White Rose-私は貴方にふさわしい-
文字数 3,488文字
七年間以上ずっと好きだった人がいる。
一年目はずっとその人の作品を見ているだけ。二年目に手紙を書いてみた。といっても、恋の告白じゃない。日常の雑談。ただの文通。そして三年目、彼女は僕のものになりえないことを知った。
そんな彼女に、僕は今日、告白する――。
待ち合わせ五分前。恰好はこれでよかっただろうか。白バラ三輪の意味は「愛の告白」。ずっとあなただけのために僕は生きてきたんだ。だから、この想いを伝えるだけでも許してください。
あなたのほうが年上で、人生経験も豊富だ。それに比べて僕はまだまだしがない大学生。少しでもあなたに近づきたかった。だから……。
こんな告白自体迷惑かもしれない。いいや、頭を振る。迷惑だとしても、気持ちを伝わらなくちゃ始まらない。僕は公園の自販機でミルクティーを買う。寒くなってきた。彼女は、まだ来ない。まだ五分前。来るのはぎりぎりだろう。彼女も仕事があるから。
僕はベンチに座ると、これまでのことに思いを馳せる。
あのときも白バラを持っていたな。でも、彼女は来なかった。今日は、今日こそはきっと、彼女が来てくれますように。
四月。僕は大学の勉強の傍ら、広告制作会社のアシスタントのアルバイトを始めた。もちろん理由がある。彼女がいるからだ。畑中美月。それが彼女の名前。彼女は新進気鋭のクリエイティブディレクターになっていた。
この広告制作会社のアシスタント職は、親のコネ。そうでもしないとアルバイトなんか取ってくれない。僕は必死だった。彼女にどうしても近づきたくて、親に土下座した。彼女と近づくことができるなら、土下座でもなんでもする。
僕が彼女に執着しているのには理由がある。彼女の書いたキャッチコピーだ。今でこそ美月さんはクリエイティブディレクターだが、僕が彼女を知ったときはコピーライターだった。
『白地図に色を塗ろう。その地図には何が書いてある?』
専門学校のCMだっただろうか。高校生だった僕は、このキャッチコピーを駅のポスターで見た瞬間、頭をガツンと殴られた気がした。
俺って今、何をしているんだろう? 受験戦争真っただ中で、毎日必死に勉強している。俺が見ている人生は灰色だった。受験ノイローゼで毎日自殺を考える日々。そんな中、目に飛び込んできたのがこのコピーだった。
このコピーを見て、僕は「もっと自由に生きていいのではないだろうか?」と考えるようになった。毎日毎日遅くまで受験勉強。それを一旦やめてみた。受験に落ちても死にはしないし、未来はいかようにも変えられる。どんな職業にだってなれる。僕の人生はまだ白地図。色を塗るのは自分自身だ。どんな色にだって塗りかえられる。そう教えてくれたのは、美月さんだ。
僕は、美月さんの会社宛に手紙を書いた。ファンレターだ。そうしたら……奇跡的に美月さんからハガキが返ってきたのだ。忙しかったはずなのに、「キャッチコピーを気に入ってくれてありがとう」という言葉が綴られていた。それからしばらくの間、受験の間隙を見て、俺は美月さんに手紙を書いた。美月さんも筆まめな性格らしく、律儀にも文通をしてくれた。もしかしたらキャッチコピーを書くためのネタ集めの一環だったのかもしれないけれど。
学校であったことや、話題になったCM、気に入ったポスター、受験勉強のことなんかを僕は等身大で綴った。
しかし、あの手紙を出したことで、文通は途切れてしまった。
『第一志望の大学に受かりました! それで、よかったら僕に会ってもらえないでしょうか? 〇月×日、目印に白バラを持って待っています』
彼女は来なかった。あとからネットで知ったことなのだが、彼女はこの一週間後に結婚したのだ。
「加納くん、来て早々悪いけど、早く資料集めてきて」
初めて会ったのはバイト先。彼女は離婚して、小さな制作会社の設立メンバーになっていた。僕の上司だ。
「コネ入社だからって手加減しないよ? ヨロシク」
本気なのかどうかわからないジョーク。それでも仕事を楽しんでいるのがわかり、僕はときめいた。憧れの美月さんと一緒の職場にいる。一緒に仕事ができるなんて。
