第3話
文字数 6,535文字
それからは毎日があっという間に過ぎていった。
最初の一ヶ月は一日の大半を勉強に費やしアイシアの補佐としての仕事はしなかった。
補佐としての勉強、これは普段から行っていた聖書を覚えるほかにアイシアの予定を管理する仕事だった。前任の聖女様の補佐をしていたジェシィ様に教わりアイシアがいかに過ごしやすくするかを勉強した。
それはアイシアも同じだったようで前任の聖女様であるカラル様につき聖女としての仕事を学んでいるようだった。
ようだった、というのは全然会って話すような時間がなく、ジェシィ様から聞くだけだったからだ。その際に「アイシアさんも同じように聞かれてましたよ」と笑っていたので少しだけ恥ずかしくなったが、アイシアも同じ気持ちで居てくれるのだと嬉しくなった。
二ヶ月が経った。この一ヶ月は実際に補佐としての仕事をはじめた。
朝の支度の準備、その日行われる行事の確認、そしてそれの付き添い。
補佐の仕事の最初の方は混乱することが多く二人して「今日は朝からなんだっけ?!」「礼拝以外になにかあった?!」とバタバタしたものだったが一ヶ月もするうちにそれも慣れたものだった。
もちろんこの合間にもちまちましたまどろっこしい嫌がらせを受けていたが正直構っている暇はなく無視を貫いているといつの間にか消えていた。例の悪霊もどきさんの仕業だろう。悪いものではないと大聖女様は仰っていたがやってることが悪霊じみているので悪霊もどきさんという名前に私の中で落ち着いた。
三ヶ月が経った。この一ヶ月は新聖女のお披露目を兼ねたお祭りが行われた。
アイシアの痣の模様である薔薇を各家で飾り街中は薔薇の花の香りでいっぱいになり、薔薇のアクセサリーやお菓子が販売されていたらしい。らしいというのは私自身はアイシアの補佐で式典に付き添っており他の聖女見習いが話しているのを聞いたからだ。
式典は失敗することなく万事上手くいき、神からの祝福として空から薔薇の花が降り注いだ。そこでようやく肩の荷が軽くなったのかアイシアは嬉しそうに微笑んでいた。
式典終了後、私たち二人はアイシアの部屋でだらけきっていた。
「無事終わって良かったね」
と、私が言えばアイシアが「これからが大変なのよ」と言った。
確かにこれからは前任の聖女様も補佐様も居ないのだ、そう考えるとしゃきりと気合を入れなければいけないのだがなんともその気合がない。だらりとソファに身体を預けたまま「ふう」と溜め息を吐いた。
「あ!」
アイシアが大きな声を上げる。
何ごとかとソファから身を起こすとアイシアが引き出しをごそごそと漁っている。
「アイシア? どうしたの?」
「見つからないように奥にしまったから届かなくて……」
よいしょ、との掛け声と共に引き出しを外すと小さな小箱を中から取り出してくる。
「これ、誕生日プレゼント」
「え」
「今日誕生日でしょう? 本当は一日お休みをあげたかったんだけどさすがにそれは出来なくて……よければ受け取って」
「誕生日なの、忘れてた……」
「なあにそれ」
あんなに気にしてたのに、というアイシアは笑っている。
受け取った小箱は小さな宝石箱で丁寧な彫り細工が施されていた。これだけでどれくらいの金額になるのだろうと思ってしまうあたり庶民さが抜けないなと思う。
「開けてもいいの?」
「うん」
ぱかりと中身を開けると中にはミモザの花のネックレスが入っていた。
「わあ」
「前に眼の色がミモザの花と同じって言ってたからミモザの花にしてみたの」
つけてあげる、と言うアイシアにネックレスを手渡し、後ろからネックレスを回してつけてもらう。
ミモザの花には所どころダイヤモンドが使われているのかきらきらと輝いていた。
こんな綺麗なもの私がつけてもいいのだろうか、と思った瞬間に脳内に「もちろん」と声が響く。びくりと身体を反応させあたりをきょろきょろと見るが居るのはアイシアだけだ。ただ、苛立った様な表情をしている。ど、どうしたんだ。
「アイシア……?」
