記5 血の水のアセナテ
文字数 3,418文字
当たり前だが、俺たちはまだ(できればずっと)エジ校寮にいる。
掃除当番については、俺が川南村出身の生徒たちに割り当てをしつこく言ったら、皆、それなりに楽しそうにやり始めた。
……モーゼ以外は。
「こんな屈辱、初めてだっ!」
掃き掃除をしながらモーゼが呟いた。
「この私が、私の汚した廊下を掃除しなきゃならないなんてっ!」
「当たり前だろ」
窓を拭きながら俺が答える。
「そもそも、モーゼだって、川南村じゃホル子たちの世話で、牛舎の掃除してただろ?」
「あれは仕事。自発的にやってるからいいの。でも、これは労働。いや、苦役と言っていい」
最近覚えたような言葉を使う。
「クダン! 何とかしてよっ!」
なぜか俺たちに付き合うクダンにモーゼが怒鳴る。
が、塵取り係はやめてほしい。目のやり場に困る。
「私はクダンでは」
「じゃあ八段でも七段でもいいや。とにかく! お告げや奇蹟だけ見せて、後は知らん顔が許されるわけないし、川南のみんなが助かる方法、何か考えてよ!」
「仕方ありませんね。それでは、また知恵を貸し、奇蹟を起こしましょう」
クダンが立ち上がり、窓の外を見た。
「この学校に来ている上水道の配管を、ため池用の配管と継ぎ直すのです」
はぁ?
「そうすれば、生徒会長が水を飲もうとすると蛇口からドジョウが出て来てびっくり。『これは天罰』と思うはずです!」
いや、そうかもしれないけど、俺たちにそんな技術はない……。
「天才……!」
モーゼはしかし、箒を持った拳を強く握りしめた。
「飲料水が断たれれば、この学校そのものが存続できない。そうすれば、いくらあの暴虐非道な会長だって私たちに掃除をさせることはできないっ!」
そして目を輝かせて俺を見た。
「お兄! いくよっ!」
「いや、いくよって、どこに」
「決まってるでしょ。水道と言えば……!」
翌日の放課後、水道局前。
うなだれて建物を出たモーゼが、またもや体を震わせる。
「お、おのれ会長。まさか、既に水道局 にまで手を回していたとは……」
「いや、当たり前だろ。いきなり来て、『学校の上水道と防火用の溜池からの水道管をつなぎ直して下さい』なんて言えば、追い返されて。警察呼ばれないだけましだよ」
「ふっ。私たちの戦いは始まったばかりだよっ!」
「それ、終わるフラグ」
「でも、どうすれば……」
「お困りのようですね」
いつの間にか、目の前にクダンが立っていた。
「やはり、私の助けが必要なようですね」
いや、あんたに困らされてるんだし、これだってあんたの提案なんだけど。
「エジ校に流れる水を血にします」
偉そうに言ってるけど、ただの猟奇殺人的発想じゃねーか。
「水圧の問題で、エジ校は屋上にタンクを設置しています。モーターで水をくみ上げ、貯水し、そこから校舎内の水道へ分配する形です」
まあ、確かにそうらしい。もっとも、タンクに腰かけたりできた日陰で休んだり、なんてことはないけど。
屋上、鍵がかかってるし。
「あのタンクの水を血の色にします!」
最悪だ。
「フッ、あの極悪非道のファラオが、シャワーから流れる血で全身が染まり、泣き叫ぶ姿が見えるようね」
モーゼが不敵な笑顔(のつもり。多分。実際はただの危ない人)を浮かべて呟く。
「いや、いくら何でもやりすぎでしょ?」
無駄だと思うが、一応は止めに入る。
「そもそも、そんな大量の血、どうするつもりですか?」
「何も本物の血である必要はありません」
クダンがあっさりと答えた。
「我々はファラオたちに恐怖と屈辱を与えればいいのです。ですから……」
数日後、地元の新聞の東信欄。
『学校の水道からぶどうジュースが出た!』
その新聞を握り、モーゼが生徒会の扉をノックもせずに開いた。
「会長! この新聞を見ろ! そして許してほしくば、我々を解放しろ!」