美月さんは三十代とは見えないくらい若々しく見えた。仕事をしている姿がいきいきしているからだろうか。これで……バツイチなんだな。僕の知らない彼女がいるんだ。そう思うと胸がちくんとする。
そりゃそうだ。僕は文通をしていただけ。しかも彼女は僕のことなんて覚えていないだろう。だからみんなと同じような態度を僕に取る。僕は大学生で、彼女は立派な社会人。しかもクリエイティブディレクター。立場が違いすぎる。
僕は資料を別階で調べてくると、同じ会社の社員の女性たちが僕の噂をしているのを聞いた。
「あの大学生、イケメンだよね! すっごくキラキラしてて目の保養だわ~」
「でも、大学生でしょ? そんなの恋愛対象外に決まってるじゃん! 将来性があるとしても、まだまだ親のすねかじりなんだし」
「遊ぶだけならいいんじゃない?」
そうだ。僕はまだ自立できていない。この会社に入ったのも親のコネだし。大学は卒業できていない。でも、女性たちは勘違いしている。僕は、将来を見据えてこの会社に入った。
僕は、僕の夢は……。
「ほら、何くっちゃべってるの、仕事して!」
「はぁい、美月さん。あっ、加納くんもっ……」
僕の後ろから来た美月さんが、女性陣をどかす。みんなはそそくさとその場を去った。
「あ、あの……」
「ごめんね? 勝手に品定めしてるみたいで。それで? 資料は?」
「遅くなってすみません。これです」
僕の手から資料を受け取ると、美月さんはにっこり笑った。
「君の未来図は君が決めることなんだから。恋愛もそう。だから変な輩に誑かされるなよ?」
そんな風に笑わないでください。僕はあなたに完全に誑かされている。ここじゃ僕は年下の部下……どうしたら、もう少しあなたに近づけるんだ?
僕は考える間もなく、美月さんの腕を取り、耳元でささやいた。
「変な輩には、美月さんも含まれますか?」
「えっ!? は、はぁ!? 私!? ははっ、何言ってるの? バツイチ三十路なんか嫌でしょ?」
「僕はずっとあなたのことが……」
「あーっと、仕事しないと!」
……はぐらかされた。当たり前か。どうやったら僕は彼女を振り向かせられるんだろう。そうだ。古い手かもしれないけれど、また手紙を書いたらどうだろう?
帰り道、ショッピングモールに入っている雑貨店でレターセットを買うと、僕は美月さんにまた手紙を書くことにした。あのとき……六年前と同じように。
「美月さん、また差出人不明の手紙ですよ~」
「はいはい」
僕の手紙は、会社内でちょっとした話題になっていた。差出人不明、そして毎日送られてくる。内容は昔みたいに話題になったCMへの意見や気になったキャッチコピーのこと。ただし、美月さんからの返信はない。一方的なものだ。
美月さんは丁寧に手紙の封をペーパーナイフで破ると、中身を取り出す。そして、ふと笑みをこぼす。あのときもこんな風に読んでくれていたのかな。
欲はどんどん出た。やっぱり僕は、美月さんが好きだ。最初は顔も知らなかった。でも、あんなキャッチコピーを書ける人だ。きっと人柄も素敵なんだろう。知らない学生の文通にも付き合ってくれた、優しい人だ。
僕はまた、禁じ手を使うことにした。
『どうしてもあなたに会いたい。×月〇日、会社の近くの公園で待っています。目印に白バラを持って』
約束時間。彼女は……来た。来てくれた。来ないと思っていたのに。
仕事上がりの美月さんは、目を丸くした。
「加納……くん」
「いい加減、僕の想いに気づいてくださいよ」
「気づいてたよ、君からの手紙、忘れるわけないでしょ? 差出人不明の手紙が来たときも、君の仕業だってすぐにわかった」
隣に座る美月さんに、僕はたずねた。
「やっぱり子どもは嫌いですか?」
「そうじゃなくて……私より若くていい子がいるでしょ?」
「僕は七年間以上貴方を思って生きてきたんです。あなた以外見えない」
美月さんは持っていたペットボトルを見つめながら、困ったように笑う。
僕は持っていた白いバラを彼女に渡すと啖呵を切った。
「絶対に貴方を幸せにします! 前の旦那さんよりも……だから、僕にしませんか?」
白バラの花言葉は「私はあなたにふさわしい」。
彼女にふさわしい男になるためなら、なんだってする。彼女に押し付けると、僕は美月さんを抱きしめる。
