金盞香ばし・裏

文字数 9,970文字

 差し出された電信紙二枚を訝しく受け取って、解良(げら)は短い文面に目を通す。
 ここは、古い友人が経営している出版社の一室だ。資料室の一つではあるが、ここに出入りする者は限られる。部外者である解良が通されるのも、大凡こちらだった。
「……こんな物を見せるために呼び出したのか? (かわうそ)の妖気が僅かに残っているようだが、大方ヒトに紛れている輩だろうさ」
 ひらり、と手にした紙を振ってみせると、同胞は軽く眉を持ち上げた。
 同胞とはいうが、彼からしてみれば、解良なぞ取るに足らない亜種に過ぎない。過分にして、友人の地位はいただいているものの、本来ならば平伏すべき相手だ。何せ彼は生粋の化物で、解良では足元にも及ばない大天狗殿なのだから。しかし、そんなことを言ったところで、彼は豪快に笑い飛ばすのだろう。
「まぁ、そうだろうな。普通はそう考える。そもそも電信なんぞ、発信者が直接手にすることなんてねェからよ」
 胡乱な眼差しを向ければ、同胞は嫌な笑い方をしている。
「ただな、おまえの孫が気にしてるんだ。何かあるのかもしれねェだろ?」
(ゆずる)が? まさか」
「よく()てるし、勘もいい。本人はそうと気付いちゃいねェがな」
 流石は刑部(おさかべ)の人間だ、と投げられた言葉に軽く眉根を寄せて、解良は手にした電信紙へ視線を落とした。
 今の孫息子に、怪異は視えていないはずだ。そうなのだと、ずっと思っていた。あの一件以降、あの聡かった子供が周りの小物たちを気にするそぶりもなかったのだ。あからさまに足を引っ掛けられて転ぶこと数回、大泣きする孫息子に慌てた小物たちは、徐々に遠巻きになっていった。あれらはあの子と遊びたかっただけであって、泣かせたかったわけではないので。
「しかしまぁ、俺も少し引っ掛かるがな。そいつ、呼び出しにしちゃ変だろう」
 待ち合わせの目印指定がねェ、と付け加えられて、二枚の文面を見比べる。確かにそれもおかしな点ではあるが、場所も大きな一括りの指定でしかなく、これでは出会えるか解らない。仙石(せんごく)の言では、弦たちに投書の主の心当たりはないという。
「……あちらが一方的に知っている、というわけか?」
「可能性はあるな。さて、どうする?」
 にやり、と笑われて、解良は軽く眉根を寄せた。一つため息を落として(きびす)を返す。
「行ってくる」
 報告は寄越せよ、と気楽な一言に背を押され、解良は資料室を後にした。春暁(しゅんぎょう)社から件の劇場までは、徒歩三十分圏内にある。未だ活気に溢れる往来を歩く解良は、間もなく不可解そうに眉根を寄せた。
 道中に、幾らでも密会に適した店があるというのに、劇場に執着するのは何故だろう。
 そう考えて思考停止するのがヒトだが、生憎解良はヒトの枠から外れている。一番考えられる可能性は、その劇場に憑いているモノだろう。そしておそらく、ヒトに化けられないモノ。化けられるのならば、自ら出向いた方が断然早い。
 辿り着いた劇場は、夜の部を控えて活気に満ちていた。ぐるりと見回した視界の端、小さな影が駆け抜けるさまを見咎めて、解良はそちらへ足を運ぶ。人々の間を抜けて入り込んだ先、暗がりを見上げて「おい」と低い声をあげる。
「うちの孫を呼び出そうとしたのはおまえか」
 暗がりから恐る恐る顔を出した小鬼の小さな手が、真直ぐ上を指した。訝しく天井を見上げた解良は、ふと思い立った様子で踵を返す。一旦建物から出て細い路地へ入り込むと、そのまま軽く地面を蹴った。烏へ姿を変えて建物の上へ飛び上がると、思った通り、飾り屋根に囲まれた小さな屋上が目に入る。そこには、小さな鳥居と社が慎ましく建てられており、その前に小さな白狐がちょこんと前脚を揃えて座っていた。
 鳥居へ舞い降りると、狐ははたはたと目を(しばたた)かせる。
「これは熊野の天狗殿。貴殿が御出(おい)で下されるとは」
「うちの孫を呼びつけたのはおまえか?」
 申し訳ありません、と頭を下げて、白狐は深々とため息を落とした。ちらりと振り向くその先へ目を向ければ、社にみっちり詰まった小鬼たちの姿が見える。
