第5話『家守綺譚』梨木香歩

文字数 3,352文字

今回ご紹介するのは、

梨木香歩さんの『家守綺譚』

しれっと始まったわね。前回からずいぶん間が空いたようだけど?
うん。意外と創作活動がはかどってね。そっちにかかりきりだった。去年の秋以降、ちょいちょい短編更新してたでしょ。
そうね。ぐうたらな桐乃にしてはなかなかがんばったんじゃない?
そうなんよ。小説を書くの楽しい、とあらためて思った。読んでくださるみなさんにも感謝しています。いつもありがとうございます。
さっそく本題に入りましょ。

桐乃はこの作品を読んで梨木香歩さんにハマったのよね。

そう。桐乃がこの小説に出会ったのは新潮社の文芸誌『yom yom』の創刊号だったと思う。表紙から背表紙まで一面真っ赤な装丁が鮮烈で、当時の新潮社のマスコットキャラクターだった〈Yonda?〉くんが表紙にドンと描かれていた。それ以外、作家名やタイトルなどの情報は一切なく、とにかくポップでシンプルで、数ある文芸誌のなかでもいまだにあれほど異彩を放つデザインは見たことないよ。その巻頭に掲載されていたのが梨木香歩さんの『家守綺譚』だったはず。
『yom yom』は2006年12月に創刊号が発売。

現在は紙媒体からウェブマガジンへと変化しているとのこと。

桐乃の記憶ではこの雑誌、広告の類いが一切なく、とにかくシンプルな作りになっていて、それがすごく読みやすくて良かった印象があります。

1話めの「サルスベリ」を読んで心臓を鷲掴みされたんだよね。ひとつのエピソードがほんの数ページで綴られていて、全28話で構成されている。各話のタイトルはすべて植物の名前で「サルスベリ」から始まり「葡萄」で終わる。
これは、つい百年前の物語。庭・池・電燈つき二階屋と、文明の進歩とやらに棹さしかねてる「私」と、狐狸竹の花仔竜小鬼桜鬼人魚等等、四季折々の天地自然の「気」たちとの、のびやかな交歓の記録。
こちらは作品紹介ね。今から百年ほど前というと、だいたい明治時代と思って良いのかしら?
このお話が書かれたのは10年以上前だし、物語の雰囲気からすると明治時代かなと桐乃も思う。「疎水」「湖」「南禅寺」「叡山」という単語が出てくるので、舞台は京都か滋賀の辺りかなと勝手に想像しているんだけど。
そうね、だいたいその辺りじゃないかしら。主人公の「私」は売れない物書きなのよね。
そう。綿貫征四郎という名の文士の端くれで、学生時代に亡くなった友人の父親から、自分たちは嫁いだ娘の近くに隠居するので代わりにこの家に住んで守りをしてもらえないだろうか、と話を持ちかけられる。家賃がいらないどころか幾ばくかの謝礼をもらえるという渡りに船の申し出に、かつかつの暮らしを送っていた彼はありがたくそれを引き受けたわけで。
そして、亡くなったはずのその友人が、ある晩ひょっこりと帰ってくるところからこのお話は始まるのよね。
そうなんだよ。雨の夜、床の間に飾られた掛け軸のなかから、湖で行方不明になったはずの亡き友人が現れるんだよ。平然と。
「布団から頭だけそろりと出して、床の間を見ると、掛け軸の中のサギが慌てて脇へ逃げ出す様子、いつの間にか掛け軸の中の風景は雨、その向こうからボートが一艘近づいてくる。漕ぎ手はまだ若い……高堂であった。近づいてきた。」


