第6話

文字数 3,526文字

 さて、今日の不登校児を取り巻く環境として、重大な問題をもうひとつ提示したい。
 それは不登校児に関わらなくてはならない、教諭の労働環境である。例えば、中学や高校の先生は、その業務の中に部活動の顧問が入る。担任として何十人の生徒を受け持ち、授業を滞りなく進めながら学力向上を図ったうえで、部活動をも受け持つ。土日も大会などで潰れるのが当たり前。クラスでも部活でも、トラブルを起こす生徒がいたらそれを諌めることも必要だし、受験に向けての進路指導や体育祭等のイベント実施など、やることは盛りだくさんである。そんな中で自宅で平和に暮らしている不登校の生徒に、どれだけ精魂を注げるというのだろうか。虐待など、自宅で安全に過ごせない環境に置かれている不登校児もいる。そういったケースは優先順位が高く、先生も迅速な対応を求められる。
 しかし、娘のように、社会性をなくし自宅にこもっているケースはどうだろう。勿論家族内でギスギスと摩擦は起きているが、それでも平和に暮らせていることに変わりはない。学校に行けばストレスが発生するのである。わざわざ混乱を生む必要はない、自宅でゆるりと過ごせば良いと考えてもおかしくはない。不登校の生徒にまで構う余裕はない。そう主張できるぐらい忙しい環境で、先生たちは日々、仕事をしている。忙殺されている担任の先生が定期的に電話を入れる。一般的には不登校の支援はこれぐらいしかできていないのが現状である。それ以上してくれている場合は、その先生がプライベートを投げ打って取り組んでくれているのだ。こんなブラックな企業はないですよ、とかつての中学校の先生が呟いた言葉は、耳にこびりついたままだ。娘によく、あれだけのことをしてくれたのだと本当に思う。
 不登校の支援は生半可でできることではない。担任の先生に放りっぱなしということは、行政が不登校という問題をタダで押し付けているようなものである。
 不登校という「問題」にきちんと取り組むためには、少なくとも各学校に不登校専任の先生1名の配置が必要だ。カウンセラーの先生や支援学級の先生とは別に、である。
 不登校の根幹となる問題は多岐にわたる。虐待、いじめ、人種差別、貧困家庭、ひとり親、学業不振、発達障がい。また一般的には知られていないことだが、血流の調節機能が上手く働かない、起立性調節障がいを持つ子どもは不登校になりやすい。学校教育だけではなくこういった広範囲の知識がないと、広く不登校児を支援することはできない。だからこそ専門家を必要とする。
 現在の日本には、不登校の子どもが選択する学校以外の受け皿は少ない。
 高齢者と比較してみるとわかりやすいかもしれない。介護に困り、例えばデイサービスを利用するとする。全国のほとんどの地域では、どのデイサービスを選ぶのか迷ってしまうほどたくさんある。どうしようか、うちのおじいちゃんに合いそうなところはどこかな、と選ぶのである。
 ところが子どもの場合、基本的には地元の公立小中学校ひとつしかなく、私立は高額である。小学校で言えば私立は数自体が少ない。また公立にせよ私立にせよ、一般の小中学校では、不登校児への専門的な支援はほぼ望めない。通うべき学校からはみ出したものは、たちまち行き場を失い、自宅にこもることになる。
 不登校の子どもが社会とのつながりを戻せないまま成長すると、引きこもりへと発展してしまうことがある。一度引きこもりになってしまうと、不登校時代とは比べ物にならないレベルの「社会との隔絶」が起きてしまい、社会に出ることは絶望的になってしまう。そしてそれは、年齢を重ねれば重ねるほど、深刻な問題へと発展する。そういった引きこもり人口は、今や全国で100万人を超えると言われている。
 娘の卒業した定時制高校の生徒たちは、そのほとんどが不登校経験者であり、かつては「引きこもり予備軍」の子どもたちであった。だがこの学校に来なければ引きこもりになっていたであろう娘の級友たちは、そのほとんどが卒業し、今、それぞれの道を着実に歩いている。
 彼らと、実際に引きこもりになってしまった人たちとの違いは何か。
