第3話
文字数 2,162文字
娘が酷い人間不信に陥っていたころに、取り組んでいたことがある。
「週に1回の母娘デート」である。行き先は娘が決める。たいてい、ゲームセンターか漫画喫茶だった。生育上、ひとり親を持つ子どもとして、我慢を重ねた娘の一番の願いは、母を独り占めすることだった。これは当時、ともすれば家か実家以外の場所に出かけられなかった娘を、無理矢理外に引き出すための作戦でもあった。この作戦と、兄や祖母との毎日の関わり、または中学校の先生から受ける愛情によって、少しずつ娘は傷を癒やし、どん底の沼から、一歩を踏み出し始めて行ったのだ。
一番に求められるのは、勿論母である私。それを嫌と言うほど理解していたからこそ余裕はなかった。睡眠や食事、または趣味などで、私自身は心身ともにエネルギーチャージができる。しかし、チャージした先から娘に補給しなければならないのだ。娘は当時、ブラックホールのように、母である私のエネルギーを吸収し尽くしていた。充電機能をも失ってしまった娘へのエネルギー補給は、次から次へと尽きぬ、まさに自転車操業であった。人間不信に陥り、生きる力を失った娘もろともに、私もどんどん疲弊していった。
しかし人間には誰しも回復する力がある。娘にも備わっていたその力が向いた方向は、スポーツであった。スタミナの少ない身体だが、運動神経は人並み以上の娘である。
通い詰めたゲームセンターの2階にあったボウリング場。先ずは、遊びからのスタートだった。
週に1回の母娘デートに、ボウリングが組み込まれるようになってからしばらくすると、娘は勝手に競技ドッジボールのチームを運営する青年に、アポイントメントを取っていた。小学校5年生まで、娘は地元のチームでドッジボールをやっていた。市の小学校対抗でドッジボール大会が開催されていたこともあり、かつては級友たちと、公園でドッジボールをして遊んでいたのだ。
本来高校生以上なんですがと断りを入れつつも、青年は快く娘を受け入れてくれた。そのドッジボールチームの活動場所は、自宅から車で1時間のところにある。誰が送迎すると思っているんだ、勝手に、と苛立つ気持ちもあったが、それよりも娘が元気を取り戻しつつあることが嬉しかった。おそらく同じ気持ちでドッジボールに巻き込まれた息子と一緒に、娘にとってもうひとつ、週に1回のお楽しみができたのだった。
この場でも、娘のコミュニケーション問題はなかなか解決しなかった。娘はチームメンバーと話すとき、私の影に隠れ、私にこっそりと返答をした。私はチームメンバーと娘の間に立ち、通訳役を担っていたのだ。
しかしそれも時間とともに、徐々に変貌を遂げる。ろくに会話もできない娘であったが、チームメンバーとはまさにドッジボールで交流を深めていった。投げることはそれなりだったが、男性社会人ばかりのチームでも、中学生の娘のボールキャッチ能力は目を見張るものがあった。私なら怯えて立ちすくむしかない勢いのボールを、娘はいくつもキャッチした。
体育館にこだまする「ナイッス!」の声、声。そのひとつひとつが、娘の心で自信となり、もう一度獲得して行くコミュニケーション能力の礎となった。
そして、娘にとって「ふたつ目のスポーツ」であったボウリング。これこそが、娘の、自立への道標となった。
その連絡は突然、私の携帯にやってきた。電話の相手は県のボウリング連盟の会長だと名乗った。
娘は、たまたま出先で訪れたボウリング場の支配人に勧められるまま、数回、他県でボウリング教室に参加したことがあり、その指導者から連絡先を聞いたという話だった。すわ詐欺か何かかと思いきや、当該指導者の方に確認したところ、勝手に教えてすみません、本当にボウリング連盟の会長さんです、と答えてくれた。そして実際にお会いすることになった。
会長は、ガタイが良く、威厳ある風体をしていて、隣には県のスポーツ推進課係長が座っていた。
開口一番、ボウリングで国体を目指しませんかと会長はおっしゃった。
国体。運動音痴の私には縁のないワードであった。娘も狐につままれたような表情を浮かべている。
娘のひとつ上の学年で、まみちゃんという、全国レベルの選手がいる。彼女が高校3年生になったとき、2人チーム戦を組む相手がいないのだそうだ。国体のボウリングは高校生の場合、ふたりいないとエントリーすらできないらしく、そこで娘に白羽の矢が立ったのだった。
この会長という人は、ことボウリングというものから、全くブレない人物であった。
その一貫した「強引さ」が、娘の弱さを払拭し、牽引するパワーとなっていたのは紛れもない事実である。
この最初の会談に、もはや断るという選択肢はなかった。
「娘は実は不登校で悩んでまして…」
「どこの高校でも進学さえすれば、エントリーできます」
「実はドッジボールもやってまして…」
「ドッジボールは良いですね。ボールを投げるスポーツをやっている人は、ボウリングも上達が早いです」
といった具合である。その荷の重さと娘のパワーレスレベルを比較したとき、安請け合いで却って迷惑をかけてしまわないか気を揉んだのだが、そんな話題には一切ならず、よろしくお願いしますという形で、その場を締め括ることとなった。
