記4 ポティファルと奇蹟
文字数 3,852文字
「何であんな風に挑発したんすか?」
モーゼの部屋の中の結界で俺はクダンに文句を言った。
「軽井沢さんが頑なになったのあなたのせいじゃないですか」
「ふーん」
クダンが目を細める。
「そう。あなた、生徒会長が好きなんですか? ぺたんこなのに」
「いや、誰もそんなこと言ってないし」
「裏切者!」
モーゼが怒鳴る。
「いや、だから違うって」
「胸が小さい方がいいなんて、お兄のロリコン!」
「軽井沢さん同級生だし。っていうか人の話聞けよ」
「じゃあ何でお兄は会長の肩持つの?」
「会長の肩持ってるんじゃなくて、クダンの暴挙を責めてるわけで」
「クダンではありません! 私は」
「とにかく!」
モーゼが立ち上がった。
「会長の奴、早速川南の生徒を奴隷化し始めたしっ!」
こぶしを握り締めたモーゼの拳が小刻みに震える。
「あいつ! 川南村の子たちに、あんな重労働を……」
「本当にひどい話ですね」
クダンも眉根を寄せ、頷く。俺は呆れてモーゼを見た。
「……いや、寮の掃除は前から言われてただろ? モーゼたちがさぼってただけで」
* * *
現在、寮生の9割は川南村出身の生徒たちだ。共用部分については一応掃除当番が決まっていて、食堂の壁には当番表まで貼ってあるが、俺を除けば年長のモーゼが掃除嫌いだからか、誰もやらない。
軽井沢さんにやんわりと苦情を言われ、仕方なく俺が担当していたが、例の件があった直後、軽井沢さんと小諸君が寮にやって来た。
「あいっかわらず汚いですわね、ここは!」
軽井沢さんが腰に手を当て、顎を突き出して鼻で笑う。
「やっぱり、田舎ものが住んでるところなんて、田舎の臭いに染まっていくんでしょうね?」
「会長。蔑んでるつもりかもしれませんが、それ、ただの変顔ですから」
小諸君が遠慮がちに突っ込む。
確かに、今まで人を見下すような顔をしたことのない人が無理に嘲笑顔を作っているのがイタい。
「それに、川南村を否かって笑えるほど、エジ校のあるここも都会じゃないし」
小諸君は相変わらず冷静だ。
「田舎をバカにしないでっ!」
ブーメラン……。
「それに会長、以前来た時と話が違うじゃないですか。前は『ほとんど初等部の子たちだから仕方ないですわ。あまりに汚れるようなら、生徒会も協力しますから』とか言ってたじゃないですか」
「うるさいうるさいうるさーいっ!」
軽井沢さんが叫ぶ。
前はこんな人じゃなかったのに。これも胸の恨みか……。
「ていうかあなたたち! 人が話してるんだから食べるのやめなさい!」
テーブルでは、モーゼとクダンが、川南名物カナン饅頭をほおばっている。周囲では川南出身の初等部の連中が走り回っている。
「何? 会長には上げないよ? あ、副会長さん、食べる?」
「い、いや……」
「まさか食べるつもりではないでしょうね!」
「た、食べませんよ」
「そもそも当たり前のように座ってるあなた! あなたは一体何なんですか!?」
「だから私は」
「牛女」
「そこは川上さんの言う通りですね」
何か意気投合してるし。
「あーっ。もう、わかりましたっ! そんなこと言うなら本気出しちゃうから! 出しますからね!」
クダンは立ち上がり、どこからか一本の棒を取り出した。
「このステッキをご覧下さい」
「何? 魔法少女? そんな年じゃないと思うけど」
「年関係ないでしょっ! ていうか、ステッキではなく、杖です」
「あ、ごめんねおばあちゃん」
「キーッ!」
クダンが歯ぎしりをする。軽井沢さんがほくそ笑み、小諸君は呆れ顔で眺めている。
「奇蹟ですっ。今から奇蹟を起こします」
クダンは皆を睨みつけながらその杖を軽く撫でた。
「これを見たら、あなた方は恐れおののいて私にひれ伏すでしょう」
と、その杖が一瞬でヘビになった!
……て、それ、ただのパーティーグッズじゃねーかっ!
「キャーッ! ヘビ! ヘビよっ!」
は?
軽井沢さんが飛びのき、小諸君の後ろに回る。
「いや、それ」
「す、すごい」
モーゼもまた、まんじゅうを手にしたままそのヘビ(のおもちゃ)を目を丸くして見つめる。
「本当に奇蹟だ……」
お前ら原始人か?
「フフン」
こんなんでドヤ顔できるクダンにもびっくりだよ。
「なるほど、確かにこれは奇蹟ですね」
小諸君、お前もか?