「まだ邪魔しないで下さいって言ったじゃないですか」
アイシア天井に向かって、いや空に向かって話し掛ける。
「そうは言ってもね、きみがネックレスなんかあげちゃうから、この子が自信失くしちゃったんだよ」
そうしてアイシアの目の前に突如現れたのは見目麗しい男性で、足首までの銀糸の長髪に蜂蜜酒のような瞳の色をしていた。一瞬不審者かと二人の間に割って入ろうとするが見覚えがある容姿に躊躇している間にアイシアがこちらを向く。
「そうなのレミィ?!」
「いやこんな綺麗なもの私がつけても良いのかなあって」
「良いに決まってるでしょ! レミィに似合うのを私が選んだのよ!」
ぷんぷんと怒っているアイシアに「ごめん、あとありがとう」と言えば機嫌が直ったのかにこりと微笑み先ほどからこちらをにこにこしながら見つめている男性を再び睨み付ける。
「それはそうとまだ邪魔しないでって言ったじゃないですか」
「仕方ないじゃないか」
「えーと、二人は仲良し? なの?」
と呟けば、二人から「違う」「違うよ」とそれぞれ返ってくる。じゃあ一体どんな関係なんだろうと頭に疑問符を浮かべていればアイシアがす、と祈りの姿勢をとるので慌てて自分も祈りの姿勢になる。
「こちらにいらっしゃるのは我らが神です」
「えっ」
「よろしくね、レミィ」
堪え切れずに声を漏らせば神様がフランクに話しかけてくる。
「そしてあなたの伴侶よ、レミィ」
「えー?!」
チッと舌打ちをしながらアイシアが言えば神様が私の手を取り立ち上がらせる。そして手の甲に口付けを落とすと蔦の痣が消え、花の痣が浮き出てきた。手の甲から二の腕まで咲いた花の名はサザンクロスだった。
「ようやくきみの手に花を咲かせることが出来た」
レミィ、と蕩けるような熱を込められて名前を呼ばれたことなんてなかった。それに花も咲かせられるならもっと早く咲かせてほしかった。ボッと頬が熱くなると同時に涙がポロポロと両頬を伝った。感情のコントロールが上手くできない。
「わた、しは落ちこぼれじゃなかったんですね」
「その逆よレミィ。あなたに誰も近寄らせないために蔦の痣を刻印していたの」
「僕のお嫁さんに変な虫がついたら困るだろう」
「そのおかげで嫌がらせばかりされてたのよ!」
「あわ、アイシア神様にそんな口をきいては……」
「いいのよ、別に」
「そうだよ、それが許されるのが聖女だからね」
仲の良いやり取りに一人取り残される自分が少し寂しくなる。
「そもそも初対面で神の頬叩いてきたのは歴代でこの子くらいだよ」
「えぇっ?! アイシア何してるの!」
「こいつが悪い」
「結果的にそうだね」
「ええー……」
二人が納得してるならいいけど、と告げ足し未だ繋がれたままの手をじ、と見つめる。
「ん?」
「あの、手が」
「十八年待ったんだからもう少し繋いでたいな」
「はひ」
美形のお願いは断れない。くやしい。
「そ、そういえば初対面で頬っぺた叩いたのってどういうことなの? アイシア?」
「ああ、それはね」
話は三か月前に遡る。
私、アイシア・ハルバートは大聖女様から次期聖女のお告げを受け、レミィと別れ大司教様がいらっしゃるところへ行くところだった。次期聖女に選ばれて良かった、と思わないわけがなかった。容姿が現在の聖女と似通っており、星見の名に相応しいと次期聖女だと噂されていた。ただその頃はまだ痣は発現していなかったが、周囲からの期待に両親からの期待と重圧。その噂や重圧が嫌なわけではなかったが小さな身体には受け止めきれなかったのだろう。よく食べたものを吐いたりしていた。
そんな私を両親が心配して九歳の頃に出会わせたのは一つ年が上のレミィだった。
くりくりの赤毛に黄色の瞳はとても可愛らしくこんな子が聖女だったらなと思った。
しかしレミィは小さな頃から「聖女なんてめんどくさい」「アイシアもやめちゃいなよ」「こうやって芝生の上で寝てる方が楽しいよ」と言っており聖女には微塵も興味が無いようだった。そんなレミィと過ごす内に食べ物を吐くこともなくなり、そして十歳の誕生日に左手の甲に薔薇の痣が発現したのだ。
