうかのう……。

人名のルビは基本的にその人物が初登場したときにふられて、それ以降はあまり見られないものね。
そうなんよ。桐乃はひとの名前を覚えるのがすんごい苦手で、読んでいるうちに、

「あれ、このひと名前なんて読むんだったっけ?」

ってなる。ほぼ確実になる。

そういえば『マリア様がみてる』(今野緒雪 著)に登場する祥子さまも、途中で「さちこさま」と「しょうこさま」どちらかわからなくなって混乱していたわよね。
はじめにちゃんとルビふってあるのにね。

どんだけ記憶力ないんだよって話……。

前置きが長くなったわ。

本題に入りましょ。

長田弘さんは、桐乃がいちばん好きな詩人かもしれない。

『一日の終わりの詩集』を選んだのは『空の下』という詩が収録されているから。

これは桐乃が今までに出会った詩のなかで、いちばん好きな詩。

空の下


「黙る。そして、静けさを集める。

こころの籠を、静けさで一杯にする。

そうやって、時間をきれいにする。

独りでいることができなくてはできない。

静けさのなかには、ひとの

語ることのできない意味がある。

言葉をもたないものらが語る言葉がある。

独りでいることができなくてはいけない。

草の実が語る。樫の木の幹が語る。

曲がってゆく小道が語る。

真昼の影が語る。ジョウビタキが語る。

独りでいることができなくてはいけない。

時間の速度をゆっくりにするのだ。

考えるとは、ゆっくりした時間を

いま、ここにつくりだすということだ。

独りでいることができなくてはできない。

空の青さが語る。賢いクモが語る。

記憶が語る。懐かしい死者たちが語る。

何物もけっして無くなってしまわない。

独りでいることができなくてはいけない。

この世はうつくしいと言えないかもしれない。

幼いときは、しかしわからなかった。

この世には、独りでいることができて、

初めてできることがある。ひとは

祈ることができるのだ。」


『一日の終わりの詩集』P.39~41 より引用

…………。(ため息)

すてきな詩ね。

この詩を読んでもらえたら、もう桐乃がほかになにをいう必要もないし、いったところで野暮でしかないんだけど。

「独り」というと「寂しい。みじめ」みたいなステレオタイプのマイナスイメージを持つひともいるかもしれないけど、そんなことはないと桐乃は思う。

独りでなければ見えないものがある。

沈黙することで聞こえてくるものがある。
この詩のすべての言葉ひとつひとつが心に沁みるんだけど、なかでも桐乃が鷲掴みにされたのは、

「何物もけっして無くなってしまわない」

この一文。

目には見えなくとも、すべてはそこに存在している。静けさに満たされてはじめてそれに気づくことができる。

もう一篇、こちらは『魂は』という詩。
魂は


「悲しみは、言葉をうつくしくしない。

悲しいときは、黙って、悲しむ。

言葉にならないものが、いつも胸にある。

歎きが言葉に意味をもたらすことはない。

純粋さは言葉を信じがたいものにする。

激情はけっして言葉を正しくしない。

恨みつらみは言葉をだめにしてしまう。

ひとが誤まるのは、いつでも言葉を

過信してだ。きれいな言葉はうそをつく。

この世を醜くするのは、不実な言葉だ。

誰でも、何でもいうことができる。だから、

何をいいうるか、ではない。

何をいいえないか、だ。

銘記する。ーー

言葉はただそれだけだと思う。

言葉にできない感情は、じっと抱いてゆく。

魂を温めるように。

その姿勢のままに、言葉をたもつ。

じぶんのうちに、じぶんの体温のように。


一人の魂はどんな言葉でつくられているか?」


『一日の終わりの詩集』P.22~23 より引用

こちらは「言葉」についての詩。

まじでわかりみが深い……。

巷にもメディアにもインターネットにも、今はとにかく言葉があふれかえっていて、雑音を通り越して騒音だらけよね。
そうなんよ。「批判」と「誹謗中傷」の境目がどんどんなくなっているような印象を抱いている。


先日、なんの話題だったか、たまたま目についたネットニュースを開いてみたら、もろに書き手の主観が色濃く反映されたディスり記事で、おいおい、ヤ○ーコメントじゃあるまいし、よくこれで配信する気になったな、と唖然としたよ。公平性を欠いているというレベルですらなかった。

そういう自己主張は個人のブログやSNSでやってほしいわね。すぐ炎上しそうだけど。
桐乃は最近よくTwitterを覗くんだけど、あれってTwitterの仕様で、とにかく似たようなツイートがTL(タイムライン)に並ぶじゃろ。たまに全然関係ないツイートが表示されたりもするけど。

それで「子育て・母親のワンオペ・なにもしない夫への愚痴」系のツイートが桐乃のTLにはやたら多いんだけど、それは良いのよ。

(たまたま流れてきたのを見て、そのあと気になっていくつか同じようなツイートを見てみたら、それ以来メインで表示されるようになった)

小さい赤ちゃんや乳幼児、未就学児をひとりで24時間面倒見るのはものすごい大変だろうし(というか、物理的に無理では……?)、SNSで気持ちをぶつけてストレス発散するのが息抜きかもしれないし。

問題なのは、それにクソリプを投げてくる通り魔みたいなヤツらだよ。

あー。
あれ、どこから湧いてくるんだろうね。

しかもテンプレートでもあるのか、どれもこれも似たような典型的なクソリプで。

他人にお説教したい人間、いるわよね。

頼んでもないのにしゃしゃりでてきて上から目線の暴言を吐くヤツとか。

気に入らないならスルーすれば良いのに、と思うんだけど、ちょっかい出さないと気が済まない自己顕示欲の強い人間なんじゃろうの。

他人の家にズカズカ土足で踏み込んで暴言吐くとか、まじでヤバいヤツやん。

現実にいたら一発で即通報案件よね。
思わずお目汚しの言葉を連ねてしまったけど、そういうのを目にするたび、先ほどの『魂は』にも書かれているように、

「何をいいうるか、ではない。何をいいえないか、だ。」

という箴言を思い出すんだよ。

確か『桐一葉』でも桐乃が書いていたわよね。

「なにをいわないか」という話。

桐乃自身、余計なひとことが多いので(汗)

自戒を込めて。

日常で使う言葉、ひとに対してかける言葉ひとつひとつが、自分という人間をそのまま表しているんだよね。

(稀にすこぶる外面の良いサイコパスもいるけど)

…………。

ねえ、いおうかどうしようか迷っていたのだけど。
へ? なに?
桐乃、その服、裏表逆じゃないかしら?
えっ! ぎゃっ! ほんまやん!

【心底どうでもいい注釈】


※桐乃は洗濯ものを干すとき、衣類は日焼けしないよう裏表逆にして干します。そしてそのまま元に戻すのを忘れて着てしまうことが実はちょいちょいあります。
いわないほうが良いかしらと思って黙っているつもりだったのだけど。
いって!(泣)

そういうことは遠慮なく!(恥)

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色