「でも、これではまだ半分。本当の奇蹟なら、このヘビを元の杖に戻せるはずです」
「え?」
クダンが硬直する。
「生徒たちの寮にヘビがいたら危険です。早く元の杖に戻して下さい」
「こ、小諸君……?」
「副会長さん……?」
「え、ええと……」
軽井沢さん、モーゼ、クダンがそれぞれの思惑で言葉を失う。小諸君は更に追い詰める。
「さあ、クダン様、でしたっけ? 早く元に」
「私は……」
「ヘビだーっ!」
と、食堂で周りを走り回っていたうちの一人、小6のエリツルがテーブルに手を伸ばしてヘビを掴んだ。
「ほんとだーっ! あたしにも見せて」
一つ下のネタンエルがエリツルを追う。他の子どもたちも彼らを追いかけ、皆寮の外に駆け出して行った。
「……ちょうど今元に戻そうとしていたのですが、残念です」
明らかにほっとした顔してる。それから、「あ、あのヘビは、純真な者には危害を加えないヘビですから、彼らは大丈夫です」と付け足した。
まあ、このタイミングで子供たちに奪われたのも、奇蹟と言えば奇蹟かもしれないが。
「ふぅ……」
軽井沢さんがため息を漏らす。
「お、恐ろしいものを目の当たりにしてしまった……」
言い方自体厨二病のモーゼ。
そして、明らかに疑いの目で見ている小諸君と、もちろん俺。
しかし、何を勘違いしたのか、軽井沢さんが俺をキッと睨んだ。
「き、奇蹟は奇蹟、掃除は掃除です!」
うん、まあ、そりゃそうだけど。
「ともかく! ここにある掃除当番表通り!」
軽井沢さんがその壁を思いきり叩いた。
……とても痛そうだ。
「この順番通りにきちんと掃除をすること! いいですね!」
「寮のことは寮生で決めまーす」
モーゼがもごもごしながら答えた。仕方ないから俺が消火に回る。
「モーゼ! 口の中にもの入れて喋るな! って言うかもう喋るな!」
それから軽井沢さんに向き直る。
「ま、まあ、い、今まで通り俺がやるし、皆にも注意するんで……」
「それじゃ、今までと変わらないでしょう? 野辺山君が卒業したら、この寮、ゴミ屋敷まっしぐらよ?」
正論だ。
そもそも軽井沢さんは、公明正大な良い生徒会長だ。
……いや、「だった」というべきか。
「まあ、卒業出来たら、の話だけど」
「は?」
「川南の生徒は、これから永遠に当校で労役に従事していただきますから」
「会長にそんな権限ないですよ?」
「なければ作りなさい」
軽井沢さんが小諸君を横目で見る。
「副会長が会長の補佐をするのは当然でしょ?」
「暴走を止めるのも副会長の役割かと。そもそも無理だし」
「〝無理〟なんて返答は入りません。できるまでやり……」
軽井沢さんが言い終わる前に気を失った。崩れ落ちる彼女の背後には、書記の浅科さん。
「副会長。手伝って」
「あ、うん」
気絶した軽井沢さんを二人で引っ張っていく。
ていうか、浅科さん、何したの?
* * *
……なんてことがあったのに、こいつら、全く反省していない……。
……なんてことがあったのに、こいつら、全く反省していない……。
「話を戻しますけど、どうしてあんな挑発したんですか?」
しつこいようだがもう一度訊く。こいつらに遠慮してたらどんどん話をずらされる。
「ちっ」
あ、クダン、舌打ちしやがった。
だが、俺はひるまない。
「繰り返しますけど、あなたが挑発しなければ、少なくとも会長は反対しなかったはずですが。なぜあえてコンプレックス刺激するようなことしたんですか?」
「だって、多少の困難がないと、救世主っぽくならないじゃないですか」
「は?」
「エジ校でそこそこ楽しく過ごしている皆を引き連れて川南に戻っても、皆が『エジ校の方が良かった』と言うに決まっているでしょう。それでは労働力として期待できません」
「そもそもほとんど小学生だし、児童福祉法なんかの違反では?」
「農業体験により、健全な心の育成を」
「そういうのを、ただの後付けって言うんですよ」
「後付け上等!」
突然クダンが強気になる。
「あんな有名作品もこんなのも、皆後付けだらけです。むしろ後付けがない物語など、物語とは言えません!」
んなバカな……。
「ともかく、苦難を乗り越え、エジ校の支配から逃れる構図が必要なんです!」
「そして、その救世主が、私」
モーゼが無駄に力強く言う。クダンが芝居がかった感じで頷く。
「待ってて、川南のみんな。これから私が、みんなを助けるからっ!」
「そうです、モーゼ。それでこそ救世主です!」
……うん、まあ。
でも、皆を助けたかったら、モーゼの隣の変な人縛りあげて会長の前に差し出すのが一番じゃないかな?