「……それは何事だ」
「いえ、どうやら恐ろしいモノがやってくるそうで。皆に逃げ込まれて、我も難儀しておるのですよ」
「それは同情するが、うちのは何かができるわけではないぞ」
 わかっておりますよ、とふわふわ尾を揺らしながら、白狐は目を細めた。
「その恐ろしいモノとやらを、我も確認しようと致しましたが、どうにも聡い輩で。刑部殿ならば、殆どヒトでございますし、記者という肩書きもありますので……」
「それはそうだが、おそらくあれは、おまえたちが視えない。どうやって頼むつもりだったんだ」
 呆れた風情でそう言えば、どうやら思ってもみなかったようで、白狐は目を丸くする。そうして、何とも困った風情で「おやまぁ」と呟いた。
「それは誠で? あぁ、それはどうしましょう」
「おまえには、どうにもならないのか」
 稲荷として勧請されてきたのなら、それでも一応カミの末席にいることになる。広く信仰を集めれば、それは全て神通力へと注がれるのだ。果たして白狐は、ぺたんと尾と耳を落とした。
「無茶でございますよう。我は独り立ちして間がないのです。神通力もまだまだでございますし」
 こうして劇場の屋上に据えられたのでは、集まる信心も少ないことだろう。それでは、出来ることも限られてしまう。仕方がないな、とため息をついて、解良は翼を畳み直した。
「儂が少し見て来よう。その恐ろしいモノとやらは、一体どんなものだ?」
「誠でございますか! 有難うございます、天狗殿! さぁ、屋鳴(やなり)たち。天狗殿へ説明をなさい」
 恐る恐る顔を出した小鬼数匹は、ころころと社から転がり出て鳥居を取り囲む。下へ降りるべきかと翼を拡げたところ、ぴゃっと社へ逃げ帰ってしまった。……どうやら、この姿が怖いらしい。
「あー…、悪かった。ここから降りはしないから、ちょっと出てきなさい」
 おどおどと様子を窺う屋鳴たちは、再びころころと鳥居を取り囲むと、思い思いに語り始めた。その恐ろしいモノはヒトらしいのだが、ふわふわと剣呑な臭いをさせているという。
「剣呑、な。例えばなんだ?」
「血」
「死臭」
「獣のような」
「我等には馴染みのないものでござります」
 震え上がる屋鳴を見下ろして、白狐はゆっくりとかぶりを振った。
「おお、嫌なものでございますよ。我はこちらへやってくるまで西方におりましたが、そちらでも奇妙なことがありました」
 ヒトも物の怪も次々と姿を消したのですよ、と声をひそめて嘆息する。ふむ、小首を傾げた解良は、屋鳴たちを見下ろした。
「誰ぞ、儂について来てくれ。今もいるなら確認したい」
 互いに顔を見合わせる中、我が、と一匹手を挙げる。翼を拡げて飛び立った解良は、鳥居の真下に降りる頃には人形(ヒトカタ)へ姿を転じて屋鳴を手の上へ掬いあげた。それをそのまま肩へ乗せ、屋上の扉へ振り返る。
「取り敢えず、見てくる。他の屋鳴どもも、そいつが劇場内にいるか探ってくれないか」
 ぱっと姿を消すのを確認して扉を開いた解良は、そのまま屋内へ身体を滑り込ませた。狭い階段を降りてゆけば、ひっそりとした廊下へ出る。
 オペラ座のようなホールを有した劇場は、裏方へ割く空間に余裕がないようだ。刑部が最初に降り立った三階は控え室が並んでいるようで、二階には稽古場や物置き、作業部屋が連なっている。それでも、普段彼が立つ(むしろ)小屋よりも、よっぽど良い設備ではあるが。
「恐ろしいモノとやらは、表と裏、どっちで見たんだ?」
「こちらではござりませぬ」
「……常駐していないんだな?」
 こくこくと頷く小鬼を一瞥し、何喰わぬ顔で廊下を歩く。一階まで降りてくると、そこには事務所と舞台裏があり、細い通路を抜ければエントランスへと到達する。途端に、ぽとりと天頂に小鬼が落ちて来た。ぱたぱたと手を振り回し、いました! と声を潜める。
「何処だ?」
「階段でござりまする」
 エントランスの柱へ寄り掛かり、ちらりと階段へ視線を向けた。剣呑な臭いというのはその位置からはわからなかったが、確かに妙な男は一人いた。