レミィは残念そうにしていたが「無理せずにね」と「お手紙書くね」と言ってくれたのだ。両親はレミィの両親に感謝を告げ私はその足で教会に行くことになった。
教会での生活は特に不便はなく、どちらかというと取り巻きたちが煩いくらいだった。しかし邪険にすればああいうタイプは悪い噂を流してくるので適当にあしらっていた。そんな私の楽しみは月に一度届くレミィからの手紙だった。教会での手紙のやり取りは一人あたりに返信するのが月に一度までと決まっており何通届いても一度しか送れないのだ。
レミィの手紙はとりとめのない日常のことが書いてあってそれがとても楽しかった。彼女が気紛れで送ってくれた四つ葉のクローバーを押し花にした栞は今も使っている。
と、過去のことを思い出していたら大司教様のいらっしゃるところ、大聖堂に辿り着いた。
「アイシア・ハルバートです」
門番兵に名前を告げると扉が開く。私が来ることが連絡済みだったのだろう。
「失礼しま」
「おかしいですわ!」
開いた扉から入り名前を改めて名乗ろうと思ったらキャンと子犬が吠えた様な甲高い声が響いた。
「あまりにも聖女交代が早すぎます! せっかく聖女になれたと思ったのに」
ぐす、と涙を流しながら大司教様に詰め寄るのは現聖女のカラル様だった。確かに現在の聖女に変わってから三年しか経っていない。異例の速さの交代である。
「しかし大聖女様がお告げを間違う筈はない、それはお前たちも分かっているだろう」
「それは、そうですが……」
「いやあ、きみたちに一切悪いことはないんだよ、これが」
突然大司教様の後ろから声が聞こえてきてひょこりと長身の見目麗しい青年が出てくる。足首までの銀糸の長髪に蜂蜜酒のような瞳の色、その姿は何度も見たことのある姿だった。
「マナティス様……」
私がポツリとその名を呟くと全員の視線が集まる。サッと膝を折り、頭を下げてから挨拶を陳べる。
「アイシア・ハルバートただいま参りました」
「よく来たな、アイシア」
楽にしてよいという大司教様の言葉に「はい」と答え立ち上がり、周囲の人間を見渡す。
半泣きのカラル様にそれを慰める補佐のジェシィ様。それに大司教様とマナティス様そっくりの男性。
「さて、先ほどの話なのだけれど」
「本当にマナティス様なのですか? ならばなぜ私は聖女をやめなければならないのでしょうか?」
マナティス様に似た男性はにこりと微笑み話を続けようとするが、カラル様がそれを遮るようにして食いかかる。
「きみたちに一切悪いことはないんだよ。ぜーんぶぼくの都合」
「その都合というのは……」
「神の都合を人の分際で聞きたいの?」
「す、みません」
重圧というのだろうか。異質な重い空気がカラル様の身体にのしかかり、膝をつく。
ねえ、レミィ。あなただったらこんな時にどうするかしら。そのままでいる? それとも何か口を挟む? 私は――。
私は、つかつかとマナティス様の目の前まで早歩きで近寄ると横っ面を思いっきり叩いてやった。
バチン!と大きな音を立てて頬を叩きその痛みで右手が痺れた。
「こら、アイシア!!なんてことを」
「よい、許す」
「しかし」
「許すと言った」
「……承知しました」
大司教様とマナティス様の会話から、私の処遇はマナティス様の温情で首の皮一枚繋がったらしい。
「それで、なぜ殴った?」
「マナティス様もご存じのはずです。カラル様は敬虔な聖女でした。それを自分の都合だからとそのまま放り出すのは例え神と言えどいかがなものでしょうか」
「ふむ……まあそれもそうだな、カラル、ジェシィこちらに」
「はい」
「は、はい」
「二人にはぼくから祝福を授けよう、他に欲しいものがあれば授けるが」
「いえ、祝福だけで十分です」
「はい」
二人は先ほどまで泣いていたのが落ち着いたらしい。恐縮しながら礼を言い大聖堂から出て行った。
「マナティス様非礼をお詫びいたします。処罰はどんなことでもお受けいたします」
