第10話 浮浪者のボス

文字数 2,741文字

 あかねは繁華街から少し離れた河川敷の方まで歩いていた。

 ここまで来ると、独特な臭いがする。汚い川のへどろの臭いだ。あかねはこの場所に行くことは殆どないのだが、ホームレスがたむろしている場所として巷では有名な話だ。

 河川敷には一般の人たちがいた。近日のマラソン大会に向けてジョギングをしている人もいれば、犬と散歩している男性、寒いのに一人で日向ぼっこしている老婆もいた。



 あかねは橋の下の舗装されている道を歩いていた。ホームレスといえば橋の下だ。あかねは一番近い端まで速足でそこに辿り着くと、汚い衣類やタオルが置かれていて、オンボロな小さなテントが張ってあった。

 あかねが近付こうと躊躇っていると、中から一人の老人が出てきた。

「あの、すみません」

 あかねが声を掛けると、老人は驚いた様子であかねを見る。



「何か?」

「ちょっとお聞きしたいんですが、向こうの繁華街の方で、道路に落ちている茶封筒を見かけませんでしたか?」

「いや、知らん。オレはそもそもそっちにはいかん」

 そう言われて、あかねは「そうですよね」と、小声でいって、その場を離れた。



 ――何で、あたしがこんなことをしなくちゃいけないんだよ。

 あかねは少し焦燥感を覚えていた。あの、適当そうな伊藤が投げかけたので、ホームレスの人が盗ったとは考えられなかったが、依頼主の言葉に従うしかない。

 それに浮浪者と話をするのも嫌だった。相手も一般の人間が話しかけてくることに対して不審に思われるのは分かるし、あかねも無理に聞き込みを突っ込もうとも思わなかった。



 このまま嘘をついて、後日伊藤に茶封筒は無かったとでも言おうか。

 そう思いながら、一応他のホームレスにも心当たりがあるか聞いてみるが、懐疑されたり、怖がられたり、あかね本人のことを聞かれたりなど、嫌な思いをしていた。



 だがその内の一人が、「もしかしたら、“ボス”だったら知ってるかもしれない」と、髪の毛がボサボサで歯がボロボロに欠けている老婆がいった。

「その方はどこにいるんですか?」

「ふほうほはひほひはにひふほ」

 と、彼女は逆の河川敷を指を差して、あかねは老婆に会釈をして、差した通りの方に歩いていく。



 あかねは思いだしたように右腕に装着してある腕時計を見た。もう、午後五時になっている。あかねは昼食を済ませてはいたが、何も進展が進んでいない。ここで進展が進まなかったら、この捜査は、今日は終わりにしようと思いながら、その“ボス”といわれる人間に会いに行った。



 “ボス”はこんなに寒いのにも関わらず、上半身裸になり、タオルで背中を擦っている。本当にこの人なのかと目を疑っていたら、その“ボス”はこちらに気づいた。

「あ、すみません。あたし、私立探偵の者なんですが、少しお聞きしたいのですが、今よろしいでしょうか?」」

「何じゃ」

 “ボス”という人物は、痩せ型の男で、白髪の髭をどこまで伸ばすのかと思うくらい、顎髭が胸の位置まであった。



「向こうの繁華街で、茶封筒を道路に落とされた方がいらっしゃるんですけど、それを探しても見当たらなくて、もしかしたら、知ってる方を探してるんですけど」

「そんなこと、わしらは知らん。もしやお主、わしらホームレスを疑ってるのか?」

「いえ、そうではなくてですね。この近辺に詳しい方だったら何かご存じかなと思いまして……」



 すると“ボス”は、高笑いをした。「ハハハ、いいんじゃよ。わしらは所詮浮浪者じゃ。物を盗んだと思われても仕方がないわい」

 あかねもそれに応えるかのように顔を引きつらせながら苦笑をする。



「しかし、探偵さんも色々依頼が多いのかのう。物を探してくれと……」

「いえ、今回は特別です。中身は現金が入ってたので、それで、その依頼主の方が慌てて探偵事務所に訪れたんで」

「中身が現金か……。ちなみにいくらじゃ?」

 あかねは話していいかどうか躊躇した。「……百五十万円」



「百五十?」“ボス”は素っ頓狂な声を上げた。「そんな大金の封筒が……」

「はい」

「まあ、あの人通りの多い場所だったら、すぐに誰かに拾われているとは思うがのう。しかもその中身が百五十万だったら、拾ったものは交番に届けないとは思うがのう」

「そうですよね。普通」



「まあ、依頼の方は申し訳ないが、諦めた方がいい。最近は物騒な事件が多いし」

「物騒な事件ですか?」

「お主知らんのかのう。昨日あった宝石強盗の事件じゃ。場所はここよりも遠いが、車で三十分くらいの場所じゃ。一店は宝石丸々盗まれたが、もう一店は未遂に終わったがのう」



 あかねは今朝、満田と真が話をしていた宝石強盗のことを思い出した。

「ああ、犯人は五人グループで、未遂に終わった方は一人顔を判明してるって言ってましたよね」

「そうじゃ、警備員に見られてな。警備員の話を元より、似顔絵が出来上がったみたいじゃ。ほれ」



 そう見せられたのは、今日の夕刊だった。一面には似顔絵が描かれている。犯人の一人だろう。あかねはそれを受け取った。

「これだと、犯人を問い詰める事なんて、そんなに時間かからないと思うけど……」

「そうじゃ。まあ、今回はあくまで一人だけ顔をバレている。その部分から警察がすぐに解決できるかじゃな。それに、彼らが逃走した車のナンバーまで確認されている。それは盗難車じゃったようじゃ」

「凄いことやりますよね」あかねは驚愕した。



「それが今回の封筒を盗まれたのとは関係ないが、共通するのは、どちらもここの近辺で行われたことじゃ。物騒な世の中になってもうたわい」

 確かに不穏ではあるが、この場所で浮浪者たちが滞在しているのも物騒の一つにはならないのかとあかねは思った。



「それより、“ボス”は、何をやられてるんですか?」

 あかねはずっと気になっていた、こんなに寒いのに上半身裸で、タオルで身体を擦っていることに首を傾げた。

「ああ、乾布摩擦じゃよ。わしらは風邪引いたら病院も行けんじゃろ。だから、日々の健康が大事なんじゃ」

「でも、そんなことしてたら、余計に風邪ひくんじゃないですか?」

「東洋医学では身体に刺激を与えることで、肺や免疫力が強くなるといわれておる。実際にわしもこのホームレス時代から、ずっと完封摩擦をやって、風邪なんて引かなくなったわい」

 そういっている“ボス”だが、鼻水を垂れ流していて、あかねは笑いを堪えるのに必死だった。



「何でホームレスになったんですか?」

「いや、まあ色々あってな。それよりももう日が暮れてしまってるぞ。十二月は日が暮れるのが早いから、早く帰った方がいいぞ、お嬢ちゃん」

 あかねはいつの間にか、外が暗闇を帯びていることに気付いた。

「分かりました。ありがとうございました」

 あかねは軽く会釈をして、その場を後にした。
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