路上アーティストⅢ

文字数 1,168文字

「週明けかい?あー……、午後だったら抜けても支障ないよ」
「そうか、悪いな」
「仕事以外に用事なんて珍しいね」

 あの少年の歌を無性に聴きたい。いや正確には違う。情動的な事ではない。耳を傾けなければならない。その行為の中に答えがあるに違いないのだ。曲を作れなくなったミュージシャン。鷹尾二五郎は少年の歌と向き合う事によって、忘れてしまっていた何かをもう一度見つけ出せるかも知れない。根拠はないけれど、直感でその様に思えてならなかった。
 けれど、現実は物語みたいに都合良くは動作しない。期待虚しく新宿駅南口の広場に少年シンガーの姿は見当たらなかった。「それはそうか」と、よくよく納得する。あの少年はどう見たって中学か高校生。平日のこの時間帯は授業を受けているに違いなかった。

 二五郎は次の休日も同じく広場を訪れる。今度は祝日の夕方だったけれど、それでも少年の姿は見当たらなかった。
「”路上”を止めたんだろうか」
 あの少年の歌に自らの殻を破る何らかの可能性を見出していたのに。一縷の望みを掴み損ねた失意。その深さは言葉で言い表せるものではなかった。ただ、遠い昔に良く似た感覚を経験した事がある。あれは何時頃の出来事だっただろうか。記憶を呼び起こす過程においてある人物の顔が脳裏に浮かんだその時「鷹尾さん」と、自らを呼ぶ声によって現実に戻される。
「奇遇ですね……」と話す声の主。
「カイム、いや甲斐田さん」
 歩夢はバツが悪そうな顔のまま二五郎に会釈する。
 気まずい沈黙。
「この辺りには良く足を運ばれるんですか」と、率先して口を開いたのは二五郎。半分は気遣いで、もう半分は「あの少年の手掛かりをあわよくば聞き出せないか」という期待による質問だった。
「ああ、はい。デビュー前は此処で歌ってた事があって……。悩んだ時には来ます。原点回帰的な。はい……」
 歩夢は自らの言葉に対する反応を見逃すまいと、憧れの人物の目線の行方を監視する。つい先日、初対面の際には考えられなかった行動。今となっては「変な事を言って混乱させやがって」という苛立ちさえ覚えていた。
「その節はすみませんでした。悩ませている……悩みとは、私が口にした言葉によるものですね。これが思い上がった勘違いだとしても、すみませんでした。不愉快な発言だったと反省しています」
 これは打算ではなくて素直に申し訳ないと思っていた。歩夢は二五郎の反応が予想だにしないものだった為に思考停止。次に紡ぐべき言葉を見失ってしまった。
「どうかしてました。新曲の制作依頼については白紙に戻す方向で此方から話を……」
「待った。ちょっと……ちょっと、待ってください」
 再び二人共に黙り込む。空気が固く張り詰めたけれど一瞬の事だった。
 今度は二五郎が不意打ちを食らって言葉を失った。

「鷹尾さんの新曲、私に書かせてください」
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