P.13 より引用

普通なら大騒ぎになるところだと思うのだけど、この綿貫という人物は動じない。
うん。「どうした高堂」と声をかける。

いやいや、どうしたもこうしたも。

雨に乗じてしれっと帰ってきたこの高堂(こうどう)という友人も「庭のサルスベリが綿貫に懸想している」だなんていいだすのよね。
綿貫は綿貫で「ふむ」と心当たりがある風情で。触り心地が良いからと彼はサルスベリをよく撫でていたんだよね。それでサルスベリに惚れられてしまったという。
綿貫は仮にも文士なので、そういった不可思議な現象に対して柔軟に受けとめる素地がある……というわけでもないのよね(笑)
そうそう。作品紹介にもあるように、このあとさまざまな「いきもの」に出会い、つかの間の交流を果たすんだけど、綿貫はそのたびにいちいちびっくりしてるんだよね。隣のおかみさんや後輩の山内青年のほうがよっぽどものを知っていて泰然としているという。
そこがまた憎めないのよね。
そうなんよ! 綿貫は決して聖人君子ではなく、時に誘惑に流されそうになったり、つまらない意地を張ってみたり、ひととしてすごく親近感を覚えるんだよね。根っこの部分は素直な善人で、情に厚くて絆されやすい。相手が人間であろうとなかろうと、他者に対する思いやりの心を自然と抱けるところが桐乃はすごく好き。
そして、このお話を語るうえで忘れてならないのは、犬のゴローよね。
そう、ゴロー。ある日ふらっと現れた野良犬で、最初、綿貫は邪険にするんだけど、例のごとく掛け軸からやって来た高堂の口添えによりこの家に居着くようになる。
このときのエピソードがまたホロリとするのよね。貧窮にあえぐ綿貫に犬を飼うような甲斐性はないのだけど、隣家に住むおかみさんがたいそうな犬好きで、ことあるごとにゴローに差し入れを持ってきてくれるのよね。
ゴローだけでなく、おかみさんは気を利かせて綿貫のぶんまで差し入れを用意してくれて、結果として、ゴローのお陰で綿貫の食生活は人並みに保たれるんだよね。ゴローさまさまだよ。
それだけでなく、このあとのゴローの活躍ぶりは目覚ましいものがあるわよね。
正直、綿貫よりよっぽどしっかりしていて甲斐性があるよね(笑)
そうして、いくつもの出会いを繰り返しながら、やがて物語は核心に迫っていく。
うん。ネタバレになるので詳しくは書けないけど、これはぜひ実際に読んでもらいたい場面。非常に甘美な誘惑を受けて、内心ぐらぐらと揺らぐ綿貫。前述の通り、彼は売れない作家で、生活は常に厳しく困窮している。今の暮らしに心から満足しているわけではない。それでも。
「こういう生活は、

私は、一瞬躊躇ったが勢いが止まらず、

ーー私の精神を養わない。」


P.185~186 より引用

「私の精神を養わない」

この一行のために、この物語を読む価値はじゅうぶんにあると桐乃は思う。

そのあとの展開がまた、綿貫らしくて良いのよね。
うん。この一連の流れは、まさにこの物語の真骨頂といって良いと思う。
まだ夜の闇が濃く、人間と、ひとならぬものたちが、時に互いに干渉しながら共存していた時代の物語。ファンタジーといってしまえばそれまでだけど、私たち日本人には馴染みのあるような、懐かしい風景のように感じられるわね。
桐乃がもし、なにかおすすめの小説はないかと聞かれたら、この一冊をおすすめしたい。舞台が現代ではないので小説に馴染みのないひとにはとっつきにくい部分もあるかもしれないけど、刺さるひとには深いところまで突き刺さると思う。なにより、1話ごとがとても短いので、寝る前に少しずつ読み進めていくのにもうってつけだし、睡眠の邪魔をしない良質な物語。間違いない。
実は、続編とスピンオフ作品もあるのよね。
うん。続編は『冬虫夏草』

『家守綺譚』からの流れで主要登場人物たちはほぼ同じだけど、桐乃個人としては、スピンオフの『村田エフェンディ滞土録』を推したい。

『家守綺譚』にちらっと名前が出てくる、トルコにいる村田という綿貫の友人が主人公なのよね。
1890年(明治23年)、和歌山県沖で台風により遭難したトルコの軍艦エルトゥールル号。地元のひとたちが献身的にその救助活動にあたり、それにいたく感激した当時のトルコ帝国皇帝によって日本人考古学者が研究のためトルコに招聘されることになり、その大役に抜擢されたのが、この村田なんだよね。
そのトルコでの下宿先の人間関係を主軸として、当時の社会情勢、そして複雑な民族や宗教について描かれているのよね。
『家守綺譚』とは異なり、とくに後半は残酷なくらいシビアな現実世界が描かれていて、はじめて読んだときは衝撃的だった。今のこの時代にこそ読んでほしい作品だと思う。
トルコは先日の地震により甚大な被害を受けていると報道されているわね……。
亡くなられた方々に心よりお悔やみ申し上げます。そして被災された方々にお見舞い申し上げるとともに、一日も早い復興をお祈りいたします。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

背景色
  • 生成り
  • 水色