第5話

文字数 1,853文字

 娘はこの春、社会人になった。
 運送業者に入社し宅配の仕事に就いた。冒頭の先生の言うところの、肉体労働である。残業も多く、毎日クタクタになるまで働いている。先日は6連勤が終わったと言って、うら若い娘の肌はカサカサになって荒れていた。かつて見たあの、虚ろな表情とはとはまた違う種類の、疲れた表情でソファに横たわっていた。嫌いな人もいるらしいし、休日には「明日仕事行きたくない」とボヤいている。順風満帆とはいかないものの、サラリーで生活する者の、よくある姿になってきたなあと思う。少なくとも、金銭を得るために社会人一年生として社会に揉まれるという、世間一般のスタートを切っている。
 娘が社会の一員として一歩踏み出せたのは、娘が得た様々な経験のおかげである。娘が通っていた定時制高校も、ひとつの重要なツールであった。
 今や経済的困窮が理由で、定時制高校に進学する者は少ない。娘の母校も、そのほとんどが不登校経験者であった。ほかには、発達障がいを持っている生徒や、中にはスポーツをするために入学した生徒もいた。
 娘の母校は、少子化による県立高校の統廃合で、娘の2つ上の学年から新たに生まれ変わった高校だった。定時制は午前コースと夜間コースがあり、通信制もあった。通常の全日制高校と同じように1日授業を受けて3年で卒業することもできた。ボランティアやアルバイトでも単位を取ることができ、スポーツの全国大会に出場するとそれも単位になった。ちなみに、娘も国体出場で単位を貰えている。
 不登校経験のある生徒等が社会に出るためのパイプ役を担う高校として、それぞれの生徒に合わせて多様なカリキュラムを組めることが、学校の特色であった。少人数単位の授業でありながら、先生の人数も決して少なくはなく、細かなフォローが実現できていたように思う。
 学校で指導していることは至ってシンプルだった。登校して授業を受け、単位を取ること、アルバイトやボランティアを通して社会を知ること、そして楽しく生活すること。
 しかしながら、不登校経験のある生徒や発達障がいのある生徒がたくさんいると、学校生活の中でトラブルが多発する。きっと先生たちも大変だっただろう。
 ご多聞に漏れず、娘もトラブルに巻き込まれることが少なくなかった。そして娘の場合、トラブルの渦中にあると決まってヘソを曲げた。最初から解決を諦めてソッポを向き、布団に潜ってしまうのだ。娘の「もういい」は「助けて」と同義語である。
 母親ですら面倒なこの性格に、先生たちはめげもせず付き合ってくれ、ある先生は散々骨を折ってくれた果ての卒業に「勉強になりました」とまでおっしゃってくれた。頭の下がる思いである。
 娘だけではない、トラブルだらけの生徒たちが、1年から2年、2年から3年と級を進めるにつれてその子なりの社会性を獲得していった。そして娘の級友たちは皆、先生に尻を叩かれながら卒業したし、それぞれ就職なり進学を果たし、今も社会の中できちんと「生きること」ができている。
 これはこの高校が、元不登校児である生徒に対し適切な「支援」ができていたからだ。勿論度重なるトラブルの中で解決を見ない問題もたくさんあるだろう。学校に合わず退学してしまう者もいる。
 それでも、柔軟な対応ができる学校の体制と、多様なカリキュラム、それとアルバイトなどで得る社会経験が、多くの生徒たちに上手く作用し、それぞれのエンパワメントに繋がっていたのは間違いない。
 生真面目で正義感が強く、融通が効かない、また繊細で脆弱な娘を、先生たちは上手く「使って」、社会性をコツコツ積み上げてくれていた。例えば娘は、生徒会執行部に所属しており、ことあるごとに雑務を振られていた。それで先生に反発もしていたが、イベント時の段取りや準備、司会進行など、執行部を通して培ったスキルは、今を生きる娘の中できちんと根を下ろしている。
 中学生を対象とした学校説明会では、かつての中学の先生と再会。司会をする娘の姿を見て泣かれてしまったそうだ。それもそうである。その先生は当時、同級生がいる場所では物陰に身を隠し、他の生徒と話すこともできない、コミュニケーション不全の娘の姿を見ているのだ。そこから数年で、見違えるようになった娘を褒めちぎり、その先生は帰っていったそうだ。
 娘を変えていったものは、ひとつひとつの経験の積み重ねである。ボウリングしかり、執行部しかり、学校生活しかり。どれかひとつでも欠けていれば、今の娘はなかっただろう。
 







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