私はマナティス様の前に膝をつき頭を下げる。
「うーんそうだね、じゃあきみの友達のレミィって子のこと教えて?」
「は?」
予想だにしない発言に思わず素が出る。
「実はレミィをお嫁さんにしようと思ってて」
「はあ?!」
まさかレミィをお嫁さんにする為に私を聖女に選んだってこと?と考えた所で「違うよ」とマナティス様が告げる。
「きみのこともずっと見ていたよアイシア・ハルバート。次期聖女に相応しい敬虔さを持ち、他者に厳しくも優しいきみ以外に聖女は居ない」
「あ、ありがとうございます……」
まともに褒められてしまい少し照れてしまった。
「その点レミィは聖女には向かないかな。このまま能力が発現しなければその辺の馬の骨みたいな奴と結婚して幸せそうにするんだろうけど、その幸せはぼくが与えたいんだよね」
「それで私が呼ばれたと……」
「半分正解で半分不正解」
「といいますと」
「本当は出てくるつもりじゃなかったんだ。きみたちが大聖女と呼んでいるクラリスにお告げするように頼んであったし、ヨシュアだけじゃ場が収まらなさそうだったからね。出てきたってわけ」
ヨシュアと呼ばれた大司教様は面目ないとマナティス様に向かって頭を下げる。
「きみが呼ばれたのはこれからのことについてヨシュアから説明があるからだよ」
ね、ヨシュアと大司教様を見て笑うマナティス様は神々しかった。そんな神様叩いちゃうのってどうなの、汚点だわ。
「それでレミィのことなんだけど……」
「言える範囲のことでしたら言えますが、それでも良いですか?」
「もちろん! やったね」
本当に神なのだろうかと思わない訳ではなかったが大司教様の様子を見るにそうなのだろう。
それから私たち三人はレミィの話で盛り上がったのだった。
「ってわけ」
「めちゃくちゃ不敬だよ?! よく許してもらえたね?!」
私は思わず椅子から立ち上がりアイシアに詰め寄る。
「あそこで殺されててもおかしくなかったって今も思ってるわ、でもそうしたらレミィが怒ったでしょう? だから大丈夫だって後で思ったの」
「そうだねぇ、レミィに嫌われるのだけはいやだからね」
私はよしよしとマナティス様に頭を撫でられソファに座り直す。
「あの、私のどこがそんなに好きになったんでしょうか?」
「そんなの全部よぜーんぶ! 嫌いになる部分なんてないでしょ」
「アイシアに同意するのは癪だけど全部かな。魂の形からその清らかさから、きみのあたまの先から爪先まで愛しているよレミィ」
「うっ……あの、伴侶ってことはその」
「ぼくのお嫁さんになって欲しい」
「アイシアは知ってたの?」
こうなること、と呟けばアイシアはバツが悪そうに頷く。
「騙すみたいで嫌だったんだけど、お告げがもう下りていたから」
「十八歳の誕生日に迎えに行く……」
「そういうこと」
「そっかあ」
そう言った私の瞳からポロリと涙が零れる。
それに驚いたのはアイシアとマナティス様だった。
「なに?! どうしたの?」
「泣かないで、レミィ」
「いや、なんかお嫁さんになるのは嫌じゃないんだけど、この三ヶ月頑張ったこと考えると勝手に涙が……」
「レミィが望むならここに居ても良いよ」
「え」
「その代わり聖女の代変わりになったらそのあとはぼくのものになってくれる?」
「はい!」
約束、とマナティス様が小指を差し出すので私も小指を差し出しぎゅ、と絡める。そうすると小指に蔦の痣が現れる。
「それ見る度にぼくのこと思い出してね」
「とか言いながら頻繁に会いに来るつもりでしょ」
「あは、バレちゃった?」
「じゃあそろそろぼくは帰るよ」
ソファから立ち上がったマナティス様は私の頭を一撫でして別れを告げる。
「マナティス様また」
「私はまた明日ね」
「二人ともまたね」
そうしてマナティス様が消えるとどっと疲れが出てきてソファに座り込んでしまう。
「アイシアよくあんな顔の良い人を前にして色んなこと話せるね」
「あんたその顔が好みの人に弱いの直した方が良いわよ」
