第10話 運命

文字数 1,905文字

 世界は一変した。

 天敵だった蜘蛛が、最高のご馳走になった。
 もう彼らに怯え、息を潜める必要はないんだ。

 大人は子供よりも栄養豊富で、何より美味しかった。
 この世界、他に天敵がいるのかは分からない。
 でも、少なくとも今いる場所では、私は生物界の頂点に君臨してると言ってもよかった。

 今まで本当に大変だった。
 生まれてすぐに始まった生存競争。
 それに敗れた兄弟たちは皆、もうこの世界にいない。
 ある者は餓死し、ある者は蜘蛛たちの餌になった。

 よく生き残れたな、私。
 前世でも、こんなに頑張ったことはなかったよ。
 私たちは多分、100人ぐらいいた。
 私は競争率100倍の戦いに勝ったんだ。
 その勝者に与えられた報酬。
 それが今の生活なんだ。
 そう思うと嬉しくて。
 私は空を舞い、何度も何度も歌った。

「ホロロロロロロッ!」




 夏が終わり。
 ちょっと儚げで、寂しくもある季節がやってきた。

 秋。

 たくさんいた兄弟たちも、今はもういない。
 出会えたとしても、それは蜘蛛たちによって狩られた姿だった。

 生まれてからずっと、私は一人だ。
 それが少し寂しくて。物哀しくて。
 その日の夜。
 湖畔で月を眺めながら、私は泣いた。

 この感覚。これってやっぱり、秋だからなのかな。
 こんな体になっても、心は昔のまんまなのかな。
 誰でもいい、私の名前を呼んで欲しい。
 笑顔を向けてほしい。そう思った。

 私は立ち上がり、湖に入っていった。
 羽根を広げ、月に向かって歌う。

「ホロロロロロロッ」

 誰かに届いてほしい。
 ここにいるよ。
 私を見つけて。
 そんな思いを胸に、私は何度も何度も声を上げた。




 背後から、草むらをかき分ける音がした。
 ゆっくりと振り返る。
 そしてもう一度、歌った。

「ホロロロロロロッ」
「ホロロロロロロッ」

 ……え?
 何、今の声。
 私の声に反応してくれたの?

 誰だろう。
 まだ見ぬ天敵でも潜んでいるのだろうか。
 でも不思議と、心は穏やかだった。

「ホロロロロロロッ」

 もう一度歌うと、重ねて歌ってきた者が姿を現した。
 月光が照らすその姿に、私は安堵した。

 黒い羽根、下半身を覆う黒い毛。
 それはまぎれもなく、私の同胞だった。
 しかも男だ。

 私より一回り大きい彼は、精悍な顔つきだった。
 私は羽根を広げ、両手を捧げて歌った。

「ホロロロロロロッ」

 彼も両手を私に捧げる。

「ホロロロロロロッ」
「ホロロロロロロッ」

 頬に涙が伝っていた。
 やっと巡り合えた同胞。
 今この時、この瞬間の気持ち。
 私は生涯忘れない、そう思った。




 頭の中に、彼の思考が流れてきた。

 ――何をしてるの?――

 ……え?
 初めての感覚に、私は戸惑った。
 声を出しても「ホロロ」としか鳴けない私たち。この世界で、意思の疎通は出来ないんだと諦めていた。
 現に今、彼は「ホロロ」と鳴いているだけだ。
 なのに今、確かに彼の思考が流れてきた。

 ーー僕の言葉、分かる?――

 間違いない、これは彼の思考だ。
 私は羽根を広げ、声を上げた。

 ーー分かる! 分かるよ!―ー

 ーーよかった。僕もその、同胞と会うのは初めてだから。うまく伝わるか少し怖かったーー

 ーー私、話してる! 話してるんだね!――

 ――そうだよ。君は今、僕と話してるーー

 彼の言葉に、また涙が溢れてきた。
 彼は優しく微笑み、羽根を広げて言った。

 ーー少しだけ、ここで待っててくれるかなーー

 ーーえ? う、うん、別に構わないけど。この辺りで寝るつもりだったしーー

 ーーじゃあ、少し待ってて。すぐ戻って来るからーー

 そう言うと彼は宙に浮かび、物凄いスピードで飛び去って行った。




 しばらくして戻って来た彼の手には、見たことのない大型の獣が持たれていた。

 ーーこれって――

 ーー君に食べて欲しくてね、狩ってきたーー

 そう言った彼の笑顔に、私の胸は熱くなった。
 その獣は、コオロギの様な姿をしていた。

 ーー僕はもう済ませてるから、気にせず食べてほしいーー

 目の前のコオロギを見て、私の口内はまた唾液でいっぱいになった。
 彼と同じく私もまた、今日の食事を済ませている。
 この体になってから、必要以上に食べるという習慣はなくなっていた。
 それなのにコオロギを前にした私は、まるで何日も食べてなかったような飢餓感に襲われた。

 ーーじゃ、じゃあ……いただきますーー

 ーーうんーー

 コオロギに噛みついた私は、理性がはじけ飛ぶような感覚に見舞われた。

 何これ! こんな美味しい肉、初めて!

 心のタガが外れたようだった。
 イケメンの彼が見ているというのに。
 私は欲望を開放し、夢中でコオロギをむさぼった。

 美味しい……美味しい美味しい美味しい!
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