第3話

文字数 1,461文字

 そんなことを考えているとき、病院から院内感染調査の聴き取りがあった。主に皮膚病のことだが、怪我をした件についても訊かれた。病院は秋子のこともしきりに訊いてくる。秋子に何か不審を持っているようだ。春雄は何故? と思ったが、これまでのことを思い出してみる。やはり疑問を感じてきた。今まで考えもしなかったことだ。二度も事故に遭ったのは、はたして偶然だろうか。考えるほどに疑問は膨らんでいく。
 数日後、院長から事実を知らされた。これまでのことは秋子の仕業だったのだ。吊り戸棚のネジを緩め、落ちるように細工をしたのも、病原菌を持ち込んだのも、秋子だったのだ。春雄の看護を続けたかったからだそうだ。驚きは少なかった。むしろ秋子の気持ちをもっと早く理解できなかった自分のうかつさを悔やんだ。今となっては、秋子をうらむ気持ちも生じなかった。院長には警察沙汰にならぬよう頼んだ。
 その後の数日間、秋子は病室には現れなかった。自分でいれる紅茶は美味しくなかった。
 そんなある日、院長から電話がかかってきた。
「お伝えしたいことがあるので、後で伺います。それと、秋子くんが君に謝りたいと言っているのだが、連れて行ってもいいですか」
「ええ、かまいません。あ、また秋子さんのいれた紅茶を飲みたいくらいですと、伝えてください」
 春雄はほっとして応えた。
「そうか、よかった。それでは一時間後におじゃまします」
 一時間後。院長は部屋へやってきた。
「病院としても事件になっては困ることもあるので、君の寛容さに甘えることにしました。秋子くんもとても反省しています」
 ドアの外で待っていた秋子が促されて入ってきた。
「すみません……ごめんなさい」
 俯いたまま、「わたし春雄さんと、もう少しだけ、一緒にいたくて……」と、震えている。途切れ途切れに話したことは――。
 本当に吊戸棚が落ちるとは思っていなかった。落ちて整形外科に移ることになればいいな、というくらいの気持ちだった。申し訳なく、一所懸命看護をした。だが、また魔が差した。感染症病棟の看護師の急な長期休暇休で配置換えになったとき、春雄のティーカップに菌を付けていたのだ。
でも苦しむ春雄を見たとき自分の行為の恐ろしさを知った。自分の願望はどうでもよい。春雄の完治に精力を尽くそう――。
「私、言い訳などできない、とてもひどいことをしてしまって……」
 ごめんなさいと、泣きだしてしまった。
 春雄は哀れみが先にたち、かける言葉を探すのに苦労した。
「いや、もう何も言わなくてもいいです。また、美味しい紅茶をいれてください」と、笑みを浮かべた。
 秋子はしゃくりあげる背中を見せて紅茶をいれた。春雄にカップを渡す時、一瞬春雄と目を合わせた。秋子は悲しさと、懐かしさが入り混じった表情を見せた。
「秋子くん。今日はこのくらいでいいでしょう。後は僕が話すことがあるから、もう行きなさい」
 院長の言葉に秋子はドアの方へゆっくり歩いていった。ちょっと振り返り紅茶のカップに目をやり、一礼して部屋から出ていった。
 春雄は紅茶を一口すすって院長の言葉を待った。秋子の涙を見たせいか、紅茶はほろ苦く感じた。
「いやー事件にはせずにおきますが、まったく処分なしというわけにはいかないものでね」
 院長は一呼吸おいた。
「はぁ、そういうものなんですか」
 春雄は二口目を口に運ぶ。紅茶はやはり苦い。
 院長は続ける。
「それで、罰の意味も込めて、秋子くんにはしばらくの間、遺体安置室で清掃作業をやってもらうことにしたよ」

             【驚】
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