第3話『推し、燃ゆ』宇佐見りん
文字数 3,513文字
P.3 より抜粋
それにこの「推しが燃えた」という言葉の威力たるや。なんらかのジャンルに推しがいるひとからすれば、この一文の破壊力のすさまじさ、想像がつくよね。
「あたし」という一人称で語られる内面世界から、彼女にとっては決して大げさではなく
「推しがすべて」
なのが痛いほど伝わってくるし、推しを推すためだけに生きている、といってももはや過言ではないレベル。
CDやDVDや写真集は保存用・鑑賞用・貸出用に三つ買い、放送された出演番組はダビングして何度も観返し、ラジオやテレビなど、あらゆるメディアで語られる推しの発言を聞き取り、紙に書き起こす。
そうして、それらの解釈をブログに記録し公開している。
ものすごい熱量やな……。
それなのに、推しに関することだけはものすごい熱量で打ち込んでいるから、やりたくないことは放置しているだけなんじゃ、と思われてしまう。
というか、この常連客のうちのひとりが「ハイボール濃いめ」を頼むんだけど、当然ながら濃いめだと料金が高くなるんだよね。それを「おまけしてよ」という。
「正規の料金」ではなく「量は増やして、でもお金は取らないでサービスしてくれ」というマニュアルにはないイレギュラーに、あかりはとっさに対応できない。
「もう、無理いわないでくださいよー」とか
「ちょっとだけですよ」
と軽くあしらうことが、彼女にはできないんだよ。
子どもたちが幼いうちから教育熱心だった母親と、その母親の機嫌を窺いながら育った姉。
なにをやっても要領が悪くて勉強も苦手なあかりに対して、母親の当たりは強い。その顔色を窺いながらも、妹には優しく接する姉。
お姉ちゃん、優しいなって桐乃は思ったよ。たとえそれが「なにもできないかわいそうな妹」に対する哀れみを含んだものだとしても。
例のごとく母親からお小言を食らっていたあかりが「がんばってるよ」といい返すと、
「やめてくれる」と。
「自分は寝る間も惜しんで勉強しているし、母親は具合が悪くても無理して仕事に行っているのに、推しばっかり追いかけているあんたがどうして『がんばってる』なんていうの。否定された気になる」と。
しかも、フォローされている側はべつに「助けてもらっている」という意識もなく、このあかりの場合は、姉の言い分がまったく理解できないんだよね。
べつに否定なんてしていないのに、と腑に落ちない。
あかりの推しへの心酔ぶりは「推し」というものを理解できないひとには異様にしか映らないかもしれないけれど、彼女が推しに傾倒するに至った経緯やその背景は、意外とすんなり呑み込むことができたように思うわ。
生活の中心であり、彼女にとっての背骨。
あのね、桐乃は、これはもう信仰っていう域に入っているのでは、と思ったよ。
実際、部屋に推しのグッズを祀った祭壇もあるし、部屋じゅう推しのメンバーカラーである青に統一されているみたいだし。全財産をはたく勢いで買い込むグッズは、グッズそのものが欲しいというより、もはやお布施のようで。
あかりの推しへの愛は、信仰そのものに思える。
彼が12歳のときに演じたピーターパンに出会わなければ、たぶんあかりがここまでなにかに熱中することはなかっただろうし。
なにかに過度に依存するのはとても危険だけど、もしそれが心の支えになるのなら、一概に否定はできないとも思う。
両刃の剣だけど。