 それは社会に出るための「訓練」ができたか否かの違いである。娘が通った高校の生徒たちは、それぞれの役割を持ち、やるべきことに取り組む訓練を積み上げてきている。役割と言っても、それは単純に単位を取るために授業を受けることだったり、アルバイトでお金を稼ぐことだったりするのだが、そこには一般の高校とは違う、手厚い「教育」があった。そもそもが登校自体できなかった、毎日学校に行くということが、数年前までは奇跡であった子どもたちだ。
 それを私は当事者の母親として、つぶさに見てきた。
 あるとき、娘は執行部の雑務に嫌気が差し、なぜ自分と友人ばかりが仕事を押し付けられなくてはならないのかと憤懣した。しかしそれを面と向かっては言えない、交渉できぬ娘である。結局思いばかりが募り、執行部担当の先生との関係が拗れてしまった。だが当の先生は拗れたつもりもない。娘の一人相撲である。娘は、先生から謝べきである、でなければもう学校などどうでもいいと主張し始めた。もはや自分自身が拗れてしまい、自ら突破口を塞いでしまった娘。こうなると頑固である。それなりの年齢に達した娘に助け舟を出すべきではないと考えていた私は、しばらく状況を観察していたが、一向に埒が明かない。ふたたび不登校かと悩んでいたときに、その先生と話す機会ができた。急に学校を休んで体調の心配をしてくれていた先生に、失礼なことと思いながらも本当のところをぶちまけた。
 すると先生は、その日、授業の合間を縫って家に来てくれたのだ。そして娘に謝った。そうでなければ娘が前に進めないことを、先生は、良く理解してくださっていた。その日は納得できなかった娘だが、後日学校でその先生と泣きながら話し、もう一度絆を取り戻した。なんと面倒なことである。母の私ですらそう思うのに、先生は娘の特質を読み取って理解してくれていたのだ。
 卒業の日、娘は先生の顔を見るなり涙を流した。先生も泣いていて、私もふたりのハグを見て目頭が熱くなった。ここでなければ娘の卒業はなかっただろう。そう思った。
 当然それぞれの先生の立ち位置やモチベーション、考え方は違う。当該先生は、そもそも熱血である。それでも娘の母校である高校には、個別支援に取り組めるシステムが構築されていた。定時制や通信を選択できるということは学校にとっての強みでもあった。個別支援をするためには、柔軟であることと、選択肢が多いということが重要である。娘の母校には、個別で対応しなければ進めない生徒がたくさんいた。娘も、そのひとりだった。
 娘の母校のような定時制高校は、全国各地にある。その昔貧困家庭を支えた学校は、現代の不登校の子どもたちを救うための学校として、形を変え、各地で機能している。これをひとつのモデルとして、義務教育に上手く取り込んで行くのも有効な手立てではないか。学校に行けない場合でも、きちんと社会に繋がるよう、違う方法を検討でき、専門家が常駐する場所。それは今ある学校の中にあってもいいし、それ以外の場所でもいい。それを作るには、不登校の子どものための「予算」が必要である。決して高い浪費ではない。100万人、今後それ以上の引きこもる筈だった人たちが、働いて税金を納めるのと、どちらが得なのか。これは日本の未来への投資である。
 社会に出れば、通常は特別扱いはない。今娘は、ようやくそのことに気付いた。そして社会の荒波にちゃんと揉まれている。
 かつて、娘が不登校で苦しんでいた頃に思い描いた、美しい、理想の形ではない。
 むしろ程遠い姿である。肌は荒れ、労働で皮下出血を作り、絶えず愚痴を言っている。
 しかしこういうことなのだ、子どもの自立というものは。決して美しい経過を辿らない。揉まれて、薄汚れて、社会で独り立ちして行く。これから娘が、どんなふうに揉まれて行くのか。楽しみである。
 娘がここまでこれたのは、たくさんの人との関わり、受け取ってきた愛情の賜物である。そして、そこに付随する様々な、生きるためのミッションをひとつづつ進んできたこその結果でもある。不登校の子どもは一朝一夕では変わらない。
 不登校の子どもがやがて社会に繋がることを願って。そのための、法律が整備されることを、具体的な予算がもっと割かれることを訴えていきたい。
 娘がスタートラインに立てたように。不登校の子どもがいつか、同じように社会人の一員となるためのシステムの構築が、今急がれる。







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