……だが、軽井沢さんはやたら派手なドレスをまとって、壁の姿見に向かっていた。望月兄妹が両側から化粧を施す。
「あら、皆さんおそろいで」
軽井沢さんがモーゼを、それからクダン(の胸)を憎悪の籠った目で一瞥した。
俺は眼中にないらしい。
まあ、それはそうと。
「……何してるの、会長?」
モーゼが呆気に取られて軽井沢さんを見つめる。クダンも呆然と突っ立ってる。
「テレビの取材が来るらしい」
唯一生徒会らしくパソコンに向かったている浅科さんが答える。
だが、画面を見ればただのネットゲームとレスバトル中だった。生徒会の備品で……。
「新聞に載って調子に乗ったバカがアイドル気分で着飾ってやがる」
自分のことは棚に上げて浅科さんが罵る。
「聴こえてますわ、アセナテさん」
「聴こえるように言ってるし」
「まあ、いいでしょう。今日の私は機嫌がいいですから」
軽井沢さんは芝居がかった仕草で髪をかき上げる。
「理由はわかりませんが、水道の蛇口からぶどうジュースが出るのも、やはり私という偉大な存在故でしょう」
「なわけないし」
「なわけあるか!」
浅科さんとモーゼの声が重なった。
まあ、俺の心の中の声もだけど。
「あれは私が起こした奇蹟だ!」
「私の発案ですよ?」
モーゼとクダンが承認欲求丸出しで主張するけど、こいつら、広告代理店みたいに偉そうだな。
実際に作業やったのは俺なんだけど。
「あ、あなたたちがあの奇蹟を? あり得ないわ」
それを奇蹟だと信じる軽井沢さんの方があり得ねー。
「先日のヘビの奇蹟には多少驚かされましたが、今回の奇蹟は私のもの。なぜなら私は、エジ校の支配者、軽井沢ファラオだからです!」
この間と言ってること違うし。
「そして今日、テレビの取材を受けて、私の偉大さは東信地域、長野県、そして日本中に知れ渡るのです!」
それからまた例によってモーゼたちを見下す。
「……まあ、すでに全国区が約束されている私からすれば、あなたたちの問題など些末事。川南村にもどりたいのでしたら、引き止めはしませんよ? 私は心が広いですから」
と、廊下から足音が響き、小諸君が生徒会室に飛び込んで来た。
「か、会長!」
「何ですか? 騒がしい。もうテレビ局の方が見えたのですか?」
「い、いや、そうじゃなくて」
小諸君は俺たちをちらりと見ると少し会釈し、それから軽井沢さんに向き直った。
「校舎中の水道管から錆が出て、生徒や先生方からクレームが出ています!」
「なっ!?」
軽井沢さんが目を見開く。
「ど、どうして……? 『オレンジジュースやリンゴジュースが蛇口から!』というのは、あちこちである話ではないですか?」
「そう言うのは塩ビ管やステンレス管、専用のタンクと蛇口を準備したからできた代物です。この校舎は昔ながらの鉄製の水道管使ってるし、そもそも水以外が流れる前提じゃないんで」
「そ、そんな……」
軽井沢さんがよろめき、自分の椅子に腰かけた。
「それじゃ、私の取材はどうなるのですか……? ツリッターやフェイクブック、インキャグラムに予告してしまったのに……」
モーゼとクダンが無言で目を合わせる。それから足音をしのばせて会長室を出ようとした」
「待ちなさい!」
軽井沢さんの声が生徒会室に響く。モーゼたちが止まった。
「あれ、あなたたちのせいだったんですね……!?」
「いや、まあ、何ていうか……」
「まあ、その……」
「ていか、会長の奇蹟でしょ?」
「そうそう。ご自分でおっしゃってましたし」
「ゆ、許さない……!」
軽井沢さんが勢いよく立ち上がり、モーゼを指さした。
「認めません! あなた方はやはり、一生エジ校で飼い殺しです!」
「そ、そんな……」
モーゼがよろめき、壁によりかかった。
「かわいそうに」
クダンが憐憫のまなざしを向ける。軽井沢さんが勝ち誇ったように言う。
「この偉大な生徒会長、軽井沢ファラオを貶めたことを一生後悔するがいいわっ!」
でも、浅科さんが呟くのを俺は聞き逃さなかった。
