第2話 踊れないイケメンより踊れる〇〇

文字数 1,656文字

 ダンス教室に入って間もなく、私は社交ダンス界のさまざまな「真実」を知ることになった。
 そのひとつが『踊れないイケメン・美女より踊れる〇〇』である。
 〇〇の部分には、思いつく限りの容姿に関する罵詈雑言を入れていただければ間違いない。

 ダンスを始めて3カ月くらいの時だっただろうか。やっとワルツのイロハのイくらいまでがわかってきた時だった――ちなみに社交ダンスには、ワルツ・タンゴ・スローフォックストロット・クイックステップ・ヴェニーズワルツといういわゆる長いドレスで踊る「スタンダード」部門と、ルンバ・チャチャチャ・サンバ・パソドブレ・ジャイブという短いドレスで踊る「ラテン」部門の合計10種目があって、競技会などでの正式種目とされている――始めたばかりの初心者の私が踊れたのは、このうちのワルツのほんのさわりという段階だった。それでも、若いだの、覚えが早いだのとアラフォーながらちやほやされ、ちょっとしたギャル気分(笑)だった。

 私は初心者コースを経てサークルと称する団体レッスンのクラスに入っていた。メンバーは五十代後半から六十代、七十代で、男女比は半々。中には老人ホームから通ってきている紳士もいた。残念ながらリチャード・ギアはいなかったが、みんな親切で、そして底抜けに明るかった。
 平日の夜のレッスンの後、近くの居酒屋で先生も交えて飲みのが楽しみで、ひたすらダンスの話ばかりしていた。互いの仕事のことも家庭のことも詮索することもされることもない。当然ながらアラフォーの私は末っ子扱いで大変かわいがってもらった。

 そして誘われたはじめてのダンスパーティー。パーティーといっても、会費千円程度で、会場も体育館。次々にかかる音楽に合わせて好きに踊るというものだ。
 最初はサークルメンバーのおじさまたちに教わりながら隅っこで踊っていたのだが、そのうちに見知らぬ年配の男性に誘われた。おじいちゃんである。
最初に私は言った。「初心者なんですう~」と。内心“若い”ワタシと踊れるんだから、ありがたいだろうという傲慢な気持ちがあったことは否定しない。
 ところがである。踊り始めて1分も経たない時だった。
「チッ。ホントに踊れないんだな」
 そう吐き捨てるように言うと、おじいちゃんは私を人の流れのど真ん中に取り残して立ち去ったのである。呆然とした。ひどい屈辱だと思った。今までみんなできなくたってちやほやしてくれたのに~。

 だが、今の私ならわかる。見た目が少々若いだのイケてるだのはダンスの実力とはなんの関係もない。こっちは踊りたいのだ。夢心地で風に乗るように舞いたいのだ。どんなに若かろうがイメケンだろうが、ヨタヨタ歩くようにしか踊れないのなら、いらないのである。おじいちゃんが私にイラッとしたのも当然なのだ。逆にいえば、イケメンや美女でダンスがうまかったら、もうモテモテである。

 前述のサークルにちょい悪おやじといった風情でダンスの上手なおじさまがいた。サークルのみんなでダンス旅行と称してダンスフロアを有する温泉ホテルに合宿に行ったことがあったのだが、そのおじさまのすごさを思い知った。私たちは6人くらいのグループだったのだが、中には観光バスで乗り付けている団体もいた。ホテルの駐車場にいた時、その団体客の乗ったバスの窓が開いて、マダムたちが一斉に「〇〇さ~~ん!」と黄色い声で名前を呼び、手を振り始めたのである。完全にアイドル扱いである。ってか、ちょい悪おじさん有名すぎでしょ!

実際、後に知ることになるのだが、ちょい悪おじさま、いろいろとやらかしていた。だが、それはまた別のお話。
 
 ダンスパーティー置き去り事事件の屈辱は、絶対踊れるようになる!
 うまくなって見返してやる!(二度と会わないのに)という私の負けず嫌いの根性に火をつけた。
 そこから団体レッスンから個人レッスンへと移行し、私は社交ダンス沼にまんまとハマっていくと同時に人間のさまざまな一面を発見する扉を開いていくことになったのである。
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