私はアイシアの言葉に「そうかも」と呟いた。
最初の一ヶ月は一日の大半を勉強に費やしアイシアの補佐としての仕事はしなかった。
補佐としての勉強、これは普段から行っていた聖書を覚えるほかにアイシアの予定を管理する仕事だった。前任の聖女様の補佐をしていたジェシィ様に教わりアイシアがいかに過ごしやすくするかを勉強した。
それはアイシアも同じだったようで前任の聖女様であるカラル様につき聖女としての仕事を学んでいるようだった。
ようだった、というのは全然会って話すような時間がなく、ジェシィ様から聞くだけだったからだ。その際に「アイシアさんも同じように聞かれてましたよ」と笑っていたので少しだけ恥ずかしくなったが、アイシアも同じ気持ちで居てくれるのだと嬉しくなった。
二ヶ月が経った。この一ヶ月は実際に補佐としての仕事をはじめた。
朝の支度の準備、その日行われる行事の確認、そしてそれの付き添い。
補佐の仕事の最初の方は混乱することが多く二人して「今日は朝からなんだっけ?!」「礼拝以外になにかあった?!」とバタバタしたものだったが一ヶ月もするうちにそれも慣れたものだった。
もちろんこの合間にもちまちましたまどろっこしい嫌がらせを受けていたが正直構っている暇はなく無視を貫いているといつの間にか消えていた。例の悪霊もどきさんの仕業だろう。悪いものではないと大聖女様は仰っていたがやってることが悪霊じみているので悪霊もどきさんという名前に私の中で落ち着いた。
三ヶ月が経った。この一ヶ月は新聖女のお披露目を兼ねたお祭りが行われた。
アイシアの痣の模様である薔薇を各家で飾り街中は薔薇の花の香りでいっぱいになり、薔薇のアクセサリーやお菓子が販売されていたらしい。らしいというのは私自身はアイシアの補佐で式典に付き添っており他の聖女見習いが話しているのを聞いたからだ。
式典は失敗することなく万事上手くいき、神からの祝福として空から薔薇の花が降り注いだ。そこでようやく肩の荷が軽くなったのかアイシアは嬉しそうに微笑んでいた。
式典終了後、私たち二人はアイシアの部屋でだらけきっていた。
「無事終わって良かったね」
と、私が言えばアイシアが「これからが大変なのよ」と言った。
確かにこれからは前任の聖女様も補佐様も居ないのだ、そう考えるとしゃきりと気合を入れなければいけないのだがなんともその気合がない。だらりとソファに身体を預けたまま「ふう」と溜め息を吐いた。
「あ!」
アイシアが大きな声を上げる。
何ごとかとソファから身を起こすとアイシアが引き出しをごそごそと漁っている。
「アイシア? どうしたの?」
「見つからないように奥にしまったから届かなくて……」
よいしょ、との掛け声と共に引き出しを外すと小さな小箱を中から取り出してくる。
「これ、誕生日プレゼント」
「え」
「今日誕生日でしょう? 本当は一日お休みをあげたかったんだけどさすがにそれは出来なくて……よければ受け取って」
「誕生日なの、忘れてた……」
「なあにそれ」
あんなに気にしてたのに、というアイシアは笑っている。
受け取った小箱は小さな宝石箱で丁寧な彫り細工が施されていた。これだけでどれくらいの金額になるのだろうと思ってしまうあたり庶民さが抜けないなと思う。
「開けてもいいの?」
「うん」
ぱかりと中身を開けると中にはミモザの花のネックレスが入っていた。
「わあ」
「前に眼の色がミモザの花と同じって言ってたからミモザの花にしてみたの」
つけてあげる、と言うアイシアにネックレスを手渡し、後ろからネックレスを回してつけてもらう。
ミモザの花には所どころダイヤモンドが使われているのかきらきらと輝いていた。
こんな綺麗なもの私がつけてもいいのだろうか、と思った瞬間に脳内に「もちろん」と声が響く。びくりと身体を反応させあたりをきょろきょろと見るが居るのはアイシアだけだ。ただ、苛立った様な表情をしている。ど、どうしたんだ。
「アイシア……?」
「まだ邪魔しないで下さいって言ったじゃないですか」