「……人のことどうのこうの言う前に、会長、そのおつむで卒業できるの?」
掃除当番については、俺が川南村出身の生徒たちに割り当てをしつこく言ったら、皆、それなりに楽しそうにやり始めた。
……モーゼ以外は。
「こんな屈辱、初めてだっ!」
掃き掃除をしながらモーゼが呟いた。
「この私が、私の汚した廊下を掃除しなきゃならないなんてっ!」
「当たり前だろ」
窓を拭きながら俺が答える。
「そもそも、モーゼだって、川南村じゃホル子たちの世話で、牛舎の掃除してただろ?」
「あれは仕事。自発的にやってるからいいの。でも、これは労働。いや、苦役と言っていい」
最近覚えたような言葉を使う。
「クダン! 何とかしてよっ!」
なぜか俺たちに付き合うクダンにモーゼが怒鳴る。
が、塵取り係はやめてほしい。目のやり場に困る。
「私はクダンでは」
「じゃあ八段でも七段でもいいや。とにかく! お告げや奇蹟だけ見せて、後は知らん顔が許されるわけないし、川南のみんなが助かる方法、何か考えてよ!」
「仕方ありませんね。それでは、また知恵を貸し、奇蹟を起こしましょう」
クダンが立ち上がり、窓の外を見た。
「この学校に来ている上水道の配管を、ため池用の配管と継ぎ直すのです」
はぁ?
「そうすれば、生徒会長が水を飲もうとすると蛇口からドジョウが出て来てびっくり。『これは天罰』と思うはずです!」
いや、そうかもしれないけど、俺たちにそんな技術はない……。
「天才……!」
モーゼはしかし、箒を持った拳を強く握りしめた。
「飲料水が断たれれば、この学校そのものが存続できない。そうすれば、いくらあの暴虐非道な会長だって私たちに掃除をさせることはできないっ!」
そして目を輝かせて俺を見た。
「お兄! いくよっ!」
「いや、いくよって、どこに」
「決まってるでしょ。水道と言えば……!」
翌日の放課後、水道局前。
うなだれて建物を出たモーゼが、またもや体を震わせる。
「お、おのれ会長。まさか、既に
「いや、当たり前だろ。いきなり来て、『学校の上水道と防火用の溜池からの水道管をつなぎ直して下さい』なんて言えば、追い返されて。警察呼ばれないだけましだよ」
「ふっ。私たちの戦いは始まったばかりだよっ!」
「それ、終わるフラグ」
「でも、どうすれば……」
「お困りのようですね」
いつの間にか、目の前にクダンが立っていた。
「やはり、私の助けが必要なようですね」
いや、あんたに困らされてるんだし、これだってあんたの提案なんだけど。
「エジ校に流れる水を血にします」
偉そうに言ってるけど、ただの猟奇殺人的発想じゃねーか。
「水圧の問題で、エジ校は屋上にタンクを設置しています。モーターで水をくみ上げ、貯水し、そこから校舎内の水道へ分配する形です」
まあ、確かにそうらしい。もっとも、タンクに腰かけたりできた日陰で休んだり、なんてことはないけど。
屋上、鍵がかかってるし。
「あのタンクの水を血の色にします!」
最悪だ。
「フッ、あの極悪非道のファラオが、シャワーから流れる血で全身が染まり、泣き叫ぶ姿が見えるようね」
モーゼが不敵な笑顔(のつもり。多分。実際はただの危ない人)を浮かべて呟く。
「いや、いくら何でもやりすぎでしょ?」
無駄だと思うが、一応は止めに入る。
「そもそも、そんな大量の血、どうするつもりですか?」
「何も本物の血である必要はありません」
クダンがあっさりと答えた。
「我々はファラオたちに恐怖と屈辱を与えればいいのです。ですから……」
数日後、地元の新聞の東信欄。
『学校の水道からぶどうジュースが出た!』
その新聞を握り、モーゼが生徒会の扉をノックもせずに開いた。
「会長! この新聞を見ろ! そして許してほしくば、我々を解放しろ!」
……だが、軽井沢さんはやたら派手なドレスをまとって、壁の姿見に向かっていた。望月兄妹が両側から化粧を施す。
「あら、皆さんおそろいで」
