第1話

文字数 1,358文字

 「13万円。会社によっては、そこに諸手当がつくこともあります。そこから社会保険をさっ引いて、だいたい10万円前後。それが、君らが社会人になって1番はじめに手にする給料の、相場です」
 先生の明朗とした声に、冷や水を浴びせられた思いだった。きっと就職説明会に参じた親の心境は皆、私のそれと大差ないものだったのだろう。落胆のため息がそこここに漏れた。不登校を1度でも選んだことのある子供には、やはり暗澹たる未来が待ち受けているのだ。
 「それ以上の収入を得ることもあります。その場合は、ノルマがあったり、夜勤や残業があったり、肉体労働だったりします。もしくは何かのスキルや資格があると収入は上がります。こういうものが何もなければ、さっき言ったような給料になります」
 とてもシンプルでわかりやすい先生の言葉には、現実を見据えた説得力があった。
 当の娘と言えば、さして落ち込む風もなく、淡々と事実を受け入れているようだった。
 このとき娘は高校3年生。まだ1年の猶予があった。というのも、娘は高校1年生になった当初から「4年で卒業する」カリキュラムを選択していたからである。
 娘が学校を休みがちになったのは、小学6年生の、夏休みに入る前。気温がどんどん上がる中で、反比例するように、娘の体力は目に見えて目減りしていった。
ひとり親家庭だった。娘が不登校になり始めた当時、私は遠方で働いており、兄である息子は高校受験のさなか。忙しい毎日と睡眠不足。生存を脅かすレベルの暑さも、身体が小さく、そもそもスタミナのない娘にとっては大きな脅威となった。そして悪いことに娘の身体と精神は、思春期に向かう目まぐるしい変化のときだった。
 まず起きられない。頭が痛い。吐き気がする。それが1年続いたとき、起立性調節障がいと診断された。
 自身の体質と上手に付き合いながら学校に行くには、体力も精神力も未熟であった。
 そんな風に娘が個人の問題に埋没していたころ、級友たちにも変化が起きた。教室は荒れ、
派手な服装を好む生徒が増え、「非行」に走った一部の生徒の風貌や言動を、皆が真似るような風潮が生まれた。
 それがひとつのターニングポイントとなった。
 娘は、その級友たちの変化が怖かった。そして何より、娘の身体と精神は、人のことに気を向けていられるだけの余裕を、これっぽっちも生み出さなかったのだ。
 いつしか娘は、教室に足を踏み入れることができなくなって行った。
 この中学校には、不登校などで教室に入れない生徒を対象とした特別教室があり、そこにいたのが、前田先生だった。荒れていた中学校の中で、細やかに生徒を見ながらもひとり溌剌と指導する前田先生が、娘は大好きだった。
 「今日学校で杏仁豆腐作った!美味しかったから、また作ろう」
 「ちょっとだけど、前田先生が勉強も教えてくれてる。別に勉強は嫌いじゃないし、楽しい」
 そんなふうに半分踏み外しながらも、娘の生活は明るく過ぎて行った。
 しかし、突然、その生活に終わりがきた。前田先生の「予算」そのものが、娘が中学校2年生になった春に、急に打ち切られたのだ。
 娘に下った命令は「教室に戻れ」だった。
 「前田先生にもう会えないなんて…教室になんか、絶対行きたくない!」
 このとき娘は数日に渡って、泣き続けていた。


 
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