卒業生に残る校風

文字数 1,974文字

 産学官連携とは聞こえは良いが内実は往々にして、成果を吸い上げたいだけの「産」の側に当事者意識は低く、「官」に専門知識や統率力は無く、「学」の人材への労働集約的献身に依存する脆弱な場合が多く、連携事業の撮影はいつも気が乗らない。しかし今回の連携事業は、「産」の担当者が「学」の大学の出身でなおかつ「官」の担当者と顔見知りということもあり、「産」の担当者の献身的な関与が目立ち、事業は一体感をもって進んでいる。「産」の研究所で設備の撮影を終えた後は本社へ赴き、「官」の司会する産学官担当者の座談会風景を写真に収めた。撮影日程の最後には「学」の有名大学を訪れ、キャンパスと担当教授の研究室を撮影した。大学は旧帝大の一校でもあり、ノーベル賞学者も輩出した名門校だ。創立来数多の学生が研鑽を重ね、研究者は真理を探求し、議論は自由闊達に交わされたのだろう、竟に昂揚した学問のオーラは構内に漂い、今こうして構内を撮影する私を大いに魅了している。
 その日の撮影工程を全て終えると、産学官の各担当者と私の四人で懇親会の席を囲んだ。私は今回の事業に参加できた機会に礼を述べ、今日の一番の驚きだった大学のオーラへの感激を伝えた。するとこの大学の出身でもある「産」の企業の担当者の男は「嬉しいコメントです」と言い、気を良くしたのかビール片手に自身の学生時分の話を始めた。男は在学三年の時に授業の理解が怪しくなり、一年の休学期間を独習に充て、復学して計五年の在学で卒業したという。卒業後は「産」の企業で開発職に従事してきたが、学生時代の休学と独習の経験は自分の生き方に今も揺曳していて、会社では仕事が暗礁に乗り上げると一旦立ち止まって経過を見直して再出発する生き方を続けているという。しかし「上司からは休むたびに眉をひそめられる」と、いつのまにか仕事の愚痴をこぼしている。
「日本中の優秀なエンジニアが集まった今の職場にもオーラはあるんですけどね、無機質的といいますか、有体には結果至上主義と言いますか、大学で感じた有機質的なオーラとは違うんですよね」と大胆なことを言う。なるほど「無機質的」という表現は言い得て妙だ。有機と無機、その違いから産学連携がしばしば期待以上の成果を出せない理由が見えた気がしたが、「学」の担当教授が「らしい」コメントを挟んできた。
「最新の研究ではいかなる有機も複数の無機の組み合わせで合成できるとわかってきたので、有機無機の境界は消えつつあるんだよ。現実の産学連携もそうなる日は近いかもしれないね」と言う。すると教授と知己の「産」の男は、
「会社の側に、もう少し大学のような有機質的空気が漂うと良いんですけどね、立ち止まって休むなんて許されないんですよね、営利と学問は元来相容れないものなんでしょうね」と早くも酔ったのか、青臭い議論を持ち込んできた。初対面の席でこういう青臭い話をするのはあの大学の校風なのか、酒の力なのか、或いは男の性格なのか。ビールを飲み干した男は、
「でも官の方々は大学を産業の側に合わせようと法人化や実利での評価とか、大学改革を叫んでますよね、なんか違うと思うんです、大学を解ってないですよね」と荒れ気味になってきた。有機無機で言えば、「産」の無機から「学」の有機は合成できても、「学」の有機は「産」の無機には還元できないということを言いたいのだろうか、などと考えながらビールを飲むと、黙って聞いていた「官」の担当役人は、
「いまの理屈で産学連携事業を考えると、「産」の側が「学」に寄るほか事業は成功に遠いということですね」と言った。批判されて癪に障ったのか役人は続けて「「産」が「学」に寄るということは、「産」が営利ではなく事業を寄付するとか、事業の営利を超長期で考えるとか、「産」の営利法人としての存在意義を否定する、そういうことになるんじゃないですか」と男に現実的な観点から意見した。すると男は、
「「学」が「産」に寄るより良いと思うんですよ、なんか今は結果出す期限を一方的に突きつけられて、凄まじい経費つぎ込んで、勝った負けた、売れた売れなかったで評価される毎日ですけど、研究開発ってそうじゃないよなって、いつも思うんです。従業員や設備をフル稼働させて僅かの利益を求めるなんて資源の無駄使いですよ、小さくてもゆとりある収支構造で今と同じ大きさの利益を出せるならば、新しい資本主義も生まれてくると思うんですよね」と酒席らしい議論を焚きつけている。昼に見たオーラの大学はこういう男も排出するのか、と思いテーブルの空気を推し量ると、どことなく憎めない男への返答に「官」が戸惑っている様子を見せる横で「学」の担当教授は、「私は君のような卒業生がいることを誇りに思うよ」と言い、空になった男のグラスにビールを注いだ。
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