 一言でいえば、半端者、だろうか。気配と生気が奇妙に希薄な男が、若い娘と楽し気に会話している。いや、傍から見ればそう見えるのだろう。生憎、解良の目には彼の纏う白々しさがありありと見えていた。
 あれは詐欺師の類いだな、と。
 軽く眉根を寄せて、うっとりと男を見上げる連れを見遣る。解良から見れば大根にも程があるが、彼女にしてみれば名優なのだろう。的確に用いられる甘い言葉は毒に似て、じわりと感覚を鈍らせる。そういうものも、見飽きた風景の一つだ。
 永らく芝居の世界に身を置いていると、様々なものが見えてくるような気がした。初めに仕込んでくれた師は遠い彼方にあり、その墓すらも朽ちてしまっている。それだけの歳月を経ても、未だ芸を極めるまでには至らないのだ。師の足元にも及ばない。それはかの人が故人であるからだろうし、無限ともいえる時間が邪魔をしているのもあるだろう。
 時は有限だからこそ、ヒトは我武者らに足掻いて命を燃やす。その輝きをなぞることが、解良には出来そうもない。
 ぴゃ、と頭と肩の上にいた屋鳴が何処かへ隠れた。ふと視線を転じた先に、堂々とした壮年の紳士がやってくるのが見える。
「やぁ、珍しい所で会ったな」
「久しいな、山本(さんもと)殿」
「おまえは、筵小屋専門だと思っていたのだが。近頃はどうだね」
「相変わらずだ。おまえさんは、相変わらず芸好みか」
 どうして稼いだものか、いつだって羽振りの良いこの紳士は、芸に携わる者を支援することを至上の喜びとしているところがあった。そもそも知り合ったのもその所為で、かれこれ二百年ほどの付き合いである。その間には大店の主人をしていたこともあったから、これで商才があるのかもしれない。
「外つ国の芸術も、なかなか面白いものさ。今は、画家を擁護していてね……」
 言いながら、ちらりと紳士が視線を向けたのは、先程まで解良が眺めていた先だ。そうして、軽く眉を持ち上げた。
「おやおや、彼も御盛んだな。また別の女か」
「うん? 山本殿の知り合いか?」
 知っているだけだがね、と返して、紳士はにやりと笑う。
「あれが、次の獲物かね」
「さて。厄介事の相談をされたばかりでな」
「手を貸そうか」
 率直に告げられた一言に胡乱な眼差しを向けて、解良は唇の端を吊り上げた。
「おまえさんの色好みには呆れるな。そいつは断っただろう」
「いやいや、こちらも妻がいる相手をどうこうとは言わぬよ。侍ってくれるだけで満足としよう」
 週末に某所へと招かれているのだがね、と目許が弧を描いて、ちょいと親指が件の男を指す。
「あれの主人(あるじ)も招かれているのさ」
 ふと真顔になった。ぐっと声をひそめ、軽く眉をひそめる。
「あれは何者だ」
「何、外つ国の化物の下僕だよ。あれの主人は外資の企業主でもある。鎖国が解かれてよりこちら、ああしたものが流入しやすくてかなわん。……さて、どうするね?」
 にやり、と唇の端を引き上げる紳士を渋い顔で見詰めた解良は、そのまま一つため息を落としたのだ。
 
  ◇◆◇
 
 山本に渡されたお仕着せを窮屈に着込みながら、解良は内心ため息をついた。
 気持ちよく晴れた週末ではあるが、流石にガーデンパーティとやらを敢行するような季節ではない。庭はすっかり侘びしい佇まいで、僅かに覗く落葉樹がくすんだ枯れ色を覗かせているだけだ。さんざめく人々の声は不自然に響いて、白々しい会話があちこちで交わされている。
 何より、誰もがどこか退屈そうにしているのだ。それを盛り上げようと苦心する幾人かが(わざ)とらしく声をあげ、ますます白々しさが強調される。部外者の彼には、殆ど苦行の域に達するほど、つまらない集まりだ。
 山本がこうして青年を伴い姿を見せるのはいつものことのようで、己の周りに目を向ければ、御婦人方の品定めする風情の不躾な目が不愉快である。中には、それが新しいお気に入りかと尋ねてくる者もあって、少々うんざりしていた。
 御婦人方の相手をしながら、終始穏やかに不機嫌さを押し隠していたものの、山本はどうやら気付いていたらしい。彼らの元へ挨拶に訪れる人の波が途切れた途端、苦笑を浮かべて耳許に囁いた。
