第2話

文字数 1,709文字

 その後娘は、あくまで前向きな思いで、中学校を転校した。過疎地にある隣町の公立中学校で、不登校の生徒を受け入れているという。そこに娘は未来の希望を見いだした。
 しかし、結果的に言えば娘はここで大きく踏み外した。
 娘は、「新しい環境で頑張らなければ」という思いと、「頑張る力のない自分」との乖離を埋めるために必死だった。だがその思いと努力は当時の校長先生に届くことはなかった。
 平たく言えば校長先生に裏切られた形となった。全校生徒が出る予定だった音楽会に、ひとり出場させてもらえなかったのだ。娘が、練習を「頑張れなかった」とジャッジされてしまったからだ。娘はその音楽会を、心から楽しみにしていたのに。
 娘の「人生最悪のとき」の始まりだった。これ以降、娘は極度の人間不信に陥った。学校の生徒のみならず同年代の子供の前では物陰に隠れるようになり、家族以外と言葉を交わさなくなった。
 「校長先生は、間違ってると思う」
 そう言って泣きながら浮かべていた虚ろな表情を、私は忘れることができない。
このとき、私はひとり親として大黒柱をも担っていたが、転職を含め、様々な生活様式を娘中心へとシフトチェンジした。そうしなければ、娘はズブズブと底無し沼に沈んで行く。何度引き上げても、ついさっき笑顔であったとしても、気付けば、娘の足元に泥沼は迫っているのである。
 件の校長先生が定年退職されてから、私の仕事の空いた時間を狙って、娘と一緒に登校した。例え別室登校であっても、娘ひとりでは、学校でいられないようになっていたからだ。残務は残業や休日出勤などでこなした。私はケアマネージャーという、外回りの多い仕事をしており、娘の登校に合わせて仕事をどうにか調整していた。
 学校では、担任の先生をはじめ、新しい校長先生、教頭先生、副担任の先生と、それぞれの先生が娘に関わってくださった。ふたたび教室に入れず、心の折れ切った娘をそうと認識しつつ、娘なりの形で学校に「参加」できるような工夫をいくつもしてくれていた。中には、なぜ娘にだけ特別扱いをしなければならないのかという意識を持った先生もいた。それは実に正しい疑問であり、社会とは実際にそういったものなのである。
 実は、これは不登校というの問題の、まさに真髄である。個人差はあるだろうが、不登校に悩む子ども皆に言えること。いわく、不登校に陥っているときは、社会性もコミュニケーション能力も、それに合わせて体力等も、様々な機能が著しく低下しているということ。娘とて、不登校になるまでは、最低限の社会性とコミュニケーション能力は身につけていたはずだった。大人数の級友達と、公園で毎日過ごしていた時期もあった。仲の良い友達も少なからずいて、毎日、社会性のある「普通の生活」を送っていたのだ。
 それが皆目、機能しなくなる。社会と私生活との間に、埋めようのない、重大な乖離が起こる。社会的に生きていけなくなるのである。それこそ「特別扱い」をしない限り。
 事情や背景は個々で様々、解決すべき問題は子どもによって多種多様であるが、これが「不登校」の問題の根本である。不登校の子どもはパワーレス状態。ゲージはゼロ付近か、もしくは大きくマイナスに振り切っている。
 親の私ですら心では考えていたこと。なぜ特別扱いしなければならないのか。さっさと学校に行き、級友たちの中で堂々と社会生活を送れば良いと。
 しかし実際問題として、不登校の娘にその力はない。一度失った力は、魔法のように戻るわけではなく、失ったときの倍以上の時間と労力を割き、もう一度獲得しなくてはならない。
 不登校とは、一朝一夕で解決するようなことでは、決してないのだ。
 【必要とされる人に、必要とされる量の援助を行い、その人なりの自立を目指す手助けをする】
 これは福祉の考え方である。その人がエンパワメントを行うにあたって、必要な支援を提供するのが福祉である。不登校の子どもには、教育ともうひとつ、この「福祉の視点」が必要なのではないか。
 そう。私がケアマネジャーとして担当している高齢者の方と、同じなのだ。
 不登校の子どもは「支援を必要とする人」である。




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