お七夜

文字数 2,063文字

 ある家に男の子が生まれた。父親である男は我が子にどのような名前をつけたものか、と頭を抱えている。

 妊娠が分かってすぐに交わした妻との約束で、男児が生まれたら自分が、女児が生まれたら妻が名付けると取り決めていたものだから、今さら「決まっていない」とも言い出せず、明日にはお七夜を迎えようとしていた。

 お七夜と言えば、古来から命名書が付き物。目の前に置いてある白紙の命名書を、穴が開くほど見つめているが、名前が決まらないことには筆を取るどころか墨を出すことも出来ない。
 男はスマホを取り出し、電話帳を検索する。

―――プ、プ、プ、トルゥゥゥゥ、トルゥゥゥゥ
「おう。俺だ。どうした?」
 聞き慣れた友の声。
「悪い、悪い。ちょっと相談があってな」
 そう切り出すと、友人に我が子の名前を相談する。

「子供の名前ってお前、俺にゃ荷が重いよ。でも、そうだな、お前の好きなアニメのキャラと同じ名前なんかどうだ?愛着が沸くんじゃないか?」
「アニメキャラの名前って、そんなんでいいのかよ」
「なあに、俺達の親の世代だって、好きな芸能人と同じ名前付けたりしてんだ。変わんねえよ」
「はあ、そんなもんか。なら、エミリオとか、アレックスとか、アインとか――」
「お、アインなんかいいんじゃないか。漢字は、そうだな。愛の印で愛印とかどうだ?」
「なんだそれ、すげぇいいじゃん。二人の愛の印だもんな」
 大層盛り上がって電話を終えた後、男は我に返った。こんな決め方で良いのだろうか、と。
 そこで男は他の人にも意見を聞いてみることにした。セカンド・オピニオンだ。

―――プ、プ、プ、トルゥゥゥゥ、トルゥゥゥゥ
「はい、もしもし」
「あ、ばあちゃん?急にごめんね。ちょっと相談があるんだ」
 そう切り出すと、大好きな祖母に我が子の名前を相談する。
「うーん、おばあちゃんは最近の名前はよく分からないけれどね。昔から名前を付けるときには字画ってものを考えたものだよ」
「字画?なんだいそれは」
「名前の漢字の画数でね、運勢を占うのさ。だからあんたと同じ名字のお爺ちゃんや、曾じいちゃんの名前と同じ名前ならきっと良い運勢になるよ」
「なるほど!お爺ちゃんは寅之祐だよね、曾お爺ちゃんの名前は確か……」
「貞吉だよ」
「ありがとう!おばあちゃん」
 とてもためになる話を聞いた後、男は我に返った。さすがにダサいんじゃないか、と。名前から加齢臭が漂っていそうだ。一も二もなく、男は次の電話をかける。

―――プ、プ、プ、トルゥゥゥゥ、トルゥゥゥゥ
「もしもし?」
「久しぶり、委員長!」
 高校卒業以来、十年ぶりに聞く声。学年トップの成績で有名大学に進学していった元学級委員長。特に仲良かったわけではないが、メッセンジャーアプリの同窓会グループから電話をかけた。こういうときは、頭の良い人に聞くのが一番だ。男は通りいっぺんの挨拶を済ませると、例のごとく、我が子の名前を相談する。

「僕は人様の子供の名付けに口を出せるような人間ではないのだけれど、強いて言うなら海外でも通用する名前が良いと思うよ」
「なんでさ?ここは日本だぜ」
「グローバル化は進んでいる。もう今の子供達は海外交流が当然になっているんだ。そんなときに日本人の名前は発音しにくい、なんてことになると困るだろう?」
「なるほど、それはそうだ。でも、どんな名前なら海外の人が発音しやすいんだかサッパリ分からないよ」
「エイト、ケン、ジョウ、トウマ、なんかどうかな?」
「いいじゃん!どれもカッコいいよ」
 流石は元委員長、言うことがインテリだな、と納得した後、男は我に返った。折角、色んな人に聞いてアイデアを貰ったのに、他の人の案を勝手に捨ててしまって良いのだろうか、と。

 再び頭を抱える男の元に天啓が舞い降りた。
「この画家の名はピカソ。本名をパブロ、ディエーゴ、ホセ、フランシスコ・デ・パウラ、ホアン・ネポムセーノ、マリーア・デ・ロス・レメディオス、クリスピーン、クリスピアーノ、デ・ラ・サンティシマ・トリニダード、ルイス・イ・ピカソと言い――」
 テレビから流れてきたナレーションで男は閃く。元委員長は「グローバル化は進んでいる」と言っていた。ならば、名前だって海外のように、姓と名の間に、いくつも挟めば良いのだ、と。確かミドルネームとか呼ばれているやつだ。いくつも使えるならと、男は今までに出た名前を片端から入れることにした。

 斯くして、男の息子の名は、『田中・笑美里桜・荒烈駆主・愛印・寅之祐・貞吉・瑛斗・健・襄・当真』に決まった。愛着が湧き、運勢が良く、海外の人も読みやすい、素晴らしい名前だ。
 そして男は、部屋を飛び出し、命名書を買いに文房具屋へ向かって歩きだす。予め用意していたサイズでは入りきらないので、縦長の掛け軸タイプを探しに行くのだ。
 妻はなんて言うだろうか、きっと感激するに違いない、などと想像を膨らませる男の足取りはとても軽やかだった。
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