「すまないな。折角おまえを侍らせる機会を得たのだから、もっと華やかな席を望みたかったんだが」
「いや、結構。こちらも都合がいいから乗ったまでだ」
 ちらりと視線を向けた先には、主催者と談笑する紳士の姿がある。件の男の主人だという化物は、先程まで凛と背筋を伸ばした奇麗な令嬢と、何やら楽しそうに会話をしていた。
 マルクス商会代表という肩書きと、外つ国の異人らしく立派な体躯が目を引くのだろう、彼の周りには人が絶えない。なかなか上手く商売を拡げているようだ、とは山本の言だ。
「獣臭い御仁だろう? 夜の集まりであれば、下僕も連れてくることもある。主人に心酔しているようだが、当人には愛妻がいるそうでな」
「その割には、連れては来ないのか」
「さて。時折、奴からは死臭がすることがある」
 ふと眉をひそめて、解良はマルクスへ視線を向けた。丁度そのとき、会話を終えたらしい彼が会釈をして主催者から離れる。こちらへ足を向けるのを見て、解良は踵を返した。
「おや、話さないのかね」
「任せた」
 そもそも、接触する気なぞ端からないのだ。小物たちに訴えられたのはあれの下僕についてで、今のところマルクスには興味はない。ただ、容易に観察できれば有難いと乗っただけで他意はないのだ。
 つれなく離れる解良に軽く肩を竦めたらしい山本は、親し気に異人へ挨拶を述べたようである。名の知れた資産家として、彼は彼なりに果たさなければならない義務のようなものがあるのだ。解良辺りは、よくもそんな面倒を好き好んで負うものだと感心すらするけれど。
 さて何処かへ避難するか、と庭をぐるりと見回した解良は、ひっそりと建つ東屋に目を止めた。これ幸いと逃げ込んだ彼は、そのときになって先客がいたことに気付く。彼女は酷く驚いた様子で、目を丸くして解良を見上げている。
「失礼、お嬢さん。私に何か?」
 愛想よく尋ねると、彼女は目を瞬いて、気を落ち着けるように胸元に手を置いた。
「……申し訳ありません。知人かと思って」
 改めて見上げてくる眼差しは真直ぐな好奇心に満ちていて、どうやら嫌悪を伴う相手と間違えたわけではないらしい。何となく好ましさを感じて「そんなに似ているのか」と尋ねると、彼女は僅かに眉根を寄せて小首を傾げた。
「……いいえ、全く。どうして見間違えたのか、不思議でならないほど」
 あまりにも素直すぎる物言いに、思わず吹き出す。そんな不躾さにも彼女は気分を害した様子もなく、只管不思議そうに首を捻っている。本当に、全く似ていないのだろう。あの驚きようを思い返すに、この場にあるはずのない人物のようだ。
 どちらにせよ相席は好ましくなかろうと、謝罪を口にして退散しようとした解良を引き止めて席を勧める辺り、どうやら普通の御令嬢とは違うようである。そうして何気なく会話を始めて、漸く彼女が先程マルクスと話をしていた女性だと気がついた。
 好奇心序でに、一体何を話していたのかと水を向けると、彼女は呆れたように肩を竦めて「奥様と似ているそうですよ」と教えてくれる。どうやら愛妻について、一方的に語っていたようだ。故人について語っていたふうでもなかったし、そんなに愛しい人なら同伴すればいいのに、とは彼女の弁で、うんざりとため息をついてた。
 なかなか有意義な時間はあっという間に過ぎ去り、そろそろ頃合かと遠目に見て取った解良は、令嬢を促して人込みの中へ紛れ込んだ。
 令嬢と別れ山本の傍へ戻ると、そのまま連れ出されて屋敷を後にする。帰りの馬車でやれやれと嘆息してトップハットを取ると、山本はちらりと視線を寄越してきた。
「何処に隠れていたのだね? 今度の連れはつれないなと、笑い者になってしまったよ」
「そりゃ気の毒だったな。次は可愛い愛人でも連れていけ。おまえさんなら、男だろうが女だろうが選び放題だろう」
「簡単に靡くようでは面白くもないじゃないか。ところで、明日も付き合わないか」
 しれっと誘われて嫌そうに横目に見遣ると、果たして山本はにんまり三日月のように口元を歪めている。
「話題になっている公演のチケツを、懇意にしている者から貰ったんだが、残念なことに傍らが空席でね。そこを埋めてくれるのなら、一つおまえに贈り物をしよう」
