第4話

文字数 3,501文字

 前述したように、不登校に陥った子どもに魔法がかかることはない。ある日突然治って元気になり、他人と心身ともに健康な交流ができる訳ではない。
 だから嘘のようなスカウトがあったところで、いきなりボウリングで何もかも良くなる、なんてことはあり得ないのだ。
 しかし引き受けてしまった。断れなかったとは言え、もう後には戻れない。その事実が娘を窮地に追い込んだ。会長直々に指導を受けていたが、何度泣いて投げられなくなったかわからない。無理もない。好きだったはずのボウリングが、いきなりハードルを上げて、コミュニケーション能力も、社会性も低下し切っている娘に、迫ってきたのだ。ましてやボウリングはそもそも素人である。
 ボウリングという競技は、ストライクが続かないとお話にならない。スペアの連続とストライクのそれとでは、大きく加点が異なるからだ。
 しかし地区ブロックを突破するため娘に課せられた課題は、できるだけスペアを取ることであった。高得点を取るのはまみちゃんの仕事である。かと言って、娘は素人、まずは12ポンドのボールを投げる練習からのスタートだった。
 娘が定時制高校に入学し、1年が経った頃、地区ブロックまで半年とスケジュールが迫る中で、県内で小さなボウリング大会が開催された。会長とふたりきりで、別のボウリング場で練習を続けてきた娘は、知らない選手たちの中で初めての大会を経験することとなった。
 結果的には、娘は大会に参加することができなかった。泣いて物陰から見ることしかできなかったのだ。緊張と人見知りと、決して治り切ってはいない人間不信のせいで。
 しかしここでは、会長と私が、娘の背中を無理矢理押した。予選を終えて使用していないレーンで、練習しようということになった。一歩を踏む出せぬ娘の主張した交換条件は、「お母さんと一緒に投げる」であった。かくして、その日の大会本戦で競技している、アベレージ200レベルの選手たちの隣で、私と娘は「練習」することになった。勿論、ひとり完全素人の私は非常に緊張したし、当然のことであるはずなのに、下手くそな腕前を恥じた。なるほど、娘の心にある抵抗感のひとつがこれかと、何だか妙に納得できた。
 その後選手たちと一緒に練習するようになってから、歳上ばかりのチームメンバーの中で、娘は周りからとても優しくしてもらっていた。ここでも娘は「特別扱い」を受けていて、親として、周りの選手たちに申し訳ない思いだった。選手たちにとっても心の張り詰める時期である。当の娘にはまだ、特別扱いを受けている自覚はなかった。
 しかし、スポーツとしては当然、過酷であった。多い日で、1日18ゲームを投げた娘の実力は、メキメキと成長した。そしてラッキーなことに、地区ブロックの会場は、通い続けたゲームセンターの2階にある、娘が会長と練習を重ねたボウリング場であった。ボウリングではレーンにオイルを塗るのだが、オイルさえも素人の娘に合わせたパターンとなった。「誰にとっても非常に難しく、コントロールが安定しない、ただし力の弱い娘にとっては、ボールがスピードに乗る」、それこそ魔法のレーンである。娘は繰り返し、そのオイルパターンでだけ、練習をしたのだ。
 地区ブロックでは、娘の実力以上のものが発揮された。まみちゃんもストライクを連発し、ふたりは晴れて地区ブロックを突破、国体へと駒を進めた。娘は「国体出場選手」の称号を得たのである。
 国体に出場したことが全てではない。むしろそこに至るまでの、目を背けたい課題から逃げずに立ち向かったことこそが、娘の心の成長に繋がった。
 例え逃げ場がなく、仕方なく取り組んだことであってもそれは関係ない。逃げずに、コツコツと重ねていく毎日の生活は、不登校を経験した子どもにとっての重要なミッションである。ただし、往々にして不登校児は、コツコツと重ねていく力が弱い。何事に対しても持久力を失っており、少し頑張るだけですぐ心身ともにバテてしまう。
 大抵の不登校の子どもは、これではいけないと思っている。親の励ましもあって、そうだ、頑張ろう、と決意して学校に行く。そしてしばらく頑張ると、やがてまた学校を休み始め、不登校を繰り返してしまう。