軽井沢さんがモーゼを、それからクダン(の胸)を憎悪の籠った目で一瞥した。
俺は眼中にないらしい。
まあ、それはそうと。
「……何してるの、会長?」
モーゼが呆気に取られて軽井沢さんを見つめる。クダンも呆然と突っ立ってる。
「テレビの取材が来るらしい」
唯一生徒会らしくパソコンに向かったている浅科さんが答える。
だが、画面を見ればただのネットゲームとレスバトル中だった。生徒会の備品で……。
「新聞に載って調子に乗ったバカがアイドル気分で着飾ってやがる」
自分のことは棚に上げて浅科さんが罵る。
「聴こえてますわ、アセナテさん」
「聴こえるように言ってるし」
「まあ、いいでしょう。今日の私は機嫌がいいですから」
軽井沢さんは芝居がかった仕草で髪をかき上げる。
「理由はわかりませんが、水道の蛇口からぶどうジュースが出るのも、やはり私という偉大な存在故でしょう」
「なわけないし」
「なわけあるか!」
浅科さんとモーゼの声が重なった。
まあ、俺の心の中の声もだけど。
「あれは私が起こした奇蹟だ!」
「私の発案ですよ?」
モーゼとクダンが承認欲求丸出しで主張するけど、こいつら、広告代理店みたいに偉そうだな。
実際に作業やったのは俺なんだけど。
「あ、あなたたちがあの奇蹟を? あり得ないわ」
それを奇蹟だと信じる軽井沢さんの方があり得ねー。
「先日のヘビの奇蹟には多少驚かされましたが、今回の奇蹟は私のもの。なぜなら私は、エジ校の支配者、軽井沢ファラオだからです!」
この間と言ってること違うし。
「そして今日、テレビの取材を受けて、私の偉大さは東信地域、長野県、そして日本中に知れ渡るのです!」
それからまた例によってモーゼたちを見下す。
「……まあ、すでに全国区が約束されている私からすれば、あなたたちの問題など些末事。川南村にもどりたいのでしたら、引き止めはしませんよ? 私は心が広いですから」
と、廊下から足音が響き、小諸君が生徒会室に飛び込んで来た。
「か、会長!」
「何ですか? 騒がしい。もうテレビ局の方が見えたのですか?」
「い、いや、そうじゃなくて」
小諸君は俺たちをちらりと見ると少し会釈し、それから軽井沢さんに向き直った。
「校舎中の水道管から錆が出て、生徒や先生方からクレームが出ています!」
「なっ!?」
軽井沢さんが目を見開く。
「ど、どうして……? 『オレンジジュースやリンゴジュースが蛇口から!』というのは、あちこちである話ではないですか?」
「そう言うのは塩ビ管やステンレス管、専用のタンクと蛇口を準備したからできた代物です。この校舎は昔ながらの鉄製の水道管使ってるし、そもそも水以外が流れる前提じゃないんで」
「そ、そんな……」
軽井沢さんがよろめき、自分の椅子に腰かけた。
「それじゃ、私の取材はどうなるのですか……? ツリッターやフェイクブック、インキャグラムに予告してしまったのに……」
モーゼとクダンが無言で目を合わせる。それから足音をしのばせて会長室を出ようとした」
「待ちなさい!」
軽井沢さんの声が生徒会室に響く。モーゼたちが止まった。
「あれ、あなたたちのせいだったんですね……!?」
「いや、まあ、何ていうか……」
「まあ、その……」
「ていか、会長の奇蹟でしょ?」
「そうそう。ご自分でおっしゃってましたし」
「ゆ、許さない……!」
軽井沢さんが勢いよく立ち上がり、モーゼを指さした。
「認めません! あなた方はやはり、一生エジ校で飼い殺しです!」
「そ、そんな……」
モーゼがよろめき、壁によりかかった。
「かわいそうに」
クダンが憐憫のまなざしを向ける。軽井沢さんが勝ち誇ったように言う。
「この偉大な生徒会長、軽井沢ファラオを貶めたことを一生後悔するがいいわっ!」
でも、浅科さんが呟くのを俺は聞き逃さなかった。
「……人のことどうのこうの言う前に、会長、そのおつむで卒業できるの?」