アイシア天井に向かって、いや空に向かって話し掛ける。
「そうは言ってもね、きみがネックレスなんかあげちゃうから、この子が自信失くしちゃったんだよ」
そうしてアイシアの目の前に突如現れたのは見目麗しい男性で、足首までの銀糸の長髪に蜂蜜酒のような瞳の色をしていた。一瞬不審者かと二人の間に割って入ろうとするが見覚えがある容姿に躊躇している間にアイシアがこちらを向く。
「そうなのレミィ?!」
「いやこんな綺麗なもの私がつけても良いのかなあって」
「良いに決まってるでしょ! レミィに似合うのを私が選んだのよ!」
ぷんぷんと怒っているアイシアに「ごめん、あとありがとう」と言えば機嫌が直ったのかにこりと微笑み先ほどからこちらをにこにこしながら見つめている男性を再び睨み付ける。
「それはそうとまだ邪魔しないでって言ったじゃないですか」
「仕方ないじゃないか」
「えーと、二人は仲良し? なの?」
と呟けば、二人から「違う」「違うよ」とそれぞれ返ってくる。じゃあ一体どんな関係なんだろうと頭に疑問符を浮かべていればアイシアがす、と祈りの姿勢をとるので慌てて自分も祈りの姿勢になる。
「こちらにいらっしゃるのは我らが神です」
「えっ」
「よろしくね、レミィ」
堪え切れずに声を漏らせば神様がフランクに話しかけてくる。
「そしてあなたの伴侶よ、レミィ」
「えー?!」
チッと舌打ちをしながらアイシアが言えば神様が私の手を取り立ち上がらせる。そして手の甲に口付けを落とすと蔦の痣が消え、花の痣が浮き出てきた。手の甲から二の腕まで咲いた花の名はサザンクロスだった。
「ようやくきみの手に花を咲かせることが出来た」
レミィ、と蕩けるような熱を込められて名前を呼ばれたことなんてなかった。それに花も咲かせられるならもっと早く咲かせてほしかった。ボッと頬が熱くなると同時に涙がポロポロと両頬を伝った。感情のコントロールが上手くできない。
「わた、しは落ちこぼれじゃなかったんですね」
「その逆よレミィ。あなたに誰も近寄らせないために蔦の痣を刻印していたの」
「僕のお嫁さんに変な虫がついたら困るだろう」
「そのおかげで嫌がらせばかりされてたのよ!」
「あわ、アイシア神様にそんな口をきいては……」
「いいのよ、別に」
「そうだよ、それが許されるのが聖女だからね」
仲の良いやり取りに一人取り残される自分が少し寂しくなる。
「そもそも初対面で神の頬叩いてきたのは歴代でこの子くらいだよ」
「えぇっ?! アイシア何してるの!」
「こいつが悪い」
「結果的にそうだね」
「ええー……」
二人が納得してるならいいけど、と告げ足し未だ繋がれたままの手をじ、と見つめる。
「ん?」
「あの、手が」
「十八年待ったんだからもう少し繋いでたいな」
「はひ」
美形のお願いは断れない。くやしい。
「そ、そういえば初対面で頬っぺた叩いたのってどういうことなの? アイシア?」
「ああ、それはね」
話は三か月前に遡る。
私、アイシア・ハルバートは大聖女様から次期聖女のお告げを受け、レミィと別れ大司教様がいらっしゃるところへ行くところだった。次期聖女に選ばれて良かった、と思わないわけがなかった。容姿が現在の聖女と似通っており、星見の名に相応しいと次期聖女だと噂されていた。ただその頃はまだ痣は発現していなかったが、周囲からの期待に両親からの期待と重圧。その噂や重圧が嫌なわけではなかったが小さな身体には受け止めきれなかったのだろう。よく食べたものを吐いたりしていた。
そんな私を両親が心配して九歳の頃に出会わせたのは一つ年が上のレミィだった。
くりくりの赤毛に黄色の瞳はとても可愛らしくこんな子が聖女だったらなと思った。
しかしレミィは小さな頃から「聖女なんてめんどくさい」「アイシアもやめちゃいなよ」「こうやって芝生の上で寝てる方が楽しいよ」と言っており聖女には微塵も興味が無いようだった。そんなレミィと過ごす内に食べ物を吐くこともなくなり、そして十歳の誕生日に左手の甲に薔薇の痣が発現したのだ。
