マフィア御用達のステーキハウス

文字数 1,981文字

 三年ぶりに米国出張に来たのだが、感染症の蔓延から本格的に客足が戻っていないのか、奇跡的に人気ステーキ店の予約がとれた。仕事仲間との会食を避け現地在住の友人と二名で伺う予定だったが、友人は急用で同席できないと連絡してきた。仕方なく独りで店に向かうと、予約していた二名席は別の客に解放するので普段は使わない席に案内しても構わないかと聞かれ、この店での食事の機会を逃したくなかったので快諾した。案内された席は、何十年も前の話だが食事中のマフィアが射殺された席だった。
 メニューを眺め、スターターに生ハムとメロン、サラダにトマトと玉ねぎを選び、メインの肉をどうしようか、ワインは何を合わせようかと悩んでいるとウェイターが、
「せっかくこの席にお座りになられたのですから、ステーキとワインはこの席でマフィアが食べていたものと同じものにされてはいかがでしょう?」と、二十二オンスのフィレミニョンと、二十年もののオーパスワンを勧めてきた。予算を遥かにオーバーするし、ワインは独りで飲みきれるか心配だったが、生来の見栄っ張りも手伝って、
「いいですね、肉はミディアムレアでお願いします」と翌月のカード引落額を心配しながら答えるとウェイターは、
「デザートと葉巻は、お嫌いでなければですが、サービスいたします」と言ってくれた。
 赤い絨毯と濃茶色の重厚なオーク材の内装に、白いテーブルクロスと銀の食器が織りなす店内の色彩に魅了されていると、ワインが運ばれてきて、半分だけデキャンタしてくれた。生ハムとメロンにオーパスワンは重すぎるとの店の配慮だったが、果たしてデキャンタの効果か、葡萄の華やかな香りが、香り高いメロンを包む生ハムの塩分と油脂分に調和し、至極の前菜となった。残ったオーパスワンを飲みながらサラダをつまみに肉を待っていると、二十二オンスの肉塊が運ばれてきた。ナイフを入れると溶けた牛脂と熱せられた水分が芳醇な肉汁となって溢れ、付合せのじゃが芋といい塩梅に混ざり、軽く振られた胡椒の香りは焼炭の香りと重なって鼻腔をくすぐり、大きな肉塊もボトルのオーパスワンもあという間になくなった。すっかりマフィア気分に浸ったのでデザートにはカンノーリをお願いし、エスプレッソのお湯割で口の周りの油分を落とし甘味を満喫した。
 葉巻は別室で嗜むのかと思ったが、皿を下げたウェイターは、葉巻と食後酒のフィーノをテーブルに用意してくれた。葉巻の端を切り落としてくれたウェイターに、
「最後に食べたものがこの見事な食事だったのなら、マフィアの方にはせめてもの救いだったんじゃないでしょうか?」と葉巻を咥えながら言うと、ウェイターは、
「あなたはどうですか、これが最後の食事だったら嬉しいですか」と言う。すると手に持っていたトレイをガタンと落とし中腰になると、腰の後ろに手を回して拳銃を取り出し、こちらに銃口を向けてきた。一瞬何ごとかと思ったが、異変に気付いた周囲の客は悲鳴をあげながら出口に殺到している。ウェイターは私に向かいヤクザがどうのこうのとわめいているが、彼はひよっとして私を誰かと、そうだ、キャンセルした友人と、間違えているのではないか。
「わ、私は、マフィアでもヤクザでもない、人違いだ」という私の悲痛な叫びをよそにウェイターは躊躇なく引き金を引いた。銃口からは小さな炎が出ていた。葉巻用のライターだった。ウェイターはにやり笑うと、悲鳴をあげて出口に向かっていた客たちも笑いながら戻ってきて口々に、引っかかったね、やったぜ、と互いにハイタッチしている。
 客と店員が代わる代わる私の席にやってきて葉巻を咥えて一緒に写真を撮ったり、他愛もない会話を交わしていると、やがて葉巻は燃え尽き、私は勘定をお願いした。チップも含めるともう一往復出張できそうな金額に面食らったが、ドッキリを成功させて楽しそうな皆の顔を見ていると値下げ交渉などできず、気の小さい見栄っ張りの日本人は笑顔でサインした。ウェイターは小さな声で、
「ところでマフィアはなぜ死んだかご存知ですか」と聞いてくる。なんのことかと意味を計りかねていると、ウェイターは、
「マフィアは防弾チョッキを着ていたので銃弾は致命傷ではなかったんです。彼の本当の死因はステーキに盛った毒だったんです。警察も一緒に仕組んだので、表に出ませんでしたが」とそっと十字を切った。
 どう返したらいいのかまごつく私を尻目にウェイターは、物分かりの悪い奴だといわんばかりの表情で、
「こちらで解毒剤も販売しておりますが、お求めになりますか」と茶色の小瓶を差し出してきた。値札には更にもう一往復出張できそうな金額が書かれていた。



第26回「小説でもどうぞ」佳作
https://koubo.jp/article/22738
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