「いらん。何処ぞで連れを引っ掛けろ」
「おや、そうかね? 件の御仁に関することなんだが。なかなか面白いオカルトネタだよ」
 勿体無いから雑誌社にでも情報を売ろうか、と笑みを深くする。これ見よがしに舌打ちをした解良は、ふんぞり返るように座席に背を預けた。
「……贈り物というのは? 内容次第で付き合ってやる」
「おやおや、これは我侭な。そんなところも嫌いではないがね」
 大仰に肩を竦めてみせた山本は、少しだけ面白い話をしてやろう、と目を細める。胡乱に彼を一瞥した解良は、不本意そうな表情を崩しもせずに車窓へと目を向けた。そんなことをしたところで、堪える相手ではないけれど。
「これは、我々のような商売をしている者には周知のことだがね。あのマルクス商会というのは、元々もっと西方で商いをしていた。当時から黒い噂も絶えなかったが、尻尾を掴ませなかったようだ」
「黒い噂?」
 お約束だな、と茶化す解良に苦笑して、山本は「まったくだ」と同意する。
「近辺で若い娘が数名行方知れずなのだよ。自ら姿を消したとされる者も数名。これはマルクスの腰巾着と目されていた者たちのようだ。序でに、同胞が幾柱か消えたと聞いている。この辺りは、白井や仙石も承知しているかもしれん」
「うん? そいつは確か稲荷神から聞いたな。その真相でも掴んだのか?」
「いや。流石にそれはないが。もしかしたら繋がるかもしれない、面白い誘いを直々に受けていてね」
 不老不死の秘技を授けてくれるそうだ、と愉快そうに目許を緩める。思わず視線を山本へ向けて、解良はそのままの表情で尋ねた。
「おまえさんの正体に気付いてないのか」
「私もそこまで親切ではないさ。あれらはお高く止まったところがあってね、この国にも同類のモノがあるとは思っていないようだ」
 皮肉げに笑う横顔には凄みがあって、恐れ知らずだな、と内心嘆息する。魔王と呼ばれたこの男にしてみれば、外つ国からの招かれざる客の態度は、不遜でしかないのだろう。同時に、何となく話の先が見えて自然と眉間にしわがよる。
 さて、と負の感情を奇麗に面から消し去って、解良へ向き直った山本は、にんまりと笑ってその目を覗き込む。
「お付き合い願えるかな? さすれば秘密倶楽部の招待状を進呈するとしよう。きっと役に立つと思うのだがね」
 よもや、断るとは思っていないのだろう。実際、断るという選択肢は既にない。これは、口にしたことは必ず実行する男だ。突っぱねれば確実に孫へ類が及ぶ。
「何、無理強いするのは主義に反するからね、夜伽をせよとまでは言わぬよ」
「当たり前だ。おまえさん、格下にふんぞり返られて、腹に据えかねたんだろう」
 そうでなければこんな話を儂に持ってくるか、と眉をしかめるさまに大らかに笑い声を立てた山本は、態とらしい仕種で胸に手を当ててみせる。
「いやいや、これは私の真心だ。愛しい人の役に立ちたいのだよ」
「言ってろ。格下相手に意地になって、滑稽なことだ」
「そうするだけの価値があるということさ」
 胡乱な眼差しを向ければ、山本は胡散臭さを隠してにこりと笑う。
 かれこれ一五〇年程繰り返しているやり取りだ。いい加減にこちらは飽き飽きしているのに、彼は懲りるということを知らない。思わず疲れたため息を落として、ふと、これまで吐かなかった一言を投げ遺りに放り投げる。
「儂としては、普通に友人付き合いしたいだけなんだがな」
「おや、それは光栄だ。しかしそれだけの関係は、私には物足りないのだよ。気にすることはないさ、おまえは思惑を抱えて利用すればいい。精々、私に付け込まれないように」
 意味ありげな笑みに、彼は彼なりに楽しんでこの妙な関係を維持したがっていることが窺えた。それこそ、長命な者の退屈しのぎなのだろう。巻き込まれる方は迷惑極まりないが。
「……おまえさん、儂が屈したら次はどうするんだ」
 飽きて離れてくれるなら、そちらの方が面倒がないだろうかと思いながら尋ねると、見透かしたようににやりと笑う。
「そんなもの、心底溺れてくれるまで粘るだけさ」