モーゼの部屋の中の結界で俺はクダンに文句を言った。
「軽井沢さんが頑なになったのあなたのせいじゃないですか」
「ふーん」
クダンが目を細める。
「そう。あなた、生徒会長が好きなんですか? ぺたんこなのに」
「いや、誰もそんなこと言ってないし」
「裏切者!」
モーゼが怒鳴る。
「いや、だから違うって」
「胸が小さい方がいいなんて、お兄のロリコン!」
「軽井沢さん同級生だし。っていうか人の話聞けよ」
「じゃあ何でお兄は会長の肩持つの?」
「会長の肩持ってるんじゃなくて、クダンの暴挙を責めてるわけで」
「クダンではありません! 私は」
「とにかく!」
モーゼが立ち上がった。
「会長の奴、早速川南の生徒を奴隷化し始めたしっ!」
こぶしを握り締めたモーゼの拳が小刻みに震える。
「あいつ! 川南村の子たちに、あんな重労働を……」
「本当にひどい話ですね」
クダンも眉根を寄せ、頷く。俺は呆れてモーゼを見た。
「……いや、寮の掃除は前から言われてただろ? モーゼたちがさぼってただけで」
* * *
現在、寮生の9割は川南村出身の生徒たちだ。共用部分については一応掃除当番が決まっていて、食堂の壁には当番表まで貼ってあるが、俺を除けば年長のモーゼが掃除嫌いだからか、誰もやらない。
軽井沢さんにやんわりと苦情を言われ、仕方なく俺が担当していたが、例の件があった直後、軽井沢さんと小諸君が寮にやって来た。
「あいっかわらず汚いですわね、ここは!」
軽井沢さんが腰に手を当て、顎を突き出して鼻で笑う。
「やっぱり、田舎ものが住んでるところなんて、田舎の臭いに染まっていくんでしょうね?」
「会長。蔑んでるつもりかもしれませんが、それ、ただの変顔ですから」
小諸君が遠慮がちに突っ込む。
確かに、今まで人を見下すような顔をしたことのない人が無理に嘲笑顔を作っているのがイタい。
「それに、川南村を否かって笑えるほど、エジ校のあるここも都会じゃないし」
小諸君は相変わらず冷静だ。
「田舎をバカにしないでっ!」
ブーメラン……。
「それに会長、以前来た時と話が違うじゃないですか。前は『ほとんど初等部の子たちだから仕方ないですわ。あまりに汚れるようなら、生徒会も協力しますから』とか言ってたじゃないですか」
「うるさいうるさいうるさーいっ!」
軽井沢さんが叫ぶ。
前はこんな人じゃなかったのに。これも胸の恨みか……。
「ていうかあなたたち! 人が話してるんだから食べるのやめなさい!」
テーブルでは、モーゼとクダンが、川南名物カナン饅頭をほおばっている。周囲では川南出身の初等部の連中が走り回っている。
「何? 会長には上げないよ? あ、副会長さん、食べる?」
「い、いや……」
「まさか食べるつもりではないでしょうね!」
「た、食べませんよ」
「そもそも当たり前のように座ってるあなた! あなたは一体何なんですか!?」
「だから私は」
「牛女」
「そこは川上さんの言う通りですね」
何か意気投合してるし。
「あーっ。もう、わかりましたっ! そんなこと言うなら本気出しちゃうから! 出しますからね!」
クダンは立ち上がり、どこからか一本の棒を取り出した。
「このステッキをご覧下さい」
「何? 魔法少女? そんな年じゃないと思うけど」
「年関係ないでしょっ! ていうか、ステッキではなく、杖です」
「あ、ごめんねおばあちゃん」
「キーッ!」
クダンが歯ぎしりをする。軽井沢さんがほくそ笑み、小諸君は呆れ顔で眺めている。
「奇蹟ですっ。今から奇蹟を起こします」
クダンは皆を睨みつけながらその杖を軽く撫でた。
「これを見たら、あなた方は恐れおののいて私にひれ伏すでしょう」
と、その杖が一瞬でヘビになった!
……て、それ、ただのパーティーグッズじゃねーかっ!
「キャーッ! ヘビ! ヘビよっ!」
は?
軽井沢さんが飛びのき、小諸君の後ろに回る。
「いや、それ」
「す、すごい」
モーゼもまた、まんじゅうを手にしたままそのヘビ(のおもちゃ)を目を丸くして見つめる。
「本当に奇蹟だ……」
お前ら原始人か?
「フフン」
こんなんでドヤ顔できるクダンにもびっくりだよ。
「なるほど、確かにこれは奇蹟ですね」
小諸君、お前もか?
