記1 モーゼの述懐
文字数 2,730文字
「エジ校を脱出する」
ある日の夕飯時、突然、従妹の川上モーゼが言いだした。
俺たちが育った川南 村の小学校、中学校は去年、過疎化に伴う生徒数減少により廃校になった。生徒たちは全員、この地域では都会にある公立エジプト初等・中等教育学校、略してエジ校に編入となった。
ちなみに俺、野辺山アロンは、二年前、つまり高等部からここに進学している。
川南村に高校はないから、これは順当だったけど。
「何で?」
ご飯をよそいながら俺が訊く。
川南村の俺たちのほとんどは、エジ校の旧校舎を利用して作られた寮に住んでいる。食事は基本的に自炊だが、モーゼは料理が全く駄目だから、モーゼの母親、俺からしたら叔母さんに頼まれて、弁当も含めてほぼ毎日俺が料理している。
「何でって、お兄 は疑問に思わないの!?」
モーゼがテーブルを叩く。
生まれた頃から一緒に遊んでいたし、今もモーゼは俺を「お兄」と呼ぶ。俺にとっても、モーゼは妹みたいなものだから、こうして気軽に話せる。
「私たちは、生まれ育った川南村から無理やりエジ校に連れて来られたのに!」
「いや、無理やりも何も、過疎で廃校になったからじゃ」
「陰謀ね」
モーゼが人の話を聞かずに腕を組む。
「これはあの生徒会長の陰謀だよ!」
「軽井沢さんのこと? 俺はほとんど接触がないからよく知らないけど、男子にも女子にも人気あるよ」
エジ校生徒会長、軽井沢ファラオ。
高等部二年で、俺の同級生。
才色兼備を絵に描いたような女子高生。どこかの社長令嬢らしいが、あえて公立のエジ校に通ってるらしい。
「はぁ、お兄はだめだなぁ」
モーゼがため息をつく。
三つ下の従妹は、まさしく厨二病まっさかり。「世界は私のものだ」を地で言っている。
「会長は気づかれないようにエジ校の権限を握って、川南村出身の生徒たちを奴隷にしようとしてるのに!」
「モーゼの陰謀論好きはいいけど、あんまりひどいと叔母さんに言うよ?」
「なっ!」
モーゼが顔を真っ赤にする。
今反抗期真っ盛りの彼女は、「叔母さん」という言葉に敏感だ。
モーゼは反論の言葉を探して俺を見ていたが、大きく深呼吸すると、箸をおき、そして周囲を見た。
「誰もいないよね?」
「あ、ああ。多分」
普段のこの時間、自炊場兼食堂は混雑しているが、今日は少し遅くなったため、皆自室に戻ってる。
モーゼは聞き耳を立てた後、俺を小さく手招きした。拒否すると面倒なので、形だけ付き合う。
「お兄だけには教えてあげるけど」
「うん」
「私、神様のお告げを聞いたの。『村の民を連れて、川南に帰れ』って」
俺はのけぞってモーゼの顔を見た。
真剣そのものだった。
「……モーゼ、やばい薬とか手を出してない?」
「出すわけないでしょ!」
モーゼがまたテーブルを叩く。
「川南村のあちこちに、『違法薬物を村に入れないようにしよう!』って書いてあるんだし、私はそんな村に誇り持ってるんだから!」
「誇りだけじゃなくて自制心も持とうよ。それから、現実と夢の境を区別する理性も」
「だって見たんだもん!」
怒鳴ったモーゼが慌てて口を押える。それからまた周囲をキョロキョロと見回し、抑えた声で言った。
「何かね、昨日の夢でね、神様に『村のみんなを連れて川南に帰れ』って言われたの」
「今、はっきり『夢』って言ったよね」
「夢だけど夢じゃないの!」
怒鳴ったモーゼが慌てて(以下略)。
「あのリアルな感じ、あれ、絶対夢じゃないよ!」
モーゼが小声で力強く言う。
「だって、私、あのお告げ聞いた時、夢の中にいるとは思わなかったもん」
「いや、夢ってそう言うもんじゃ……」
「とにかくほんとなの!」
だめだ。
もともと人の話を聞かないモーゼだ。こうなったら何を言っても無理だ。
仕方ないから、俺は質問を変えた。
「……ちなみに、その〝神様〟って、声だけだった? それとも姿を見せた?」
「う、うん、それがね」
モーゼが更に小声になる。
「何か、体はホル子みたいに牛っぽいのに、顔は人間の女の人だったよ」
〝ホル子〟って言うのは、モーゼの実家の農場の乳牛だ。