美月さんはくすっと笑って、そっと抱きしめ返してくれた。やっぱり彼女は大人だ。
一年目はずっとその人の作品を見ているだけ。二年目に手紙を書いてみた。といっても、恋の告白じゃない。日常の雑談。ただの文通。そして三年目、彼女は僕のものになりえないことを知った。
そんな彼女に、僕は今日、告白する――。
待ち合わせ五分前。恰好はこれでよかっただろうか。白バラ三輪の意味は「愛の告白」。ずっとあなただけのために僕は生きてきたんだ。だから、この想いを伝えるだけでも許してください。
あなたのほうが年上で、人生経験も豊富だ。それに比べて僕はまだまだしがない大学生。少しでもあなたに近づきたかった。だから……。
こんな告白自体迷惑かもしれない。いいや、頭を振る。迷惑だとしても、気持ちを伝わらなくちゃ始まらない。僕は公園の自販機でミルクティーを買う。寒くなってきた。彼女は、まだ来ない。まだ五分前。来るのはぎりぎりだろう。彼女も仕事があるから。
僕はベンチに座ると、これまでのことに思いを馳せる。
あのときも白バラを持っていたな。でも、彼女は来なかった。今日は、今日こそはきっと、彼女が来てくれますように。
四月。僕は大学の勉強の傍ら、広告制作会社のアシスタントのアルバイトを始めた。もちろん理由がある。彼女がいるからだ。畑中美月。それが彼女の名前。彼女は新進気鋭のクリエイティブディレクターになっていた。
この広告制作会社のアシスタント職は、親のコネ。そうでもしないとアルバイトなんか取ってくれない。僕は必死だった。彼女にどうしても近づきたくて、親に土下座した。彼女と近づくことができるなら、土下座でもなんでもする。
僕が彼女に執着しているのには理由がある。彼女の書いたキャッチコピーだ。今でこそ美月さんはクリエイティブディレクターだが、僕が彼女を知ったときはコピーライターだった。
『白地図に色を塗ろう。その地図には何が書いてある?』
専門学校のCMだっただろうか。高校生だった僕は、このキャッチコピーを駅のポスターで見た瞬間、頭をガツンと殴られた気がした。
俺って今、何をしているんだろう? 受験戦争真っただ中で、毎日必死に勉強している。俺が見ている人生は灰色だった。受験ノイローゼで毎日自殺を考える日々。そんな中、目に飛び込んできたのがこのコピーだった。
このコピーを見て、僕は「もっと自由に生きていいのではないだろうか?」と考えるようになった。毎日毎日遅くまで受験勉強。それを一旦やめてみた。受験に落ちても死にはしないし、未来はいかようにも変えられる。どんな職業にだってなれる。僕の人生はまだ白地図。色を塗るのは自分自身だ。どんな色にだって塗りかえられる。そう教えてくれたのは、美月さんだ。
僕は、美月さんの会社宛に手紙を書いた。ファンレターだ。そうしたら……奇跡的に美月さんからハガキが返ってきたのだ。忙しかったはずなのに、「キャッチコピーを気に入ってくれてありがとう」という言葉が綴られていた。それからしばらくの間、受験の間隙を見て、俺は美月さんに手紙を書いた。美月さんも筆まめな性格らしく、律儀にも文通をしてくれた。もしかしたらキャッチコピーを書くためのネタ集めの一環だったのかもしれないけれど。
学校であったことや、話題になったCM、気に入ったポスター、受験勉強のことなんかを僕は等身大で綴った。
しかし、あの手紙を出したことで、文通は途切れてしまった。
『第一志望の大学に受かりました! それで、よかったら僕に会ってもらえないでしょうか? 〇月×日、目印に白バラを持って待っています』
彼女は来なかった。あとからネットで知ったことなのだが、彼女はこの一週間後に結婚したのだ。
「加納くん、来て早々悪いけど、早く資料集めてきて」
初めて会ったのはバイト先。彼女は離婚して、小さな制作会社の設立メンバーになっていた。僕の上司だ。
「コネ入社だからって手加減しないよ? ヨロシク」
本気なのかどうかわからないジョーク。それでも仕事を楽しんでいるのがわかり、僕はときめいた。憧れの美月さんと一緒の職場にいる。一緒に仕事ができるなんて。
美月さんは三十代とは見えないくらい若々しく見えた。仕事をしている姿がいきいきしているからだろうか。これで……バツイチなんだな。僕の知らない彼女がいるんだ。そう思うと胸がちくんとする。
