Pink Rose-愛の誓い-

文字数 3,046文字

 彼女が起きる一時間前。

 米を研ぎ、炊飯器にはセット済み。甘い卵焼きはちょっと焦げたけど、豆苗とネギの味噌汁。鰆の西京焼き。朝食にしては豪華なんじゃないか? 俺にしてはよくやった。
 朝からこんな食事、重いだろうか。俺の気持ちも重いだろうか。これくらいはさせてほしい。ごめんなさいの朝ご飯。

 昨日の夜は大失敗だった。本当だったら甘い時間を過ごすはずだったのに。
 俺は、昨夜プロポーズをしようとしていた。彼女をわざわざ連れ出して、車で海岸線をデート。それなのに、くだらないことでケンカをしてしまった。

「そんなに仕事が大事なのか」

「大事だよ! 大事に決まってるじゃん! やっと見つけた天職だよ? 博人は私に仕事するなっていうの?」

 仕事するななんて言っていない。ただ、最近無理をし過ぎているのは目に見えていた。
 彼女の仕事は在宅ワークのイラストレーター。腕がいいのか、依頼は尽きない。この日のデートだって、隙間時間を見つけて連れ出したのだ。

 彼女は最近ワーカホリック気味。ピリピリしすぎている。一緒に家にいても、仕事ばかり。そんなときだったから、俺はプロポーズしたかった。仕事はセーブしていい。これからは俺が養うから。そう言いたかった。だけど、イラストレーターという職業は才能も関係している。彼女は自分の才能を認められたことで、ハイになっていた。
 ――このままだと、潰れる。だから、少しはセーブしてくれ。そんな話をしていたらケンカになった。俺はただ、彼女と一緒に幸せな家庭を作りたいんだ。

 何度も言うが、仕事をやめろとは言っていない。ただ、無理をしない、ライフワークバランスを考えた仕事をしてほしい。俺も一緒に、お前の仕事が成功するように考えるから。
 そう言えればよかったのに。どうしてケンカなんかになってしまったんだろう。

 昨日のプロポーズが成功していたのなら、今頃寝起きの彼女の顔を見ながら微笑んでいただろう。こんな朝ごはんは作っていない。きっと、ふたりで本の少しだけ寝坊して、どこかのカフェで朝食をとっていたことだろう。多幸感に包まれながら。

 それなのに今の俺は、ひとりでキッチンに立っている。彼女はまだ夢の中。お互い別々の部屋で眠った。彼女は『もう少し仕事するから』と。こんなのってない。本当だったら。後悔ばかりが募る。でも、リベンジはまだできるはずだ。一緒に住んでいる限り、何度でも。

 日曜日、大安。
 俺は、今日こそプロポーズをする。

 ふたりの出会いは七年前。高校のとき、彼女は空手部だった。俺は幽霊部員で。ある日、大会があるからとどうしても応援が足りないと幽霊部員にも召集がかかった。
彼女の型の演武は美しかった。空手部だったのに、初めてきれいな型というのを俺は見た。しかし、彼女は大会で負けた。
 人知れず泣いていたところ、俺は遭遇した。どう励ませばいいかわからなかった。同じ部とは言え、顔見知り程度の俺がどう声をかければいい? 泣いていた彼女は俺を見てすぐに立ち上がった。そして、聞かれてもいないのにこう言ったのだ。

「な、泣いてないしっ! これは目にゴミが入っただけだから、勘違いしないでよね!」

 これは、ツンデレのテンプレ……。思わず俺は笑ってしまった。それが彼女との出会い。同学年だった俺たちだが、それ以来、彼女が幽霊部員の俺を『部活に出ろ!』と追い回すのが普通の光景になった。
 告白したのは卒業式。それまでどうしてもできなかった。追われる立場が楽しすぎて、彼女につかまりたくなかった。ふたりの関係を壊したくなかった。それでも大学は違う。このままバラバラになりたくなかった。だから――。

