【もうやった】シューダンのキャラ立て手法で他の漫画のキャラを立ててみる
文字数 2,091文字
「どういう点に注目しましたかー」みたいな。
現役の漫画家とかがたくさん参加してるから、みんないろんな視点を持ってて、これやるだけでも、いろんなことが見えてくるんですよ。
サッカー漫画です。作者は横田卓馬先生。
これが凄まじい衝撃をわれわれに与えた漫画でして。
というのは、連載経験のある漫画家は、大抵、「こういうのはやっちゃダメなんだな」とか「こういうことをしなきゃいけないんだな」みたいなセオリーを自分の中に持ってるわけですよ。
イメージ的には、常人には見えない障害物が見えるようになるので、その岩塊とかをスッ、スッと避けながらゴールを目指していく感じ。
「おいーッ!?」
ってな具合ですよ。
「えっ、それ、殴ったら壊れるもんだったの?」みたいな。
いやいや、普通は殴っても壊れないでしょ、だってそれ岩だよ!?
通常、セオリーとして主人公には強烈な欲望が必要とされます。
「**がしたい」という気持ちですね。
というのは、「**がしたい」がなければ主人公が能動的に動かないから、話が進まないんですよ。
なので、普通は主人公に欲望を設定します。
どうしても「**がしたい」がない場合は、動かざるをえないのっぴきならない状況を作り、そこに主人公を放り込みます。
これでも一応話は動く。
基本的には、キャラは分かりやすく立ってる方が(少なくとも少年漫画では)イイんですが、しかし、全部をきっちりやると「キャラキャラしく」なるんですよね。
「はいはい、セオリーに則ってキャラ作ってますね」
「そうですね、そういう動機とか持たせますよね」
みたいな。すると、どうなるか。
普通の人間っぽくならないんです。
そういうキャラキャラしいキャラになってしまうのです。
で、今回扱った某新連載漫画は主人公が非常にキャラキャラしかった。
繰り返しますが、キャラキャラしいことは必ずしも悪いことではないです。
キャラキャラしければ、より「漫画のキャラっぽく」なり分かりやすくなります(しかし、親近感は失われていきます)。
分かりやすさを取るか、リアリティを取るか、この辺はバーターであり、掲載誌や読者層も含めて考えるべきことです。
ちなみに、おれはあんまりキャラキャラしいキャラは好きじゃない。
別に、こっちのキャラ立ての方がイイってわけじゃないんですよ。
こういう選択肢を取ったらどうなるか、という実験です。
分かることが出てくるんですよ。
1つや2つのネームを見比べても分からないことが見えてくるんですよ……。
「シューダンのキャラ立て手法とは何だったのか」
その一端が言語化されたんですよ。
一体何が分かったのかは、うん、ここから先は有料なので、マンガ新連載研究会に月額2000円を払って入会して第6回の動画を見て下さい。