レミィは残念そうにしていたが「無理せずにね」と「お手紙書くね」と言ってくれたのだ。両親はレミィの両親に感謝を告げ私はその足で教会に行くことになった。
教会での生活は特に不便はなく、どちらかというと取り巻きたちが煩いくらいだった。しかし邪険にすればああいうタイプは悪い噂を流してくるので適当にあしらっていた。そんな私の楽しみは月に一度届くレミィからの手紙だった。教会での手紙のやり取りは一人あたりに返信するのが月に一度までと決まっており何通届いても一度しか送れないのだ。
レミィの手紙はとりとめのない日常のことが書いてあってそれがとても楽しかった。彼女が気紛れで送ってくれた四つ葉のクローバーを押し花にした栞は今も使っている。
と、過去のことを思い出していたら大司教様のいらっしゃるところ、大聖堂に辿り着いた。
「アイシア・ハルバートです」
門番兵に名前を告げると扉が開く。私が来ることが連絡済みだったのだろう。
「失礼しま」
「おかしいですわ!」
開いた扉から入り名前を改めて名乗ろうと思ったらキャンと子犬が吠えた様な甲高い声が響いた。
「あまりにも聖女交代が早すぎます! せっかく聖女になれたと思ったのに」
ぐす、と涙を流しながら大司教様に詰め寄るのは現聖女のカラル様だった。確かに現在の聖女に変わってから三年しか経っていない。異例の速さの交代である。
「しかし大聖女様がお告げを間違う筈はない、それはお前たちも分かっているだろう」
「それは、そうですが……」
「いやあ、きみたちに一切悪いことはないんだよ、これが」
突然大司教様の後ろから声が聞こえてきてひょこりと長身の見目麗しい青年が出てくる。足首までの銀糸の長髪に蜂蜜酒のような瞳の色、その姿は何度も見たことのある姿だった。
「マナティス様……」
私がポツリとその名を呟くと全員の視線が集まる。サッと膝を折り、頭を下げてから挨拶を陳べる。
「アイシア・ハルバートただいま参りました」
「よく来たな、アイシア」
楽にしてよいという大司教様の言葉に「はい」と答え立ち上がり、周囲の人間を見渡す。
半泣きのカラル様にそれを慰める補佐のジェシィ様。それに大司教様とマナティス様そっくりの男性。
「さて、先ほどの話なのだけれど」
「本当にマナティス様なのですか? ならばなぜ私は聖女をやめなければならないのでしょうか?」
マナティス様に似た男性はにこりと微笑み話を続けようとするが、カラル様がそれを遮るようにして食いかかる。
「きみたちに一切悪いことはないんだよ。ぜーんぶぼくの都合」
「その都合というのは……」
「神の都合を人の分際で聞きたいの?」
「す、みません」
重圧というのだろうか。異質な重い空気がカラル様の身体にのしかかり、膝をつく。
ねえ、レミィ。あなただったらこんな時にどうするかしら。そのままでいる? それとも何か口を挟む? 私は――。
私は、つかつかとマナティス様の目の前まで早歩きで近寄ると横っ面を思いっきり叩いてやった。
バチン!と大きな音を立てて頬を叩きその痛みで右手が痺れた。
「こら、アイシア!!なんてことを」
「よい、許す」
「しかし」
「許すと言った」
「……承知しました」
大司教様とマナティス様の会話から、私の処遇はマナティス様の温情で首の皮一枚繋がったらしい。
「それで、なぜ殴った?」
「マナティス様もご存じのはずです。カラル様は敬虔な聖女でした。それを自分の都合だからとそのまま放り出すのは例え神と言えどいかがなものでしょうか」
「ふむ……まあそれもそうだな、カラル、ジェシィこちらに」
「はい」
「は、はい」
「二人にはぼくから祝福を授けよう、他に欲しいものがあれば授けるが」
「いえ、祝福だけで十分です」
「はい」
二人は先ほどまで泣いていたのが落ち着いたらしい。恐縮しながら礼を言い大聖堂から出て行った。
「マナティス様非礼をお詫びいたします。処罰はどんなことでもお受けいたします」
私はマナティス様の前に膝をつき頭を下げる。
