2 以前

文字数 1,900文字

 私も妻も動物好きだった。飼うつもりはなくとも、ショッピングセンターなどでは、ペットコーナーを覗くのが習慣となっていた。その日も、親戚の法事で遠くに出かけた帰りにイオンがあったので、少し休んでいくことになり、ペットコーナーへ向かった。
 大きなケージで元気に動き回るアビシニアンの様子などを見ていたら、妻が耳元で話しかけてきた。
「ねえ見て、隣の猫、ずっと奥で丸まってる。顔見せてくれないかな」
「えっ、ロシアンブルー? 二ヶ月、小さいね」
 私たちの声が聞こえたのか、小さい灰色の塊から青色の目が二つ現れた。子猫は、私たちの方をしばらく見つめてから体を起こし、ゆっくりと近づいて来た。そばにいた店員が、小声で話した。
「珍しい、この子、いつもは人見知りが強くて。お客さんの方に自分から近づくのを見るの初めてです」
 私たちはロムに一目惚れだった。その日のうちに契約し、ケージやトイレ、ペットフードなど必要なものも買い込み、ロムとともに自宅へ帰った。

 二人とも猫は全て好きだったが、それまでロシアンブルーに、特に強い興味があったわけではなかった。
 ロシアンブルーは、細身で脚が長く頭が小さい猫で、三毛やトラなどいわゆる日本猫とは体型が全然違っていた。特にロムは、後ろ脚が良く発達していて、どちらかというと家猫というよりヒョウやチーターの姿を思わせるようなところがあり、運動能力も高く、子猫の頃はすごいスピードで部屋の中を走り回ったりしていた。
 大人になって目はキトンブルーから緑に変わり、艶のあるブルーグレイの毛をまとうスマートな猫となったが、強い人見知りというロムの性格は変わらなかった。誰か来客があると、いつも椅子の下の奥の方に隠れ、帰るまで出てこないことが多かった。
 私たちには徐々に心を許してくれるようになったものの、こちらから急いで距離を縮め過ぎると離れていってしまうところが、ロムにはあった。そういうときは、遠くから「いいかげんわかってくれよ」とでも言いたいような目で私たちを眺めていた。
 ロムは、不思議と棚や家具の上に飛び乗ったりせず、テーブルで私たちが食事をしていても邪魔したりしなかった。一日くらい留守番させても何ら問題のない猫だったので、ロムを家に残して二人で良く出かけたりもした。帰宅が遅くなったこともあったが、そんなときも、いつもと変わらない控えめな態度で出迎えてくれることが多かった。
「子供の頃、猫を何匹か飼っていたけど、いつもニャンニャンまとわりついてきて、うるさいくらいだった。ロムはイタズラしない本当にいい子だけど、もう少し甘えてくれれば、もっと嬉しいのに」と妻は良く言っていた。
 妻の横でロムが眠るようになったのは、だいぶ後になってからだった。
 
    ※
 妻とは職場で知り合い結婚した。妻は、初対面の人にも気楽に声をかけられる、どちらかというと人付き合いの良いほうで、そういうのが苦手な私と違っていた。レストランで私はいつも同じものを頼むのに対して、妻は新しいメニューがあればそれを頼む、といった違いもあった。何事にも慎重な私にとって、明るく積極的な妻の存在はありがたかった。
 妻との気の置けない会話は仕事の疲れを取ってくれ、私にない発想や行動力は、生活を豊かなものにしてくれた。陶芸や山歩き、パン作りなど多趣味な妻に引っ張られ、私の世界も広がっていった。
 結婚して三十年が過ぎても二人の性格や関係は若い時から変わらなかった。勿論、いろいろなことはあったが、お互いの違いが足りないところを補い合ってきた。
 
 それぞれの友達が仕事や家庭で忙しくなったこともあり、ここ数年、自宅で妻、ロム、私で過ごす時間が多くなった。家の中では、何をするにも先ずロムのことを確認してから動くような、ロム中心の生活となったが、たまにあった妻との気まずいときも、ロムがいることが確実にその時間を短くしてくれた。
 
 妻は、長く闘病していた母親を二年前に亡くしたのに続いて、半年前には父親も亡くしていた。私たちが義父と普通に言葉を交わした翌日の急逝だった。義父の葬儀を終えた日、妻はマンションの部屋で待っていたロムをずっとなでていた。ロムも妻の横に体をずっと寄せていた。
 私も若い頃に両親を亡くしていて、義父以外近くに住む親戚もおらず、たまに顔を出してくれる義父の存在は大きかった。義父が亡くなってからは、ロムの病気が進んだこともあって、妻と二人で出かける機会もめっきり減り、妻は知人と会うことを億劫がるようになっていた。

 二人ともロムを亡くす覚悟はできていた。でも、ロムのいない生活は考えられなかった。
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