4 闘い

文字数 2,451文字

「愚かな男ですよ、彼はね。教授も良くご存じでしょうが、私達「人工知能と人類の共生委員会」の初代メンバーなんですよ。若くして、芸術では横に並ぶもののいないほど優秀な彼は、委員会の大本命だったんですけどね。悲しいことに、私は何度も振られてしまった。彼の素晴らしい脳を永遠に生かすことができればどんなに素晴らしいか…!それでも彼は私に反抗し続け、学校まで設立し、しまいには未だにこの計画を止めようとしている。」

「お前にだけは…子供たちから未来を奪わせはしない…」

早坂は、憎しみのこもった声でそう呻いた。
「…。委員長は、そこの早坂君をどうするおつもりなんです?」

「彼の脳はだいぶ侵されてしまっていますから、生かしておいてもまた私を悩ませるでしょうね。ただ、消してしまうのはあまりにも惜しいなあ。そうだ、彼の「汚れた部分」をきれいに「善良で忠実な下部」に塗り替えた彼の脳でも作りましょうか。」

そう言うと、伊高はにんまりと笑い、指をパチンと鳴らした。
あたりが一気に暗くなり、どこからともなくガチャガチャと足音が聞こえてくる。少しの間に、浅川の目の前に数十体の人型ロボットが並び、大きな輪を作った。

「い、今から何をするつもりなんですか…?」
「簡単ですよ。彼に何が正しいのかを気づかせてあげるために、ちょっとしたゲームを用意しました。」
 次の瞬間、体を縛っていた輪っかがはずれ、人型ロボットに抑え込まれた早坂は、ロボットが作る輪の中に運び込まれた。と同時に、一体のロボットが獰猛な犬を連れ、輪の中へ放った。今まで見たこともないほど大きなその犬は、今にも早坂に飛び掛かりそうである。

「さあ、皆さん、こちらへお集まりください。本物の剣闘士のお出ましですよ。この男がいつ善良な市民となるか見ものですねえ。」

洗脳か。伊高は古代ローマのコロッセオさながらの闘技場を作り出し、早坂を極限まで弱らせ、洗脳をしようとしていた。伊高の呼びかけとともに、階下からSランクの参加者が生身の人間のショーを見れるとあって、ぞろぞろと集まってきた。犬を連れていたロボットが指示を出すと、犬が早坂に飛び掛かった。

―伊高も、相変わらず趣味が悪い。
震える足でなんとか立ちながら、早坂充はこぶしを握り締めた。横目に、浅川教授の姿がほんの一瞬見えた。
―浅川教授がなぜここにいる? 早く逃げたほうがいい。
襲いかかってくる犬の頭に、何とかパンチを食らわせる。犬はそれでも全くひるむようすはなく、一度後ろに富んだかと思うと再び飛び掛かってきた。観客の歓声が聞こえる。
―今頃、徹はどうしているだろうか。奏ちゃんや、牧人君は無事だろうか。

そう思ったのもつかの間、犬が思いっきり早坂の足にかみついた。激痛に、思わず後ろに倒れそうになる。痛みに歯を食いしばりながら、この機会のために改造されたとしか思えない犬を、早坂は哀れに思った。ここにいる連中も、心底哀れである。永遠の命と名誉、という言葉に惹かれ、この男に完全にいいように操られている。彼らが一番大切にしてきたものを見捨てることを強いられ、まだ残っていた道徳心を自己陶酔に塗り替えられている。目の前の犬は、標的を徹底的に痛めつけることを教えられているのか、抵抗するたびに勢いを増して嚙みついてきた。

「なかなかしぶといんですね、早坂君は。おかげで観客は大盛り上がりですよ。だがそれもいつまで持つかな…?」
伊高は心底楽しそうにそう言った。再度横を見ると、そこに浅川教授の姿はすでになかった。
―この場から、逃げたか。あの教授もやはり頭がいい。
その時だった。正面から、犬が早坂の腕にかじりついた。鋭い歯が筋肉に食い込み、血が噴き出る。早坂はあまりの痛みに気を失いそうになった。このまま血が流れ続けては、確実に死んでしまう。
「うう…。痛い…!たすけてくれ…。」
早坂の口から、思ってもみない言葉が漏れ出た。自分がこの男に助けを求めるなどありえないことだった。
「そうだ、それでいい…。」

伊高はそういうと、ロボットたちに何かを命じた。すると早坂を取り囲むロボットの目から映像が映し出され、早坂の脳内にある「良い記憶」を映像にして流した。早坂が若いときに初めて自分の作品が入賞した記憶。各界の著名人に自分の作品を称賛され、あちこちのメディアに取りあげられ、世間に天才だともてはやされた記憶。自分が一番大事にしている記憶は、一切取り除かれていた。そのやり方の未熟さに、早坂は身を切るような痛みに苦しみながらも、思わず苦笑いした。

―伊高よ、お前はいつまでたっても、私を理解できないのだな。

長年一緒に働いた経験がありながら、伊高は何一つ早坂のことを理解していなかった。自分の作品は、一度切りの人生の中で生み出されるこそ価値がある。早坂の作品のテーマがそれであるのにも関わらず、自分の作品のファンであるとさえ言っている岩淵はまだ永遠性の価値を早坂にすり込もうとしていた。

―一番哀れなのは、伊高、お前だよ。

「そろそろ出来上がってきた頃かな…?」
伊高がそう言うと、ロボットに命じ犬の攻撃を辞めさせた。早坂は流血の止まらない腕を抑えながら、力なく床に膝をついた。

「本当に、哀れな男ですねえ。さあ、次の相手はSランクの皆様から募集いたします。彼を思いっきり痛めつけて、とどめの攻撃を与えてやってください。」
その場が一気に静まり返った。皆自分の手を汚したくないのか、誰も名乗り出ない。参加者同士が顔を見合わせ、お前がいけよ、とそそのかしあっている。その時だった。

「私にやらせてください。」

群衆の背後から男性の声が聞こえた。参加者は誰が名乗りを上げたのかと驚いて後ろを見る。前へ歩み出るその男性を見て、早坂は我が目を疑った。それは、浅川教授だった。

「おお、素晴らしい。浅川教授。やはりあなたは私のことを一番よくわかっていますね。」
岩淵は拍手をしながら、さも満足そうにそう言った。

「浅川教授…。なぜ…?」

腕まくりをした浅川教授は、口元に笑みを浮かべていた。
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登場人物紹介

早坂徹(はやさか とおる)・・・この物語の主人公。19歳のAIENS(人工知能と人類の調停役となる人材の養成校)に通う全国トップレベルの秀才。


蒼井奏(あおい かなで)・・・早坂の高校時代からの同級生。空手の日本代表選手で、運動神経が良い。


坂木牧人(さかき まきと)・・・早坂の友人。飼い猫「ツグ」をこよなく愛す。


伊高正則(いだか まさのり)・・・「人工知能と人類の共生委員会」委員長。5年前に脳内データとして復活した。


浅川海晴(あさかわ うみはる)・・・AIENSの講師。


早坂充(はやさか みつる)・・・早坂徹の父親。元「人工知能と人類の共生委員会」メンバー。


サヤカ・・・AIENSに一学期の途中から編入をしてきた謎の女の子。


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