第4話-①

文字数 1,799文字

紀伊(きいの)(くに)三輪崎(みわさき)へ戻った私は、手垢のついた漢籍を木箱にしまい、

父上兄上の仕事を慣れないながらも手伝った。

あのように浜へ出ておれば、嫌なことも忘れよう。
あなたが甘やかして、ふらふらさせておったのがいかんのです。

母上、いつぞや芝の庄司様より、豊雄を婿にほしいと話がありましたな。

知らぬ間に、私の縁談が進められていた。

芝の里に庄司という者がいた。

娘が一人おり、朝廷の采女うねめとして差し出していたが、

このたびいとまをもらい、婿さがしをしているという。

いつまでもひとり身でおるから、

物の怪に憑かれてしまうんです。

そのとおりだ。

嫁をもらえば、少しは落ち着こう。

すべては一足飛びに整った。

娘の名は富子と言い、長年内裏だいり仕えしていたこともあり、

容姿、立ち振る舞い、ともに華があり見事であるという。

誰もがうらやむ縁談だった。

「旦那様、今宵は千年の契りを結びとうございます・・・・・・」

私は富子に、真女子のことを忘れさせてほしいと願った。

けれど私にはわかっていた。

真女子の美しさにかなう者がいようはずがない・・・・・・

富子と申します。

ふつつか者にございますが、よろしうお願いします。

私は庄司殿の家に婿入りした。

噂どおり、私にはもったないないひとだった。

黒髪が長く、とても美しい。

はじめの夜は何事もなかった。

私は富子にふれることができなかった。

なぜだかわからない。

富子、本当にこんな田舎者でよいのですか?

都では某の中将ちゅうじょうとか宰相とかみやびなる御方々おんかたがたとともにおったのでしょう。

人は見た目でははかれません。

どんなお大臣様も外見そとみは華やかなれど、

心中しんちゅうには黒きものがございます。

それが旦那様にはございません。

そうかな・・・・・・

旦那様はお優しい顔立ちをしていらっしゃいます。

私にはわかります。

その心中しんちゅうには汚れがなく、真っ白なのでしょう。

ただ、穴があるように思います。

穴・・・・・・?
はい、小さくはない穴がぽっかりと、(ひら)いてございます。
自分では、わからぬ・・・・・・

ですがその穴は、富子が埋めとうございます。

旦那様が旦那様らしく、いられるように・・・・・・

二日目の晩、私は富子と寝間に入り、語り明かした。

宮中で様々なものを見聞きし、

男心を知り尽くしたからであろうか、

出会ったばかりだというに、

私の考えが何から何までわかってしまうかのようだった。

それがどうしてか、わかりますか?
ふいに、富子の顔色が変わった。
私は前々から、旦那様を知っているのです。
そして、その声までも・・・・・・
ま、真女子なのか・・・・・・?

あの日は私を可愛がり、

今宵はこの女を可愛がるというのですね?

こんな女のどこがよいのでしょう。

私の背筋に、さっと冷たいものが走った。

そう怯えなくともよいのです。

千年の契りがあるゆえ、こうして幾度もめぐり会うのでしょう。

これは定めです。

大和の翁が言ったことなど忘れて、

さぁ、私をもう一度、抱いてくださいまし。

た、頼む真女子ッ。

もう私に、まといつかないでくれ、このとおりだ!

それが、本心でしょうか?

今や富子の姿形まで真女子に様変わりしていた。

その白い手が、指が、私の着物の襟の中へ、滑り込む。

私が、ほしくはないのですか?
お願いだ、許してくれ! 堪忍してくれ!
許す? なにを?
何でも言うことをきく。だから・・・・・・
それなら私と、永遠(とわ)に添い遂げてくださいまし。
わ、私のほかにも男はおろう。なぜ私ばかり・・・・・・
旦那様は、雨傘を貸してくださいました。
・・・・・・傘? それだけ?
いけませんか?
馬鹿な・・・・・・

私にはわかってしまったのですよ。

旦那様は、私のように人外じんがいの者すら愛しく思うてくださる御方だと。

冗談じゃない!

いいですか。二度は申しませぬゆえ、よくお聞きください。

私を遠ざけるのであれば、

旦那様は報いを受けることになりましょう。

報い?

この紀州の山々の頂から、

旦那様の赤い血を谷底へ向けて流しましょう。

お命、無駄に致しますな。

もうやめてくれ、本当に・・・・・・

あぁ、これは旦那様ではありませんか。

お顔の色が悪うございますね。

と、屏風の後ろからまろやが歩み出てきた。

その瞳は、蛇のように薄かった。

なにかあったんですか?

こんなにもめでたき良縁の日に。

まろやの口から、二股に割れた舌先が伸びた・・・・・・

私は、気を失った。

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登場人物紹介

豊雄(とよお)

真女子(まなご)

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