街にいるのにいない子
文字数 977文字
不登校という定義は、文部科学省によると「年間30日以上、病気や経済的な理由を除いて登校していない状況」だそうです。
まったく家から出ないのか、フリースクールなどには通っているのか。
もしくは、塾や習い事には行けるのか。
「学校に通えない」理由がさまざまであるのと同時に、その形もさまざまです。
ただひとつ、共通していることがあるならば。
「学校は、その子が安心して過ごせる場所ではない」
ということでしょうか。
心身の安全が確保できなくて、不愉快でしかない場所には、大人だって行きたくはないですよね。
まして、経験が浅い子どもたちならば、どれだけ不安でしょうか。
学校に行きづらくなる理由はさまざまです。
からかい、いじりという名の「いじめ」かもしれない。
勉強についていけない、興味が持てないことがつらいのかもしれない。
家庭が不安定で、その影響を受けて心が落ち着かないのかもしれない。
けれど、とくに理由が見つからないような子どもでも、ふと学校へ足が向かなくなってしまうことがあります。
「その子」がどうして学校へ行けなくなってしまったのか、本当のところはわかりません。
その子の家庭には事情があって、さまざまな支援が入っていました。
けれど、絡まり合った原因たちは解決したと思えば再燃して、なかなか改善には至らず。
とうとうその子は、ある日ぴたりと家から出なくなってしまいました。
「いつ家庭訪問しても、”寝てる”と言われて会えない」
指導専任の先生や担任が、折りを見て、かなりの頻度で家庭訪問を繰り返しても。
「その子」に会えないばかりか、玄関先に家族が出てこないときさえある。
出かけたのか、居留守なのかもわからない。
「地域で見かけたとか、何か情報があればすぐに教えてください」
そうおっしゃる指導専任の先生には、疲れと不安が現れていました。
その子の家の前を通るたびに、「どこかに買い物に行かないかな、洗濯ものはどうだろう」と気にしました。
その地区の担当民生委員さんに、ゴミ出しでもなんでもいいから、姿を見かけたら教えてくださいとお願いしました。
重篤な虐待はない。
いまのところ
その子にとって良い状況ではないのに打つ手がない。
子どもに接触できない不登校は、本当に歯がゆいものなのです。
まったく家から出ないのか、フリースクールなどには通っているのか。
もしくは、塾や習い事には行けるのか。
「学校に通えない」理由がさまざまであるのと同時に、その形もさまざまです。
ただひとつ、共通していることがあるならば。
「学校は、その子が安心して過ごせる場所ではない」
ということでしょうか。
心身の安全が確保できなくて、不愉快でしかない場所には、大人だって行きたくはないですよね。
まして、経験が浅い子どもたちならば、どれだけ不安でしょうか。
学校に行きづらくなる理由はさまざまです。
からかい、いじりという名の「いじめ」かもしれない。
勉強についていけない、興味が持てないことがつらいのかもしれない。
家庭が不安定で、その影響を受けて心が落ち着かないのかもしれない。
けれど、とくに理由が見つからないような子どもでも、ふと学校へ足が向かなくなってしまうことがあります。
「その子」がどうして学校へ行けなくなってしまったのか、本当のところはわかりません。
その子の家庭には事情があって、さまざまな支援が入っていました。
けれど、絡まり合った原因たちは解決したと思えば再燃して、なかなか改善には至らず。
とうとうその子は、ある日ぴたりと家から出なくなってしまいました。
「いつ家庭訪問しても、”寝てる”と言われて会えない」
指導専任の先生や担任が、折りを見て、かなりの頻度で家庭訪問を繰り返しても。
「その子」に会えないばかりか、玄関先に家族が出てこないときさえある。
出かけたのか、居留守なのかもわからない。
「地域で見かけたとか、何か情報があればすぐに教えてください」
そうおっしゃる指導専任の先生には、疲れと不安が現れていました。
その子の家の前を通るたびに、「どこかに買い物に行かないかな、洗濯ものはどうだろう」と気にしました。
その地区の担当民生委員さんに、ゴミ出しでもなんでもいいから、姿を見かけたら教えてくださいとお願いしました。
重篤な虐待はない。
いまのところ
ただの
不登校だから、児童相談所に通告もできない。その子にとって良い状況ではないのに打つ手がない。
子どもに接触できない不登校は、本当に歯がゆいものなのです。