「俺お前が好きだったんだよ。学校違って会える時間減るけど……付き合ってくれねぇかな?」

 そう告白すると、彼女は今まで見たことのないような顔で、俺を見た。まるで真っ赤に熟れたリンゴみたいに頬を染めて、小さくうなずいた。

「私も……あんたを追いかけられなくなるのは寂しいから」

 そうしてお付き合いを始めた俺たちは、就職とともに同棲を始めた。会える時間がさらに減ってしまうのが嫌だったから、という俺のわがままで。彼女は「仕方ないなぁ」なんて笑っていた。俺たちはすべてが順風満帆だった。彼女の仕事が始まるまでは。

 彼女は最初、小さな専門学校の事務職に就いた。奇しくも就職難。彼女は不本意だったが、契約社員として雇われた。この時世、正社員で入社できるほど甘くない。四大卒なのに、学歴は関係なかった。そこで彼女は上司によるパワハラを受けた。負けず嫌いで曲がったことの大嫌いな彼女は、その専門学校の事務のやり方に不満を持っていた。どう考えても非効率だ。勝気な彼女は上司にありのままを伝えた。それが裏目に出て、攻撃対象にロックオンされてしまったのだ。
俺は、毎日疲弊し続ける彼女に「いつ辞めても構わない。俺が養うから」と言い続けた。それでも彼女は「私は負けてない、それに働いていないと社会の一員として認められない気がする」と言って聞かなかった。
 彼女が心労で倒れたため、俺は無理やり仕事を辞めさせた。

 仕事をやめた彼女が次に就いたのが在宅のイラストレーターの仕事だ。だけど、この仕事も納期が大変みたいだ。もう俺は、彼女が疲弊するところを見たくない。俺は腐っても正社員だし、一応ふたりが生活できる分はもらえている。俺一人で養うことはできるが、彼女は仕事を続けたいという。だったら一緒に考えよう。俺も、お前が無理しないように考えるから、お前も考えてくれ。俺とのこと。

 炊飯器の米を混ぜ、手の上に置いたラップにご飯を乗せる。中身は焼いたたらこシーチキンマヨ。彼女の好物だ。
 彼女の負担が大きいなら、俺が家事も手伝う。在宅だから、私がやるよなんて言っているけど、お前が無理することはない。ご飯だったら俺だって作れるし、洗い物もお手の物。洗濯も掃除も、お前だけがやる必要はない。俺もやれることだ。
 昨日渡すはずだった、百八本のピンクのバラを彼女のイスの上に載せる。キザすぎただろうか。彼女だったらきっと、「ナルシストか!」なんてツッコミを入れるだろう。それでもどうしても渡したかった。
 ピンクのバラの花言葉は『愛の誓い』。百八本のバラは『結婚してください』の意味。
 これからも、苦しみも困難もふたりで乗り越えていこう。勝気で強がりな君は無茶をしすぎる。そんな君を、俺はいつまでも見ていたい。一緒にそばにいたい。君の本気の笑顔を、俺が一番近くで眺めていたい。
 朝食の準備ができると、彼女の目覚ましが鳴る。俺も今日は仕事だから、そんなにイチャイチャする時間はないけれど、今日は早く帰ってくるよ。その分夜にゆっくりしよう。一緒に将来設計を考えよう。俺らにしか書けない、未来予想図を描こう。仕事はしてもいい。だけど、俺との時間も大事にしてほしい。
 もそもそと彼女が起きてくる音が聞こえる。今日だけじゃない。こんな朝食をこれから毎日作るよ。夜遅くまで頑張る君に、少しでも無理をさせたくないから。

「おはよう……昨日はごめん。久しぶりにデートに連れて行ってくれたのに……って、この朝ごはんは?」
「いいから、顔を洗っておいで。一緒に飯にしよう。それと……話があるんだ」
「話?」
「ほら、顔!」
「ふぁい」

 まだ寝ぼけているような彼女を尻目に、こっそりとエプロンのポケットに婚約指輪を忍ばせる。

 君にプロポーズする五分前。絶対にNOとは言わせない。
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