歩夢と二五郎

文字数 2,553文字

 甲斐田 歩夢(かいだ あゆむ)が十九歳にして書き上げた「ラブソング」。この作品は歌謡レコード大賞の新人賞に選ばれた。
 若き歌い手の世界は一変する。
 連絡が殺到。それも大して親しくない知人ばかり。「こういうの本当にあるんだ」
 母は歩夢の功績に泣いて喜ぶ。父は無愛想に「おめでとう」とだけ言った。
 自らの夢に反対し続けた者たちの鼻を明かせたという実感。清々しさで頭が一杯になる。受話器の向こうの話なんて耳に入って来ない。
「十九歳にもなって何て幼稚なんだろう」と我が事ながら眉を顰める。

「鷹尾さん、間もなく入りです」
 その名前を耳にするや跳ねる鼓動。胸が張り詰める。血液が不規則に脈動して「此処から出せ、然もなくば突き破るぞ」と脅かす様だった。
「会うんだな……」
 鷹尾 二五郎(たかお じごろう)。彼もまたシンガーソングライター。ポピュラー音楽の基盤を築いた功績から、齢五十にして「生きる伝説」と称される。作品は生活の情緒を繊細に描き、時に社会に一石を投じる。その歌声は聴く者の心を奮い立たせる説得力を持っていた。
 歩夢は二五郎に憧れている。ファンなんて生易しいものではない。彼の曲は楽譜を見なくても何でも演奏出来る。コンサートに沢山足を運びたくて、費用を賄う為にバイト漬けの毎日を送った。
 学業は正直な所かなり疎かにした。
 バイト代の使い道は誰にも話さなかった。父は小言を口にしたけれど、歩夢も一歩も引かず事ある毎に噛み付く。こんな事が続き親子の仲は冷え切ってしまった。母は両者を執り成しつつ「あまり心配を掛けるな」と歩夢を諭した。

 歩夢は二五郎の影響で歌を歌ってギターを弾き、曲を作り始める。才能は六年で開花。彼女はアーティスト活動における「kAImU(カイム)」の名をヒットチャートに連ねたばかりか、憧れの二五郎と顔合わせまで果たそうとしていた。
 歌謡レコード賞は、授賞式が暮れにテレビ中継される事が慣例となっている。今回は特別企画として、レジェンドと若き天才の対談が催される。レジェンドとは二五郎、若き天才とは歩夢の事である。
 歩夢にとって「天才」という肩書きは不愉快なもの。それを理由に企画を辞退してやろうとさえ考えたが、対談相手が二五郎と知った瞬間に「受けます」と噛り付いた。
「君が取り乱すなんて珍しい」と笑うマネジャーに「わたしがファンだって、絶対に伝わらない様にしてください」と釘を刺した。

「鷹尾さん、到着しました」と番組スタッフの声。
 竦み上がる歩夢の肩。頸椎を両側から潰す勢いだ。顎が正面に突き出され、息がまともに出来ない。「落ち着かないと」と思うが遅く、二五郎が扉の向こうに。そして彼は歩夢に気付くと「今日はよろしく」と会釈する。
 画面の向こうから、客席から憧れ続けたあの姿が目前に。
 人間らしい呼吸と気配。
「実在したっ」と歩夢は思わず叫ぶ。
 咄嗟の出来事、やらかし。二五郎とマネジャーとスタッフ一同が目を丸くする。
 静まり返る。場の誰もが言葉を失う。
「実在してます」と二五郎の低く嗄れた声。茶目っ気のある調子で言い終わった後に口元を緩ませる。そうして空間が音を取り戻す迄に要したのは二十秒程であったけれど、歩夢にとっては十倍の長さに感じられた。
「あっあっあの、すみません……」と慌てる歩夢を、二五郎は「ドッキリ成功」「ほら皆、面を食らってら」と笑いながら宥める。周囲では「仕込みなのか……」「なんか聞いてるか」等が囁かれた。
 歩夢は二五郎というスターの偉大さを早くも実感する。懐の何と深い事か。吹けば飛ぶ様な存在である自分に助け船を出した事に感服せずには居られなかった。
「ありがとうございます」と歩夢は頭を下げ、二五郎は「いいえ」と朗らかに応える。
「ではお時間にも限りがございますので……」番組スタッフが如何にも「やり辛い」と言いたげな表情で二人に着席を促す。
 対談がいよいよ始まる。
 歩夢と二五郎と記者がソファに腰を下ろす。
 対談内容は、「緊張した割に」と思えるぐらいに両者の接触が行われないもの。記者の質問に対し各々が話す形式だった。歩夢は二五郎にとても声を掛けられない。だが、二五郎は対照的に歩夢と記者に分け隔てなく話した。
 対談の形式に関しては事前に知らされている。「冷静に考えたら大した事ではない」と歩夢は安堵したけれど、少し残念でもあった。
 質問全てに答えて対談は終わる。あっという間だった。歩夢が手応えなく感じる一方で記者は「バッチリです」と満足げだった。
 二五郎は記者の背中を押しながら「お疲れ、挨拶は良いから」「年末進行で忙しないだろう」と早々に退散させる。「力作にしますんで、カイムさんもまた……」と記者の声が廊下の壁にサイレンみたいに反響しては遠ざかる。

「さて」と二五郎は息を吐く。「話がしたいと思ってた」
 二五郎が話す事を望んでいる。
 歩夢には言葉がない。状況が飲み込めない。
「君は聞く所によると多作だと。百曲ぐらいストックがあるとか……」
「倍はあると思います。断片的なものも中にはありますけど」と歩夢が答えると、二五郎は「私も多作だったけど、とても敵わないよ」と感心して見せた。
 他の大人にない感じ。歩夢は二五郎の人格に興味を抱きつつあった。
「君の曲で中央交差点ってあるだろう。あの曲、実体験じゃないよね」
 そう尋ねる表情は五十歳男性としては不相応の無邪気さを帯びる。
「ファンレターを基にして書きました」
 歩夢が「そうしてくれってお手紙でした……」と言い終えるより早く、二五郎は「そういう曲だよな」と納得した。
 このやり取りは、彼がある事を決意する上で不可欠な確認だった。
「中央交差点、とても力のある曲だった」
「ありがとうございます」
 作品を憧れの人物に褒められる。感動の余り気狂いになっても不思議でないが、話し手の只ならぬ様子。それが歩夢の関心を掴んで離さなかった。
 流れる沈黙。二五郎の親しみのある態度が鳴りを潜め、空気が静かに張り詰める。
 彼をじっと見つめてどれぐらい時間が経っただろうか。
 二五郎の嗄れ声。先ほどまでは居心地の良さを齎したものであるが、今度は違う。それは歩夢の不安を固めた「蝋燭」にゆるりと火を灯した。

「私を、鷹尾二五郎を殺して欲しい」
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