 周りから見たら「サボっている」ように見えてしまうが、本人にとっては、ほんの少し頑張っただけでも、まるで100Mを全力疾走したときのような、切羽詰まった苦しさを感じているのだ。それでも頑張ろうとすればするほど、反動は大きくなる。だから後が続かない。そしてそういった失敗体験を繰り返した子どもは、心の根幹となる自尊感情をどんどんなくし、代わりに盾のようなプライドばかりを強くする。不登校をきっかけに始まった心の歪みは、やがて本人のそれを大きく捻じ曲げて、不均等なものに成長させる。その結果、引きこもりに発展したり、精神疾患を発症したりしてしまうケースも少なくない。
 毎日の生活をそれなりのエネルギーでこなせる人間には、不登校の仕組みはわからない。親もそうである。我が子が不登校になり始めた頃、大抵の親は、子が学校に行けるだけの力をなくしていることに気付かない。またすぐに元の元気な姿を取り戻せるつもりでいる。
 すぐに元気を取り戻して学校生活を送るはずだった子どもが、いつまで経っても学校に行けないことに気付いたとき、親は焦りを感じてしまう。それは、我が子の将来を思ってのことである。その焦りの感情の中で、親は子どものパワーレスを補強しつつ、愛情を与えながら、子どもの教育をしなければならない。遠い将来像として子どもの自立を見据えつつも、常に子供と向き合い、ときには甘えさせ、ときには背中を押し、ときには全力で壁になることも求められる。しかし親とてパーフェクトではない。むしろ我が子に対する剥き出しの感情が入る分、ちぐはぐなことをやってしまいがちである。何年にも渡り無駄な労力をを裂いてしまった親自身、やがてパワーレス状態に陥ることもある。中には、家族全員で行き詰まってしまい、浮かばれない事件に発展することも、実際にある。
 どうにかしたいのは、本人も親も、その他の家族も同じ思いである。頑張らなければといつでも考えている。
 必要なのは、ただ闇雲に頑張るだけではない、根拠あるプランやプログラムを持ってして、パワーやスキルをひとつずつ上げていくような支援である。そして根拠あるものを提供する限りは、そこに専門家の介入を必要とする。
 しかし今日、不登校や引きこもり問題において、ほとんどの責任を親が担っている。金のある親は専門家に繋げることもできるが、経済的に余裕のない家庭も多い。私自身、ひとり親で決して裕福ではない生活をしていたため、かけられる金銭には限りがあった。
 ネットを紐解けば、高額なフリースクールの広告、親や本人の心の持ち方、不登校になりやすい子どもや親の傾向、不登校の体験談などの情報が溢れかえっている。それなのに解決方法は何も書かれていない。私自身、ネットで不登校のことを調べたとき、知りたいことは何もわからなかったとがっかりした覚えがある。
 これは、不登校という課題を社会のものとして捉えず、個々人に何もかもを押し付けてきた結果である。勿論個々人の問題である。しかし社会全体が解決すべき課題として捉えない限り、不登校という「問題」に光明は差さない。
 中学生以下の子どもにとって、学校以外の受け皿はほとんどない。各市町村で、不登校の子どもが通える学校以外の場所は、あるにはある。しかしそれに多くの予算が割かれていない以上、子どもの将来につながるような場所にはなり得ない。今の日本では、決して大袈裟ではなく、学校からはみ出た子どもはいきなり将来を絶たれてしまう。
 私はケアマネジャーを生業としている。だから、どれだけたくさんの予算が介護保険を通して使われているかを知っているし、だからこそたくさんの人の生活が救われているのも知っている。多い高齢者だと、月に30万以上の介護請求を行なっている。せめてこの何分の1でも、不登校の子どもに使うことができたら。支援はずっと必要な訳ではない。子どもに力がついて来るまでの間である。
 娘が社会から埋没していたとき。母娘で苦しんでいたあの頃に、公的な専門機関があれば、きっとたくさん救われることがあっただろうと思う。娘も私も、あんなに傷付く必要はなかったに違いない。
 それでも娘は恵まれている。たくさんの人に救ってもらった娘である。娘を自立へと導いてくれた全ての方には、感謝しかない。


 
 
 












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