「うーんそうだね、じゃあきみの友達のレミィって子のこと教えて?」
「は?」
予想だにしない発言に思わず素が出る。
「実はレミィをお嫁さんにしようと思ってて」
「はあ?!」
まさかレミィをお嫁さんにする為に私を聖女に選んだってこと?と考えた所で「違うよ」とマナティス様が告げる。
「きみのこともずっと見ていたよアイシア・ハルバート。次期聖女に相応しい敬虔さを持ち、他者に厳しくも優しいきみ以外に聖女は居ない」
「あ、ありがとうございます……」
まともに褒められてしまい少し照れてしまった。
「その点レミィは聖女には向かないかな。このまま能力が発現しなければその辺の馬の骨みたいな奴と結婚して幸せそうにするんだろうけど、その幸せはぼくが与えたいんだよね」
「それで私が呼ばれたと……」
「半分正解で半分不正解」
「といいますと」
「本当は出てくるつもりじゃなかったんだ。きみたちが大聖女と呼んでいるクラリスにお告げするように頼んであったし、ヨシュアだけじゃ場が収まらなさそうだったからね。出てきたってわけ」
ヨシュアと呼ばれた大司教様は面目ないとマナティス様に向かって頭を下げる。
「きみが呼ばれたのはこれからのことについてヨシュアから説明があるからだよ」
ね、ヨシュアと大司教様を見て笑うマナティス様は神々しかった。そんな神様叩いちゃうのってどうなの、汚点だわ。
「それでレミィのことなんだけど……」
「言える範囲のことでしたら言えますが、それでも良いですか?」
「もちろん! やったね」
本当に神なのだろうかと思わない訳ではなかったが大司教様の様子を見るにそうなのだろう。
それから私たち三人はレミィの話で盛り上がったのだった。
「ってわけ」
「めちゃくちゃ不敬だよ?! よく許してもらえたね?!」
私は思わず椅子から立ち上がりアイシアに詰め寄る。
「あそこで殺されててもおかしくなかったって今も思ってるわ、でもそうしたらレミィが怒ったでしょう? だから大丈夫だって後で思ったの」
「そうだねぇ、レミィに嫌われるのだけはいやだからね」
私はよしよしとマナティス様に頭を撫でられソファに座り直す。
「あの、私のどこがそんなに好きになったんでしょうか?」
「そんなの全部よぜーんぶ! 嫌いになる部分なんてないでしょ」
「アイシアに同意するのは癪だけど全部かな。魂の形からその清らかさから、きみのあたまの先から爪先まで愛しているよレミィ」
「うっ……あの、伴侶ってことはその」
「ぼくのお嫁さんになって欲しい」
「アイシアは知ってたの?」
こうなること、と呟けばアイシアはバツが悪そうに頷く。
「騙すみたいで嫌だったんだけど、お告げがもう下りていたから」
「十八歳の誕生日に迎えに行く……」
「そういうこと」
「そっかあ」
そう言った私の瞳からポロリと涙が零れる。
それに驚いたのはアイシアとマナティス様だった。
「なに?! どうしたの?」
「泣かないで、レミィ」
「いや、なんかお嫁さんになるのは嫌じゃないんだけど、この三ヶ月頑張ったこと考えると勝手に涙が……」
「レミィが望むならここに居ても良いよ」
「え」
「その代わり聖女の代変わりになったらそのあとはぼくのものになってくれる?」
「はい!」
約束、とマナティス様が小指を差し出すので私も小指を差し出しぎゅ、と絡める。そうすると小指に蔦の痣が現れる。
「それ見る度にぼくのこと思い出してね」
「とか言いながら頻繁に会いに来るつもりでしょ」
「あは、バレちゃった?」
「じゃあそろそろぼくは帰るよ」
ソファから立ち上がったマナティス様は私の頭を一撫でして別れを告げる。
「マナティス様また」
「私はまた明日ね」
「二人ともまたね」
そうしてマナティス様が消えるとどっと疲れが出てきてソファに座り込んでしまう。
「アイシアよくあんな顔の良い人を前にして色んなこと話せるね」
「あんたその顔が好みの人に弱いの直した方が良いわよ」
私はアイシアの言葉に「そうかも」と呟いた。