川南村は酪農と高原野菜の村だが、モーゼの実家は前者だ。そしてホル子は、生まれた時からモーゼが世話をし、可愛がってきた、彼女にとって特別な牛。
もちろん、今じゃすっかりモーゼよりいろんな意味で大きいけど。
でも、今の問題はそこじゃない。俺は、ネット世代の今なら常識になりつつある質問を返した。
「……それ、〝くだん〟じゃね?」
念の為に言うと、〝件(くだん)〟は、既に日本では有名になった妖怪だ。
諸説あるが、一般には、〝牛の体と人の顔を持ち、あれこれの予言をする〟とされている。
「くだん?」
モーゼはきょとんとした顔で訊く。厨二病の知識は偏ってる。
まあ、人のことは言えないけど。
俺がざっと説明すると、モーゼは顎に手を当てて首を傾げた。
「ええ? じゃあ、あれ、妖怪だったのかな?」
「妖怪ではありません!」
突然、食堂に声が響いた。そしてテーブルの隣がまばゆい光に包まれる。
言葉を失った俺たちの前で、光が徐々に消えて、人型になって行った。
「あっ、あーっ!」
モーゼが叫びながら指さす。
「こら、モーゼ! 人を指さない!」
「人ではありません」
俺の叱責に別の声が重なる。若い女性、というか女の子の声。
光が消えた後に現れたのは、その声に相応の、顔付きだけ見れば十代後半、俺と同年代か大学生くらいの女性だった。
「クダン!」
「だから妖怪ではないって言ってるでしょう!?」
彼女が目を閉じ、そして俺たちに向かって手を広げた。
「私は全農の神。あなた方を川南の地に導くもの」
ん?
字、間違ってない?
「変換ミスです! 最初にそうなったんですから私のせいではありません! 文句があるならマイクロ〇フトに言ってください!」
いや、いいですけど。
「ほら、お兄。クダン、ちゃんといたでしょ?」
モーゼがドヤ顔で俺を見る。
いや、「それはくだんではないか」って指摘したの俺なんだけど。
「だから違うと言ってるでしょ!」
クダン(じゃないみたいだけどもういいや)がマジ切れしてる。
「顔が人間はその通りですが、私の体のどこが牛なんですか!」
「え、牛じゃん」
モーゼが不思議そうな顔をして答えた。
「だっておっぱいが、ホル子みたいだし……」
ある日の夕飯時、突然、従妹の川上モーゼが言いだした。
俺たちが育った
ちなみに俺、野辺山アロンは、二年前、つまり高等部からここに進学している。
川南村に高校はないから、これは順当だったけど。
「何で?」
ご飯をよそいながら俺が訊く。
川南村の俺たちのほとんどは、エジ校の旧校舎を利用して作られた寮に住んでいる。食事は基本的に自炊だが、モーゼは料理が全く駄目だから、モーゼの母親、俺からしたら叔母さんに頼まれて、弁当も含めてほぼ毎日俺が料理している。
「何でって、お
モーゼがテーブルを叩く。
生まれた頃から一緒に遊んでいたし、今もモーゼは俺を「お兄」と呼ぶ。俺にとっても、モーゼは妹みたいなものだから、こうして気軽に話せる。
「私たちは、生まれ育った川南村から無理やりエジ校に連れて来られたのに!」
「いや、無理やりも何も、過疎で廃校になったからじゃ」
「陰謀ね」
モーゼが人の話を聞かずに腕を組む。
「これはあの生徒会長の陰謀だよ!」
「軽井沢さんのこと? 俺はほとんど接触がないからよく知らないけど、男子にも女子にも人気あるよ」
エジ校生徒会長、軽井沢ファラオ。
高等部二年で、俺の同級生。
才色兼備を絵に描いたような女子高生。どこかの社長令嬢らしいが、あえて公立のエジ校に通ってるらしい。
「はぁ、お兄はだめだなぁ」
モーゼがため息をつく。
三つ下の従妹は、まさしく厨二病まっさかり。「世界は私のものだ」を地で言っている。
「会長は気づかれないようにエジ校の権限を握って、川南村出身の生徒たちを奴隷にしようとしてるのに!」
「モーゼの陰謀論好きはいいけど、あんまりひどいと叔母さんに言うよ?」
「なっ!」
モーゼが顔を真っ赤にする。
今反抗期真っ盛りの彼女は、「叔母さん」という言葉に敏感だ。
モーゼは反論の言葉を探して俺を見ていたが、大きく深呼吸すると、箸をおき、そして周囲を見た。