そりゃそうだ。僕は文通をしていただけ。しかも彼女は僕のことなんて覚えていないだろう。だからみんなと同じような態度を僕に取る。僕は大学生で、彼女は立派な社会人。しかもクリエイティブディレクター。立場が違いすぎる。
僕は資料を別階で調べてくると、同じ会社の社員の女性たちが僕の噂をしているのを聞いた。
「あの大学生、イケメンだよね! すっごくキラキラしてて目の保養だわ~」
「でも、大学生でしょ? そんなの恋愛対象外に決まってるじゃん! 将来性があるとしても、まだまだ親のすねかじりなんだし」
「遊ぶだけならいいんじゃない?」
そうだ。僕はまだ自立できていない。この会社に入ったのも親のコネだし。大学は卒業できていない。でも、女性たちは勘違いしている。僕は、将来を見据えてこの会社に入った。
僕は、僕の夢は……。
「ほら、何くっちゃべってるの、仕事して!」
「はぁい、美月さん。あっ、加納くんもっ……」
僕の後ろから来た美月さんが、女性陣をどかす。みんなはそそくさとその場を去った。
「あ、あの……」
「ごめんね? 勝手に品定めしてるみたいで。それで? 資料は?」
「遅くなってすみません。これです」
僕の手から資料を受け取ると、美月さんはにっこり笑った。
「君の未来図は君が決めることなんだから。恋愛もそう。だから変な輩に誑かされるなよ?」
そんな風に笑わないでください。僕はあなたに完全に誑かされている。ここじゃ僕は年下の部下……どうしたら、もう少しあなたに近づけるんだ?
僕は考える間もなく、美月さんの腕を取り、耳元でささやいた。
「変な輩には、美月さんも含まれますか?」
「えっ!? は、はぁ!? 私!? ははっ、何言ってるの? バツイチ三十路なんか嫌でしょ?」
「僕はずっとあなたのことが……」
「あーっと、仕事しないと!」
……はぐらかされた。当たり前か。どうやったら僕は彼女を振り向かせられるんだろう。そうだ。古い手かもしれないけれど、また手紙を書いたらどうだろう?
帰り道、ショッピングモールに入っている雑貨店でレターセットを買うと、僕は美月さんにまた手紙を書くことにした。あのとき……六年前と同じように。
「美月さん、また差出人不明の手紙ですよ~」
「はいはい」
僕の手紙は、会社内でちょっとした話題になっていた。差出人不明、そして毎日送られてくる。内容は昔みたいに話題になったCMへの意見や気になったキャッチコピーのこと。ただし、美月さんからの返信はない。一方的なものだ。
美月さんは丁寧に手紙の封をペーパーナイフで破ると、中身を取り出す。そして、ふと笑みをこぼす。あのときもこんな風に読んでくれていたのかな。
欲はどんどん出た。やっぱり僕は、美月さんが好きだ。最初は顔も知らなかった。でも、あんなキャッチコピーを書ける人だ。きっと人柄も素敵なんだろう。知らない学生の文通にも付き合ってくれた、優しい人だ。
僕はまた、禁じ手を使うことにした。
『どうしてもあなたに会いたい。×月〇日、会社の近くの公園で待っています。目印に白バラを持って』
約束時間。彼女は……来た。来てくれた。来ないと思っていたのに。
仕事上がりの美月さんは、目を丸くした。
「加納……くん」
「いい加減、僕の想いに気づいてくださいよ」
「気づいてたよ、君からの手紙、忘れるわけないでしょ? 差出人不明の手紙が来たときも、君の仕業だってすぐにわかった」
隣に座る美月さんに、僕はたずねた。
「やっぱり子どもは嫌いですか?」
「そうじゃなくて……私より若くていい子がいるでしょ?」
「僕は七年間以上貴方を思って生きてきたんです。あなた以外見えない」
美月さんは持っていたペットボトルを見つめながら、困ったように笑う。
僕は持っていた白いバラを彼女に渡すと啖呵を切った。
「絶対に貴方を幸せにします! 前の旦那さんよりも……だから、僕にしませんか?」
白バラの花言葉は「私はあなたにふさわしい」。
彼女にふさわしい男になるためなら、なんだってする。彼女に押し付けると、僕は美月さんを抱きしめる。
美月さんはくすっと笑って、そっと抱きしめ返してくれた。やっぱり彼女は大人だ。