「週に1回の母娘デート」である。行き先は娘が決める。たいてい、ゲームセンターか漫画喫茶だった。生育上、ひとり親を持つ子どもとして、我慢を重ねた娘の一番の願いは、母を独り占めすることだった。これは当時、ともすれば家か実家以外の場所に出かけられなかった娘を、無理矢理外に引き出すための作戦でもあった。この作戦と、兄や祖母との毎日の関わり、または中学校の先生から受ける愛情によって、少しずつ娘は傷を癒やし、どん底の沼から、一歩を踏み出し始めて行ったのだ。
一番に求められるのは、勿論母である私。それを嫌と言うほど理解していたからこそ余裕はなかった。睡眠や食事、または趣味などで、私自身は心身ともにエネルギーチャージができる。しかし、チャージした先から娘に補給しなければならないのだ。娘は当時、ブラックホールのように、母である私のエネルギーを吸収し尽くしていた。充電機能をも失ってしまった娘へのエネルギー補給は、次から次へと尽きぬ、まさに自転車操業であった。人間不信に陥り、生きる力を失った娘もろともに、私もどんどん疲弊していった。
しかし人間には誰しも回復する力がある。娘にも備わっていたその力が向いた方向は、スポーツであった。スタミナの少ない身体だが、運動神経は人並み以上の娘である。
通い詰めたゲームセンターの2階にあったボウリング場。先ずは、遊びからのスタートだった。
週に1回の母娘デートに、ボウリングが組み込まれるようになってからしばらくすると、娘は勝手に競技ドッジボールのチームを運営する青年に、アポイントメントを取っていた。小学校5年生まで、娘は地元のチームでドッジボールをやっていた。市の小学校対抗でドッジボール大会が開催されていたこともあり、かつては級友たちと、公園でドッジボールをして遊んでいたのだ。
本来高校生以上なんですがと断りを入れつつも、青年は快く娘を受け入れてくれた。そのドッジボールチームの活動場所は、自宅から車で1時間のところにある。誰が送迎すると思っているんだ、勝手に、と苛立つ気持ちもあったが、それよりも娘が元気を取り戻しつつあることが嬉しかった。おそらく同じ気持ちでドッジボールに巻き込まれた息子と一緒に、娘にとってもうひとつ、週に1回のお楽しみができたのだった。
この場でも、娘のコミュニケーション問題はなかなか解決しなかった。娘はチームメンバーと話すとき、私の影に隠れ、私にこっそりと返答をした。私はチームメンバーと娘の間に立ち、通訳役を担っていたのだ。
しかしそれも時間とともに、徐々に変貌を遂げる。ろくに会話もできない娘であったが、チームメンバーとはまさにドッジボールで交流を深めていった。投げることはそれなりだったが、男性社会人ばかりのチームでも、中学生の娘のボールキャッチ能力は目を見張るものがあった。私なら怯えて立ちすくむしかない勢いのボールを、娘はいくつもキャッチした。
体育館にこだまする「ナイッス!」の声、声。そのひとつひとつが、娘の心で自信となり、もう一度獲得して行くコミュニケーション能力の礎となった。
そして、娘にとって「ふたつ目のスポーツ」であったボウリング。これこそが、娘の、自立への道標となった。
その連絡は突然、私の携帯にやってきた。電話の相手は県のボウリング連盟の会長だと名乗った。
娘は、たまたま出先で訪れたボウリング場の支配人に勧められるまま、数回、他県でボウリング教室に参加したことがあり、その指導者から連絡先を聞いたという話だった。すわ詐欺か何かかと思いきや、当該指導者の方に確認したところ、勝手に教えてすみません、本当にボウリング連盟の会長さんです、と答えてくれた。そして実際にお会いすることになった。
会長は、ガタイが良く、威厳ある風体をしていて、隣には県のスポーツ推進課係長が座っていた。
開口一番、ボウリングで国体を目指しませんかと会長はおっしゃった。
国体。運動音痴の私には縁のないワードであった。娘も狐につままれたような表情を浮かべている。
娘のひとつ上の学年で、まみちゃんという、全国レベルの選手がいる。彼女が高校3年生になったとき、2人チーム戦を組む相手がいないのだそうだ。国体のボウリングは高校生の場合、ふたりいないとエントリーすらできないらしく、そこで娘に白羽の矢が立ったのだった。
この会長という人は、ことボウリングというものから、全くブレない人物であった。
その一貫した「強引さ」が、娘の弱さを払拭し、牽引するパワーとなっていたのは紛れもない事実である。
この最初の会談に、もはや断るという選択肢はなかった。
「娘は実は不登校で悩んでまして…」
「どこの高校でも進学さえすれば、エントリーできます」
「実はドッジボールもやってまして…」
「ドッジボールは良いですね。ボールを投げるスポーツをやっている人は、ボウリングも上達が早いです」
といった具合である。その荷の重さと娘のパワーレスレベルを比較したとき、安請け合いで却って迷惑をかけてしまわないか気を揉んだのだが、そんな話題には一切ならず、よろしくお願いしますという形で、その場を締め括ることとなった。