「誰もいないよね?」
「あ、ああ。多分」
普段のこの時間、自炊場兼食堂は混雑しているが、今日は少し遅くなったため、皆自室に戻ってる。
モーゼは聞き耳を立てた後、俺を小さく手招きした。拒否すると面倒なので、形だけ付き合う。
「お兄だけには教えてあげるけど」
「うん」
「私、神様のお告げを聞いたの。『村の民を連れて、川南に帰れ』って」
俺はのけぞってモーゼの顔を見た。
真剣そのものだった。
「……モーゼ、やばい薬とか手を出してない?」
「出すわけないでしょ!」
モーゼがまたテーブルを叩く。
「川南村のあちこちに、『違法薬物を村に入れないようにしよう!』って書いてあるんだし、私はそんな村に誇り持ってるんだから!」
「誇りだけじゃなくて自制心も持とうよ。それから、現実と夢の境を区別する理性も」
「だって見たんだもん!」
怒鳴ったモーゼが慌てて口を押える。それからまた周囲をキョロキョロと見回し、抑えた声で言った。
「何かね、昨日の夢でね、神様に『村のみんなを連れて川南に帰れ』って言われたの」
「今、はっきり『夢』って言ったよね」
「夢だけど夢じゃないの!」
怒鳴ったモーゼが慌てて(以下略)。
「あのリアルな感じ、あれ、絶対夢じゃないよ!」
モーゼが小声で力強く言う。
「だって、私、あのお告げ聞いた時、夢の中にいるとは思わなかったもん」
「いや、夢ってそう言うもんじゃ……」
「とにかくほんとなの!」
だめだ。
もともと人の話を聞かないモーゼだ。こうなったら何を言っても無理だ。
仕方ないから、俺は質問を変えた。
「……ちなみに、その〝神様〟って、声だけだった? それとも姿を見せた?」
「う、うん、それがね」
モーゼが更に小声になる。
「何か、体はホル子みたいに牛っぽいのに、顔は人間の女の人だったよ」
〝ホル子〟って言うのは、モーゼの実家の農場の乳牛だ。
川南村は酪農と高原野菜の村だが、モーゼの実家は前者だ。そしてホル子は、生まれた時からモーゼが世話をし、可愛がってきた、彼女にとって特別な牛。
もちろん、今じゃすっかりモーゼよりいろんな意味で大きいけど。
でも、今の問題はそこじゃない。俺は、ネット世代の今なら常識になりつつある質問を返した。
「……それ、〝くだん〟じゃね?」
念の為に言うと、〝件(くだん)〟は、既に日本では有名になった妖怪だ。
諸説あるが、一般には、〝牛の体と人の顔を持ち、あれこれの予言をする〟とされている。
「くだん?」
モーゼはきょとんとした顔で訊く。厨二病の知識は偏ってる。
まあ、人のことは言えないけど。
俺がざっと説明すると、モーゼは顎に手を当てて首を傾げた。
「ええ? じゃあ、あれ、妖怪だったのかな?」
「妖怪ではありません!」
突然、食堂に声が響いた。そしてテーブルの隣がまばゆい光に包まれる。
言葉を失った俺たちの前で、光が徐々に消えて、人型になって行った。
「あっ、あーっ!」
モーゼが叫びながら指さす。
「こら、モーゼ! 人を指さない!」
「人ではありません」
俺の叱責に別の声が重なる。若い女性、というか女の子の声。
光が消えた後に現れたのは、その声に相応の、顔付きだけ見れば十代後半、俺と同年代か大学生くらいの女性だった。
「クダン!」
「だから妖怪ではないって言ってるでしょう!?」
彼女が目を閉じ、そして俺たちに向かって手を広げた。
「私は全農の神。あなた方を川南の地に導くもの」
ん?
字、間違ってない?
「変換ミスです! 最初にそうなったんですから私のせいではありません! 文句があるならマイクロ〇フトに言ってください!」
いや、いいですけど。
「ほら、お兄。クダン、ちゃんといたでしょ?」
モーゼがドヤ顔で俺を見る。
いや、「それはくだんではないか」って指摘したの俺なんだけど。
「だから違うと言ってるでしょ!」
クダン(じゃないみたいだけどもういいや)がマジ切れしてる。
「顔が人間はその通りですが、私の体のどこが牛なんですか!」
「え、牛じゃん」
モーゼが不思議そうな顔をして答えた。
「だっておっぱいが、ホル子みたいだし……」