「でも、これではまだ半分。本当の奇蹟なら、このヘビを元の杖に戻せるはずです」
「え?」
クダンが硬直する。
「生徒たちの寮にヘビがいたら危険です。早く元の杖に戻して下さい」
「こ、小諸君……?」
「副会長さん……?」
「え、ええと……」
軽井沢さん、モーゼ、クダンがそれぞれの思惑で言葉を失う。小諸君は更に追い詰める。
「さあ、クダン様、でしたっけ? 早く元に」
「私は……」
「ヘビだーっ!」
と、食堂で周りを走り回っていたうちの一人、小6のエリツルがテーブルに手を伸ばしてヘビを掴んだ。
「ほんとだーっ! あたしにも見せて」
一つ下のネタンエルがエリツルを追う。他の子どもたちも彼らを追いかけ、皆寮の外に駆け出して行った。
「……ちょうど今元に戻そうとしていたのですが、残念です」
明らかにほっとした顔してる。それから、「あ、あのヘビは、純真な者には危害を加えないヘビですから、彼らは大丈夫です」と付け足した。
まあ、このタイミングで子供たちに奪われたのも、奇蹟と言えば奇蹟かもしれないが。
「ふぅ……」
軽井沢さんがため息を漏らす。
「お、恐ろしいものを目の当たりにしてしまった……」
言い方自体厨二病のモーゼ。
そして、明らかに疑いの目で見ている小諸君と、もちろん俺。
しかし、何を勘違いしたのか、軽井沢さんが俺をキッと睨んだ。
「き、奇蹟は奇蹟、掃除は掃除です!」
うん、まあ、そりゃそうだけど。
「ともかく! ここにある掃除当番表通り!」
軽井沢さんがその壁を思いきり叩いた。
……とても痛そうだ。
「この順番通りにきちんと掃除をすること! いいですね!」
「寮のことは寮生で決めまーす」
モーゼがもごもごしながら答えた。仕方ないから俺が消火に回る。
「モーゼ! 口の中にもの入れて喋るな! って言うかもう喋るな!」
それから軽井沢さんに向き直る。
「ま、まあ、い、今まで通り俺がやるし、皆にも注意するんで……」
「それじゃ、今までと変わらないでしょう? 野辺山君が卒業したら、この寮、ゴミ屋敷まっしぐらよ?」
正論だ。
そもそも軽井沢さんは、公明正大な良い生徒会長だ。
……いや、「だった」というべきか。
「まあ、卒業出来たら、の話だけど」
「は?」
「川南の生徒は、これから永遠に当校で労役に従事していただきますから」
「会長にそんな権限ないですよ?」
「なければ作りなさい」
軽井沢さんが小諸君を横目で見る。
「副会長が会長の補佐をするのは当然でしょ?」
「暴走を止めるのも副会長の役割かと。そもそも無理だし」
「〝無理〟なんて返答は入りません。できるまでやり……」
軽井沢さんが言い終わる前に気を失った。崩れ落ちる彼女の背後には、書記の浅科さん。
「副会長。手伝って」
「あ、うん」
気絶した軽井沢さんを二人で引っ張っていく。
ていうか、浅科さん、何したの?
* * *
……なんてことがあったのに、こいつら、全く反省していない……。
……なんてことがあったのに、こいつら、全く反省していない……。
「話を戻しますけど、どうしてあんな挑発したんですか?」
しつこいようだがもう一度訊く。こいつらに遠慮してたらどんどん話をずらされる。
「ちっ」
あ、クダン、舌打ちしやがった。
だが、俺はひるまない。
「繰り返しますけど、あなたが挑発しなければ、少なくとも会長は反対しなかったはずですが。なぜあえてコンプレックス刺激するようなことしたんですか?」
「だって、多少の困難がないと、救世主っぽくならないじゃないですか」
「は?」
「エジ校でそこそこ楽しく過ごしている皆を引き連れて川南に戻っても、皆が『エジ校の方が良かった』と言うに決まっているでしょう。それでは労働力として期待できません」
「そもそもほとんど小学生だし、児童福祉法なんかの違反では?」
「農業体験により、健全な心の育成を」
「そういうのを、ただの後付けって言うんですよ」
「後付け上等!」
突然クダンが強気になる。
「あんな有名作品もこんなのも、皆後付けだらけです。むしろ後付けがない物語など、物語とは言えません!」
んなバカな……。
「ともかく、苦難を乗り越え、エジ校の支配から逃れる構図が必要なんです!」
「そして、その救世主が、私」
モーゼが無駄に力強く言う。クダンが芝居がかった感じで頷く。
「待ってて、川南のみんな。これから私が、みんなを助けるからっ!」
「そうです、モーゼ。それでこそ救世主です!」
……うん、まあ。
でも、皆を助けたかったら、モーゼの隣の変な人縛りあげて会長の前に差し出すのが一番じゃないかな?