 しつこい、と心底嫌そうな顔で吐き捨てると、山本は「酷いな」と笑う。そうして、澄ました顔で付け加えたのだ。
 そんなことは有り得ないから、この先飽きることもないだろう、と。
 
  ◇◆◇
 
 疲れた、と春暁社へ姿を見せた解良に、仙石は苦笑を浮かべた。彼も事情を承知しているため、少ししたら帰れよ、と一言告げるだけに止める。編集部には他に人影はなく、待機中の社員は仮眠室で雑魚寝をしているはずだ。件の館へ向かった記者も、今頃は現場か警察署だろう。
「無事に終わったのかい?」
「概ね。弦と顔合わせる羽目になったこと以外は」
 最初は、その他大勢に紛れて、そ知らぬ顔で放っておくつもりだったのだ。そもそも顔を合わせる気もなかったし、その必要を感じていなかった。名乗り出ては混乱させるだけかもしれず、奇麗に忘れているらしい幼い日の出来事を思い出しかねない。あれは、あの子には苦痛でしかないだろう。
 たまに、舞台上から直に顔が見える。
 解良としては、それで十分だったのだ。最初、芝居小屋へやってきたときは流石に驚いたが、今では弦が姿を見せるのを楽しみにしていたりする。
 閑話休題。
 結局それも叶わなくて、最後には思いっきりばれてしまったわけだが。今頃、彼らは仙石の号令による記事を必至に組み立てているはずで、ここへ駆け込んでくる前に退散しなくてはならないだろう。
 それにしても、まさかあれほど護りが弛んでいるとは思わなかった。新時代の恩恵は、非常に有難迷惑である。この先の方策を、どうにか考えねばならない。
 頭が痛いな、と嘆息する解良を見遣って、仙石は傍らの急須へ手を伸ばした。
「山本なんぞに借りを作って、厄介そうじゃねェか。どうするよ」
「あー…、それはどうとでも……」
「とうとう、年貢の納め時かい?」
 それはない、と即座に返せば、可笑し気に笑って番茶を差し出してくれる。
 実際、今度のことは最初から世話になりっぱなしだ。潜入する術も、化物の正体も、対処法ですら、ほぼ山本が示してくれたのである。知らぬうちに弦が首を突っ込んでいた、と頭を抱える解良を見兼ねてのことだろうが、額面通り親切と受け取らぬ方がいいのだろう。
 けれどその割には、こちらの弱味に付け込むような条件は出してこなかった。
 上手く利用すればいい、自分に付け込ませないように、と言った当人がだ。付け込むように見せ掛けても、その実こちらへの負担は殆どない。そのように、こちらを気遣っているようにも思えるくらいに。
「……あれは本気なのか」
 思わずぽつりと呟くと、仙石は軽く眉を持ち上げる。何やら躊躇う様子を見せ、そうなんじゃねェかな、と応えた。
「あいつは昔ッから、本気の相手には絶対に手ェ出さねェからよ。只管愛でるのは構わねぇが、少々歪んでるからなァ」
「勘弁してくれ」
 仏頂面で番茶を啜ると、おまえが聞いたんだろうが、と笑う。
 彼らが対面するさまは見たことがないが、お互いを知っていることだけは確かだ。それでは、これまで愛でてきた相手とは、どう切れたのかも知らないだろうか。ぼんやりとそんなことを思っていると、察したのか仙石は何気ない様子で口を開いた。
「とはいえ、これだけ長いのは初めて見るな。今までは、相手が死んじまって終わっていたから。だからあいつも、その先どうすればいいのかわからないんだろうさ」
 終わらない相手、変わらない相手に逃げたように見えるな、と平静に零すと、仙石は答えず曖昧に笑う。番茶を飲み干した解良は、御馳走さん、と言い残して席を立った。
「妙なことに巻き込んじまって、悪かったな」
「構わんよ、巻き込まれてなければ、こうも上手く運ばなかったさ」
「明日から仕事に復帰かい?」
「いや、稽古始まりは明後日だ。これから明日にかけては寝て過ごす。……の前に、腰抜けの所へ顔出さなきゃならんが」
 ふと真顔になった仙石へにやりと笑んで、解良は踵を返す。気をつけろよ、と投げ掛けられた一言にひらり手を振って、編集室を後にした。

〈了〉
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